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http://www.news-pj.net/npj/katsura/index.html
カストロ退任とコソボ独立
―─歴史の進歩の見方が問われる
2月20日の各紙朝刊はそろって、キューバのフィデル・カストロ国家評議会議長が19日、退任表明を行ったことを伝えた。それより前、17日には旧ユーゴ南部のコソボ自治州がセルビアから独立、単一の主権国家になることを内外に宣言、このニュースも各紙は18日、大きく報じた。両者に共通するのは、20世紀の後半を通じてつづいた米ソ対立の冷戦構造の下、アメリカ主導の国際資本主義に対する社会主義陣営の一角を構成してきた最後の部分が、ようやく大きな転換期にさしかかった、という点である。
日本の新聞各紙も、そうした点に触れてそれぞれ論評を試みているが、キューバ、コソボに生じるであろう変化が、これからの世界全体の変革にどんな影響を及ぼし、また問題を提起することになるかということになると、実に通俗的な見方しか示すことができていないのには、驚くというより情けなくなった。
カストロ議長の退任については、「並外れた権力者」 「カストロ氏」 は、権力を保持しつづけることによって得られる 「利益」 と殺される 「恐怖」 とをハカリにかけ、弟に権力を譲り、「最晩年を安らかに過ごす道」 を選んだ (21日・朝日 「天声人語」)、「残ったのは・・・21世紀を生き残れそうにない硬直した経済・社会・政治だ」 「一人のカリスマの夢につなぎとめられる政治は、もうこれが最後ではないか」 (同・毎日 「余録」)、「一切の批判を許さず、言論や体制選択の自由を国民から取り上げてきた独裁体制の置き土産は重たい」 (同・読売 「編集手帳」)、「共産主義という十九世紀以来の妖怪・・・の呪縛を解き、(キューバは) 新たな道へ踏み出せるだろうか」 (同・日経 「春秋」) というような、独裁者の負の遺産、社会主義の敗北、暗い将来を心配するというより、やはりこういうことになったではないかと、見下した視線を感じさせる、どれも似たような論調だ。
毎日と読売は同日、社説も掲げたが、毎日 「米国は制裁見直しに動くべきだ」 は、キューバの慢性的な経済不振の根元的な原因は、カストロ政権ができてから今日まで、アメリカが厳しい経済封鎖を続行してきたことだと、正当に指摘し、その敵視政策の見直しを提唱した。これが読売となると、「ソ連崩壊で色あせた革命の栄光」 と、ソ連あってのキューバ革命だったが、ソ連が崩壊してからは当然、やっていけなくなった─―これからキューバがアメリカとの関係を改善すれば、日本ともうまくやっていける─―経済発展も可能となる、というもの。アメリカ・キューバの関係改善は、アメリカのやり方が変わるか否か問題なのに、おかしな話だ。
朝日は社説はないが、24日朝刊の投書欄下、「世界の論調」 欄に英ガーディアンの18日付社説 「コソボ独立は欧州の試練」 と、米ニューヨーク・タイムズ20日付の社説 「米政権は 『カストロ後』 に備えよ」 の要約を、並べて掲載した。前者は、コソボの性急な独立は背後の欧州の動揺が関係しており、独立がもたらす問題の解決に欧州は責任を負っている、と説く。後者は、上記の毎日社説の視点をもっと具体的な政策に結びつけ、ブッシュ政権に、キューバの政治家、国民に対して直接対話を始めよ、と提言する。どちらも当然の話だ。残念なのは、朝日がこういう社説を紹介するだけでなく、なんで自分で書かないのか、ということだ。
キューバの窮状、旧ユーゴの混乱、どちらにも日本はほとんど責任がない。その気になれば、もっと自由で公明正大な立場から、転換期のキューバ、旧ユーゴを世界がどう受け止めていくべきかの議論がリードできるのに、と思う。
コソボの独立については、セルビア政権がコソボのアルバニア系住民に非人道的な民族浄化の虐殺、抑圧を繰り返してきたことが原因であり、コソボのセルビアからの離脱・独立はやむを得ない、とする論調がほとんどだ。そのうえで、これが世界各地での民族紛争激化の引き金になってはいけないという問題意識から、「コソボ独立 安定への第一歩にしたい」 (19日・朝日社説)、「民族衝突を防ぐ慎重な行動を」 (同・毎日社説)、「バルカンの混乱をどう避ける」 (同・読売社説)、「バルカンの悲劇に幕を」 (同・日経社説)など、当たり障りのない議論を試みているだけだ。
気になるのは、1991年のスロベニア、クロアチアの旧ユーゴからの分離、独立の宣言以後、旧ユーゴで生じた紛争のすべてにわたって西欧とアメリカは、ひと言でいえば、セルビアが悪い、ですませてきた観がある点だ。
そして日本の政府と大方のメディアも、その見方にならってきた。また、その背景には、ソ連崩壊、冷戦構造消失のなかでユーゴが解体されるのも当然だ─―それに対していつも悪あがきするのがセルビアだ、とする実に安易な冷戦史観が、いまにいたるもずっと横たわっていることも、指摘せざるを得ない。
ナチス・ドイツの侵攻を、連合軍の世話にならず、自力で追い出し、第2次大戦後、「7つの国境、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字」 をもつ1つの国家として成立したユーゴスラビア連邦は、社会主義を標榜したが、スターリンの支配を受け入れず、国際的には非同盟の路線を追求した。また、一元的な国家社会主義的な経済体制を取らず、地域・工場を単位とする自主管理による社会主義の発展を追求した。こうしたユーゴの存在は、国際政治の面ではソ連の覇権主義を警戒する中国、インドネシア、キューバなどの共感を呼び、米ソ対決に対する第3の道の可能性を予感させた。また、東欧の民主化をも激励した。自主管理方式は、ヨーロッパ全体の労働運動に大きな影響を与え、フランス、スペイン、ポーランドなどでも自主管理方式が普及していった。
1民族1国家による主権国家の考え方を修正し、資本主義でもないし、社会主義でもない、混合経済体制の可能性を示唆した、このようなユーゴのあり方は、冷戦の勝敗にこだわるだけの世界観を打破する衝撃力があった。
だが、現実には、91年のソ連崩壊にともなって、スロベニア、クロアチアの1民族1国家主義の運動が強まり、そうした形の主権国家として大国となった英独仏など西欧の各国が両者の独立を支持すると、やがてマケドニア、ボスニア・ヘルツェゴビナの分離を経て、今日のコソボの独立に至る、果てしのない流血を伴った分解過程が始まったのだった。
国連、NATOがコソボ紛争に介入、米欧が 「人道的介入」 を口実にベオグラードを空爆したとき、西欧のバルカンに対する原罪というものを思わないわけにはいかなかった。
1977年、ユーゴを訪問、3泊したホテル・ユーゴスラビアは、このときの空爆で破壊された。西欧の都市にはない、旧市街・スカダリャに漂う独特な生活文化の香り、このとき訪れたブカレスト、ブダペスト、ワルシャワとは異なり、ドル買い・闇屋・売春婦を見かけることがなく、貧しくても明るく、誇り高い市民。それらが無視され、踏みにじられる無念を痛切に感じた。
民族自決を至上の命題とし、1民族が1国家を、明確に仕切られた国境のなかに建設する権利がある、とする近代主義的なこだわりは、もう根本から見直されるべきではないのか。それをつづける限り、世界はいたるところで、永久に民族紛争をつづけなければならない。国境をもたなかった先住民たちは、言語、文化を異にする他民族と共存する点で、はるかにわれわれより賢かったのではないか。そのやり方に学び、それをもっと洗練させていくことこそ、21世紀において本当に求められるものではないのか。前記の英ガーディアンの社説がいう 「欧州の試練」 は、そのような取り組みが必要だとする意味において、理解されるべきものではないか、と思う。
キューバが今後、投じる問題の現代的意味についても、深く考えてみる必要がある。キューバの革命や社会主義は、ただ残骸をさらすのみ、過去の遺物とさえいえないほど役立たずのものなのか。そうではあるまい。
メキシコ・チアパスにおけるサパティスタ民族解放軍の武装蜂起 (1994年)、グアテマラの内戦終結・先住民の権利確立 (1996年)、ベネズエラのチャベス大統領登場 (1999年。その後、アメリカ企業の利権を没収、石油事業を国有化)、ブラジルに労働組合運動出身のルラ大統領登場 (2002年)、ボリビアに先住民出身のモラレス大統領が登場 (2005年)、南米南部共同市場 (メルスコル) にベネズエラが加盟、ペルー、チリ、ボリビアも準加盟国となる (2006年) などの動きをみていくと、そこにはキューバ革命、キューバ社会主義の影響が静かだが、力強く浸透していることに気付かされる。単にアメリカへの抵抗という思想面だけのことではない。
農業、医療、福祉、教育面での先進国キューバは、これら中南米の国々と実際的な利益を交換する関係のなかで絆を強め、多くの国がキューバの社会主義からその役立つ面を学び、また、米国経済依存だったがために厳しい封鎖に悩まされてきたキューバも、中南米諸国とのあいだで経済交流を広げることを通じて、この地域で着実に生きていく力を獲得しつつある。
結果的にこの地域はいま、かつてアメリカの裏庭といわれた、宿命的とも思われた対米従属の鎖を断ち切り、政治・経済・文化、あらゆる面で自主性を強めつつあるのだ。この地域のこのような発展のなかでキューバが生気を取り戻せば、それは一つの国が再建されるというに止まらず、アメリカ主導のグローバリズムとは異なる、むしろそれを着実に掣肘する、もう一つのグローバリズムの生成を促す力になっていくと考えられる。
日本がいま陥っており、ますますおかしなことになっていく気配の対米従属のことを考えるとき、転換期のキューバとそれを取り囲むラテン・アメリカの行方に、メディアはもっと真剣な眼差しを向け、大きな関心を払うべきではないか。
2008.2.26