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(回答先: 成人式の意義は 投稿者 精霊は不滅 日時 2009 年 1 月 12 日 14:22:06)
搾取されるために、学生生活の4年間がある。あたかも、スーパーやデパートで不必要なものを見せられて、わざわざ遠回りさせられて、レジ(卒業)に向かうようなものかもしれない。
商店の場合は、買わなきゃすむけど、学校制度の中だと、本を買わせられたり、退屈な講義にも顔見世していなけりゃいけない、何より授業料を支払わせられる。
なぜ大学にいくか、文科系の場合、たいていはより良い仕事のためだとおもいます。
しかし、実業の世界、理科系はともかく、今大卒の知性が必要な仕事は、あまりないとおもいます。つまらぬ受験勉強、大学生活を耐えてきたのだから、つまらぬ会社や役所の仕事にも耐えられるぐらいの意味しかないのでは、と思うくらいです。
高校、大学生活(「非大人の日々」)は、「遊んでいられるのは今のうち」という、親、教師、生徒の「不幸な暗黙の了解」に支えられ、低質化してしまったとおもうのです。(赤子のようなウブな新卒をほしいという産業界,あるいは、愚民を望む為政者の意図もあります)
ですから、18、あるいは、19で、「職業的に自立させてやることができる」なら、「その歳で成人」で良いとおもいます。とりもなおさず、遊園地化した中等教育を活性化させることができます。多くの大学は不要となります。
そして、職業的に自立してから、「遊べる」様な仕組みを作ればいいだけです。
「職業的に自立」とは、
それで自活できる職業を身につけ、其れを国家的、あるいは経済社会で資格として認知されること、そして、その資格を受け入れる労働市場の存在。
(小売業一般、事務職、工業職(機械、電気、土木、電算、、)