★阿修羅♪ > 雑談専用34 > 849.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
(回答先: 定額給付金みたいに一回こっきりではなく、どうせならずっと配れよ!ということです。(By ホリエモン) 投稿者 最大多数の最大幸福 日時 2009 年 1 月 02 日 22:24:34)
こういう推移を見ると、ネットで意見を書いておくって大事だなと思いますね。
ひとつの記事から、少しづつ世論形成されていっている感じ。
******************************
ベーシックインカムに関する補足(山崎元氏のブログより)
http://blog.goo.ne.jp/yamazaki_hajime/e/39789e023a0ba7d25be7d882d9fc84d8
もう1年以上前に書いたベーシックインカムに関するエントリーに(http://blog.goo.ne.jp/yamazaki_hajime/e/df9729ff82024e97dd3447d08d9c5f27)ポツポツとコメントが入る。ありがたいことではあるが、なぜかと疑問を抱いていたのだが、堀江貴文氏のブログでこのエントリーが取り上げられていたことを、さる忘年会の出席者からお聞きした。
調べてみると、堀江氏のブログ「六本木で働いていた元社長のアメブロ」(http://ameblo.jp/takapon-jp/)に12月15日付けで「ベーシックインカムの話」というエントリーがある。堀江氏は、ベーシックインカム的な構想に基本的に賛成のようだ。(1)公共事業にお金を使うよりもダイレクトにお金を配る方がいい、(2)働かざる者食うべからずという倫理は古い、という辺りのことを的確に理解してくれている。
(3)能力(やる気とスキル)のある人に資源(資金)を集中させて大いに働いて稼いでもらって大多数を食わせればいいのではないかという立論は、かつての「ホリエモン」の時代の堀江氏のイメージに合致する。こうした「稼ぎ」の中には、他人からのピンハネ(労働者からはもちろん、資本家からのピンハネもある)が大いに含まれる場合があるはずなので、稼いでいる人が特別偉いわけではないと思うわけだが、堀江氏は別段「稼ぐ奴が偉い」などと言っているわけでない。リアリストである彼は、稼ぎが少数の人間に集中しやすいという現実を知っているので、稼いだ人が多数を養う社会が自然だと思うのだろう。
ベーシックインカムの議論に内容的に是非付け加えたい新しい認識があるわけではないが、頂いたコメントの幾つかを見ると、ベーシックインカムそのもの或いは私の意図に関する誤解があるようなので、幾つか補足説明をしておきたい。
先ず、私がベーシックインカムを支持する大きな理由の一つは、これが「小さな政府」を実現する手段として有効だからだ。
年金や生活保護のような多数の役人が介在する行政サービスをベーシックインカムに置き換えると、コスト面の効率が改善するし(たとえば社会保険庁の廃止)、役人の不透明な裁量を減らすことが出来る(たとえば生活保護の認定で)。
無条件でお金を配るわけだから、個人は自分の好む対象に支出することが出来るし、これを貯めることもできる。全般的に自由度が拡大するし、貯蓄を持っていたら生活保護の支給を打ち切るというような、生活保護世帯に対する特定の暮らし方の強制のような事態が起こらない。
役人の権限も、人数も当然減ることになるから、役人の多く(心ある人は賛成するかも知れないが)や利益配分に関与したいタイプの政治家はベーシックインカムを好まないだろう。
今ひとつピンと来ない人がいるようなので、補足すると、ベーシックインカムと定率の所得税を組み合わせると、ミルトン・フリードマンが提唱した「負の所得税」(を含む税制)と同じになる。
たとえば、1人月5万円、年間60万円のベーシックインカムと30%の税率の所得税を組み合わせると、60万円÷0.3=200万円の所得で、ベーシックインカムと所得税が均衡し、200万円を中心として上下の所得の変化は7掛け(1−0.3)で可処分所得に反映することになる。つまり、働いて稼ぐと所得が増えて経済的な生活は改善するから、ベーシックインカムの存在で労働のインセンティブが無くなるわけではない。
賃金に対してベーシックインカムがどのような影響を与えるかは微妙な問題だ。労働者側に多少なりとも「余裕」が生じるので、安い賃金でキツイ仕事はしなくなるかも知れないが、他方で、賃金が安くてもベーシックインカムと合わせると生活が成立するので、安い賃金を受け入れるようになる効果もある。
何れにしても、ベーシックインカムがあると、労働者側で働く先を選ぶ際の自由度は(企業で働かないことも含めて)拡大しそうだ。また、ベーシックインカムがあってもなくても、労働組合は無用だろう。個々の労働者の権利を法的に明確に守ることが重要であり、これは現状と変わらない。
景気との関係はどうか。ベーシックインカムは景気対策のために導入する性質のものではないが、消費性向の高い低所得者層への所得移転は、いくばくかの需要拡大効果を生むだろう。また、マクロ的な総需要への働きかけはベーシックインカムの金額を増減すればいいし、財源をどうするかを通じて行う手もある。
年金との関係はどうか。一番分かりやすいのは、全国民の年金をベーシックインカムと確定拠出年金の二本にまとめてしまうことだろう。基本的に、自助努力をしたい人は、したいだけやって下さい、という制度だ。確定拠出年金のインパクトが大きすぎるなら、税方式でかつ国債並の利回りで仮想積み立て運用する共通の基礎年金を付け加えてもいいだろう。厚労省・社会保険庁の年金関係の仕事は不要になる。
所得に対する課税を100%としてこれらを全てベーシックインカム化するとさすがに「共産主義だ!」ということになるかも知れないが、十分なインセンティブが残る税率で、しかもベーシックインカムの使途には制限を付けないわけだから、制度全体としてはずいぶん自由主義色の強いものになるはずだ(何せ、ミルトン・フリードマンなのだから)。
私的所有権に介入するという意味では、ある種のリバタリアンには受け入れにくい考え方かも知れないが、政府を小さくして、資源配分を私的選択に任せるという意味では、ベーシックインカムはリバタリアンの考え方と相性がいい面があるのではないだろうか。
ベーシックインカムの現実的な金額として、現在漠然とイメージするのは1人当たり月に5万円くらいの金額だ。これで健康保険と公教育(高校全員プラス、特段の優秀者については国立大学のコストも)をタダにして貰えば、十分な「最低限」になるのではないだろうか。夫婦と子供二人で20万円だし、5万円で1人暮らし(←贅沢だ)は無理でも、何人か集まって暮らせば、ぎりぎり生きて行くことは出来るだろう。
何れにせよ、「現在の行政サービスを順々にベーシックインカムに置き換える」と考えてもらうと、私が期待するベーシックインカム像が、より分かりやすいと思う。