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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080520-00000004-gen-ent
国民の後期高齢者医療制度への批判は高まるばかり。多くのメディアが“戦犯捜し”をしているが、この制度の根は深い。厚生官僚は言うに及ばず、与野党の国会議員、経済団体、医師会など、戦犯は複数に上る。彼らの多くはクビをすくめているのだろうが、巨悪をあぶりださなければダメだ。
老人イジメの後期高齢者医療制度の発端は1997年の橋本内閣にさかのぼる。当時の自社さ政権が掲げた医療制度改革が原点だ。老人医療費が膨れ上がり、被用者保険を圧迫。赤字に転落するところが相次ぎ、その対策が急務の課題となったのである。そのため、自社さ政権は97年2月に与党医療保険制度改革協議会を立ち上げる。3党が基本合意するのは同年8月。ここに「高齢者医療は独立型保険を創設する」という文が出てくる。協議会の座長は自民党の丹羽雄哉元厚労相。当時の厚相は小泉元首相だ。
与党合意を受けて、厚生省は有識者による「医療保険福祉審議会」を設置し、細部の詰めに入る。ここの制度企画部会が与党案を具体化する。意見書がまとまったのは98年11月だ。「高齢者だけの独立した保険制度をつくり、消費税などを財源とする公費を重点的に投入する」という表現が出てくる。意見書には別の案も併記されたが、厚生省は高齢者医療保険制度に向かって動き出す。審議会のメンバーは金平輝子東京都歴史文化財団理事長がトップで、評論家の大宅映子氏、連合の高木剛氏、本間正明大阪大教授などが入っていた。
「ところが、この改革は一度、頓挫する。改革案は医者にも厳しい中身だったため、医師会が反発。結局、利害調整ができずに先送りされてしまう。改めて小渕政権で有識者会議が設置され、議論されることになったのです」(厚労省事情通)
さて、ここからが本番だ。一度は潰れかかった老人医療制度が復活したのは、金儲けに目がくらんだ医師会と経済団体が賛成に転じたからだ。
日本医師会は2000年8月、「都道府県単位で75歳以上を対象に保険制度を創設する」「財源の9割は公費で賄う」ことを正式提案する。老人保険を認め、税金を投入させれば、診療報酬が削られる心配がないからだ。さらに経団連と日経連が01年5月に老人を現役世代の保険制度から切り離す「シニア医療制度」を提案する。こうすれば、現役世代の負担が軽くなり、企業の社会保障費も安く上がる。足りない分は税金で賄う「公費押し付け」を狙ったわけだ。ちなみに当時の経団連会長は今井敬氏、日経連会長は奥田碩氏だ。
そうしたら、小泉政権で公費負担が5割になり、老人の自己負担が広がった。公費負担5割を画策したのは厚労省で、坂口力厚労相が動いた。
「もちろん、最大の戦犯は小泉元首相です。97年、与党改革協議会の丹羽さんは小泉厚相(当時)と激しくやりあった。丹羽さんは老人医療を別建てにするならもっと税金を入れるべきだと主張したが、小泉さんが蹴ったんです」(厚労省事情通)
巨悪がだんだん見えてきた。