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【NHKニュース 年越し派遣村 行政に支援要請】
http://www.nhk.or.jp/news/k10013328261000.html
というニュースがあった。
【実行委員会によりますと、1日夜までに想定を100人ほど上回る253人が集まって宿泊用のテントはほぼ満員になり、このままでは500人から600人の規模になって泊まれない人が出るおそれがあるということです。】
そのうえで
【民間の支援では限界があり、行政に責任ある対応を取ってほしい】ということである。
かなり、複雑な思いがある。
「行政に対する不信感、あきらめ」
「結局は、最後は行政に泣きつくしかないのか?」というような依存体質への思い。
「自分に対する欺瞞の気持ち」
「ボランティアの人たちへの尊敬の気持ち」
「計画時の見積もりの甘さ」というような思い。
「それを評価する資格もない自分」への思い。
「雇用切り被害者の立場からの視点は?」というような思考。
人間というのはちっぽけな存在であり、実に無力である。
日本において「絶望的に苦しんでいる人がいる。」という状況下があることを知りながらも、何もできない自分の不甲斐なさを棚上げしながら、穿った目で評価しようという卑屈な存在だったりする。
今回は、規模が大きいのでマスコミの話題になっているだけで、毎年、凍死と隣り合わせのホームレスの人はいたのだろう。
いまさら、良い顔をしているようなフリしても偽善者でしかないようにも思う。
しかし、マスコミも騒ぐような社会問題にまで発展した、この機会なのだから、この経験は最大限の活用を考えるべきではないかとも思う。
多くの人たちが、見て見ぬふりをして通り過ぎようとしているが、今の日本で、絶望的な貧困に苦しんでいる人がいることは「現実」である。
本来論を言うなら
【第二五条【生存権、国の社会的使命】
【1 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。】
【2 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。】
http://kenpo-9.net/constitution/
という、日本国憲法を「大看板に掲げている」という日本国は、すべての国民が、そのように暮らせるように社会システムを構築し、誠実に推進・履行するように最大限の努力をするのが筋である。
しかし、日本国で失業率がゼロであったことなどないし、医療費もタダではなく、日本においてはすべての行動・挑戦に一定のコストが発生するのが、現状である。
日本政府は欧米の「資本主義による競争格差社会」を追従して、自己責任原則に基づいた「勝者のための市場原理主義」を採用、それを、民主主義の多数決によって、承認されたとして推進させてきたのが現実でもあるのである。
しかしながら、今の日本国で「資本主義をやめ、社会主義にしよう」などと主張しても、多数決的に否定されるのは間違いないだろう。
貧困層の味方をする人は少数派であり、多くの人は資本家層に依存していくことこそが「処世術」と考えている。
資本主義社会で育ってきた日本国民には社会常識という、「憑き物」が強く憑いてしまい、ちょっとやそっとの「憑き物落としの呪い」では落とせないだろう。
NOと言えずに過労死する労働者・全く裁量権がなく長時間労働だけさせられる名ばかり管理職・最低賃金でこき使われで働いても働いても貧困から抜け出せないワーキングプア的労働者・労働力の波動対策としての役割を強いられ不景気になればカットされるトカゲの尻尾のような非正規社員と派遣社員。
すべては、資本家サイドの都合で生み出されてきた「非合理な扱いを強いられている労働者」であり、近年社会問題として取り上げられているが、それでも労働対価報酬を得るために「職場にしがみつくのが、労働者の生き方なのか?」
経済界と政界さらにマスコミがグルになって、市場競争原理というものを喧伝するが、競争には、必ず敗者が生まれ、敗者は「日本国憲法で生存権が保障された国民」ではなくなるとでも言うのだろうか?
社会主義が良いとは思わない。
今までの世界において、成功した社会主義のモデルは示されず、多くの国が独裁制の国家に成り下がっていった。
しかし、セーフティネットは整えることは可能なはずである。
例えば「医療費無料」(根拠は前出の日本国憲法25条の1)政策としては可能だろう。
しかし、それを主張しても、まず、政府は実行に移そうとしない。
政府は「貧困層の苦しみなどとは無縁の金持ちによって支配されている」からであり、それは、与党でも野党でも、宗教政党でも思想政党でも同じだからだ。
だとすれば、庶民の暮らしは庶民の相互扶助を出発点にして走り出す必要な気がする。
政府依存・企業依存・資本主義依存からの脱却は、貧困層・失業者・労働者・庶民側から生み出すのでなければ最初の一歩が踏み出せない。
極論的愚論を示すのなら、庶民手形というのを作る。
その手形の所持者同士は「困ったときには助け合う」
道に迷って困ったときには「庶民手形」を掲げれば、庶民手形を持った人が駆け寄って「道を教える」
報酬なんかは発生させない。
困ったときにはお互い様、いつか誰かが困っていたら、その人を助けてやってください。
そんな気持ちでお礼だけ言って分かれる。
独居老人の家に「庶民手形」がかざしてあったら、気がついた人が訪ねてみる。
別に病気でSOSとは限らない。
囲碁の相手とか話し相手が欲しいだけかもしれないし、食べきれない食べ物の処理に食べ物を持って行ってくれる人を探しているだけかもしれない。
そんな感じで、セーフティネットを構築できないだろうかと考えている。
資本主義という対価報酬を得る労働中心型の社会への依存から脱却しなくては、いつでも恒常的に生存権の危機に瀕している貧困層は「救済してやる」と見下されることになる。
労働者の地位向上も果たせない。
現実に汗水垂らして働き、社会の底辺を支えているのに、常に労働者は、資本層に賃金をもらうために媚びるという地位にいることになる。
資本主義は見つめ直す必要がある。