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医師不足は医学部定員減が要因 東奥日報
医師不足は医学部定員減が要因
東奥日報 2008年1月9日
http://www.toonippo.co.jp/news_too/nto2008/20080109115925.asp
東奥日報が、医師不足の現状を生み出した要因の一つである1980年代後半から、“国策”で進められた全国の大学医学部(科)の入学定員削減について、弘前大学元学長で医学部教授、同学部長であった吉田豊氏のインタビュー記事を掲載している。
吉田氏は「国も大学も、将来の人口減に対し、医師が過剰になるというデータのみにとらわれ、高齢化の急速な進行と、これに伴う医師需要の拡大などの要素を見誤った。見通しが甘かったといわざるを得ない」と証言したようだ。
医師不足は医学部定員減が要因
東奥日報 2008年1月9日
医師不足の現状を生み出した要因の一つに、一九八〇年代後半から、“国策”で進められた全国の大学医学部(科)の入学定員削減が挙げられる。弘前大学元学長で医学部教授、同学部長として当時、削減の経緯や事情を知る吉田豊氏(元弘大学長、現・県総合健診センター理事長)は「国も大学も、将来の人口減に対し、医師が過剰になるというデータのみにとらわれ、高齢化の急速な進行と、これに伴う医師需要の拡大などの要素を見誤った。見通しが甘かったといわざるを得ない」と、本紙取材に対し証言した。
国は七三年から、「人口十万人に対し、医師百五十人」を目標に
「一県一医大」の設置を進め、その結果、十年後の八三年に、目標を達成した。
弘前大学もこれに従い段階的に入学定員を増やし、
七二年度には前年度より二十人増の百二十人となった。
しかし、こうした医師急増に対し、今度は医療費膨張への懸念が強くなり、八六年には、厚生省「将来の医師需給に関する検討委員会」が新規参入を10%削減すべきだとする最終意見を出した。
この方針転換で弘大も、八九年度からは定員が二十人減り百人となった。
当時、同大医学部教授だった吉田氏によると、定員の削減幅は、国から大学側へ一方的に割り当てられたという。「国は医師を減らすことしか考えになかったようだ。その上で全国国立大学の学長会議や学部長会議で、人口減と医師過剰の予測データを突きつけて説明した」と吉田氏。しかし実際は国の見込みは、外れた。地方や産科分野での深刻な医師不足が現出した。
要因として吉田氏は、予想以上の高齢化進行や医学の進歩を挙げ「老健施設など福祉分野や高度医療の研究に、医師の需要が急激に大きくなった。少なくとも現時点で医師は余っておらず、医学部定員削減は全くの見込み違いだった。国は見通しの甘さを認めるべきだ」と語る。
※写真=医学部定員削減当時の経緯などを語る吉田氏
コメント
ごもっともですが・・・
後出しじゃんけんのようなご意見です。そのころなぜ国立大学医学部の協議会や私立大学医学部の協議会は騙されたのか、意見を言わなかったのでしょうか?
結局彼らの読みも国レベルだったということではないのでしょうか?
定員減が不足の理由のひとつであることはもうとっくにわかっています。百年の計など今の日本国にはなく、特に医療行政は二年の計です。100年の計があるなら今からでも遅くはないので、定員100から120人にすべきですが、大学は国に迫っているのでしょうか?声は聞こえてきません。
2008/01/12(土)12:29| URL | 雪の夜道 #- [編集]
医療行政は二年の計→そんなことはないですよ
>百年の計など今の日本国にはなく、特に医療行政は二年の計です。
いやいやそんなことはないと思いますよ。
我が国の少子高齢化は以前から予測できていた訳で、そこで団塊の世代を中心とする高齢者に長生きされてしまっては、年金を含めた国の財政が破綻してしまうと考えたのではないでしょうか?
医師の養成数を制限してさえおけば、どうやっても医療供給を充足させることはできない訳で、これを綿密に考え抜いた上での、
極めて長期まで見据えた方針なのではないでしょうか?
これを私は以前「悪魔のシミュレーション」と呼びました。
国家にとって医療など、つまり国民の命など どうでも良いのでしょう。
そう考えると、これだけ医療崩壊しているのに、
その場しのぎばかりやっていることにも全てうなずけてしまいます。
2008/01/12(土)15:53| URL | 地方小児科医 #jOHzQI1Q [編集]
http://iseki77.blog65.fc2.com/blog-entry-5362.html