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何となく思いついたのだが、あと少しで、地デジ放送に一本化され、今までのテレビは「不要の長物」と化す。
地デジ放送を見られるようにするには、地デジ対応テレビを買い込む等、結構な出費となることが予測される。
お金のある若者なら良いとして、独居老人など「勝手に決められても設置も出来ないし、年金暮らしの中で予算もない」という人も多いような気がする。
現在は、失業者が増大し、住むところにも、明日の食事にも苦慮している人が山のように存在するという中、景気回復には3年くらいかかるというのが、大方の見方であり、それまでは、新しいテレビなど買いたくても買えないという貧困層の人は相当数いるに違いない。
不景気の中、旅館・ペンションなどの宿泊施設では全部屋のテレビを地デジ対応にするとなれば、費用も膨大であり、これを機会に宿泊施設を閉めるというようなことを考えている人もいるような気がする。
地デジ放送が本格的になるのはかまわない。
しかし、従来放送の電波が途絶えるのは困るという人は全国には、ちょっと想像できないくらい大人数いるのではないだろうか?
日本は戦後復興期が過ぎた頃から「使い捨て文明」の時代に入った。
それまでは、兄・姉のおさがりの服とかツギのあたった服なども着用された「物を大切に使う」という社会だったのだが、いつの間にか、すべての物を修理しないで使い捨てるという時代になっていた。
そんな風潮を、もろに反映したのが、今回の「地デジ放送」である。
日本中の旧式テレビを「すべて捨てて、新しいテレビに買い換えましょう」という「上からの決定」である。
こんなものは「金持ちの価値観からの決め付け」であり
テレビを販売する企業に「配意した、資本主義のやり方の応援」ではないだろうか?
多様化する価値観の中、「美しいデジタル放送を見たい」という価値観があることは分かる。
しかし、旧来のテレ部放送でも良いよ、最近は目も悪くなったから、多少は映りが良くなったって関係ないという人の価値観だって存在しているだろう。
それを、旧来の電波は止めて「地デジを見る対応をしなかった人は今後テレビは見られませんので、それ相応の負担を強制します。」というのは横暴以外の何物でもないのではないだろうか?
資本家層の都合に「こちらを無理矢理に巻き込んで、不要な資金を拠出させる。」
地デジ放送には反対運動をした方が良いのではないだろうか?
誰か、「地デジ反対連絡協議会」というようなブログでも始めたら結構盛り上がるのではないだろうか?