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北京オリンピック前、星野がよくテレビやCMなどにも出ていて、星野の絶頂期の頃。
マスコミも「星野JAPAN、星野JAPAN」と金メダルが確定のごとく扱い、うるさかったこと、うるさかったこと。
星野もまんざらでもなく、名前のとおり天上界に登っていたのだろう。ニヤけ顔で
「日の丸を背負って行くわけですから・・・」
そしたら結果はあの通り。オリンピック前にあれ程、星野を持ち上げていたマズゴミは、一気に無視。
星野の顔がテレビ画面から消えた。あれで、もし金メダルでも取っていた日には、「星野の統率力」、
「人間 星野仙一」などと訳分からん事でまた延々厭き厭きするほど、
星野の顔を見させられるはめになったろうから、負けてよかった、私的には。
しかし、テレビって、視聴率の為ならなんでもするのだね。煽りに煽って、その結果が出ないと
「ポイ」で見向きもしないものね。こんなテレビが正義を語るから恐ろしい。
日本代表サッカーなどでも「絶対負けられない試合がそこにある」とか叫んでいるが
試合前の威勢のよさは、どこへやら、90分後には「よく戦いましたが、惜しい試合でしたね〜」
てな事が無かったろうか。「絶対負けられない試合」はどこに行ったの?
それを聞いている私は「あ〜恥ずかしい!」
「日本は恥の文化」だと言ったのは誰だったかな。こんなこと嘘っぱちだよね。
少なくとも、テレビ、マズゴミに恥ずかしいなどと言う心はまったく無い。
なに?「日本は箸の文化」の間違いです?それなら納得。
スポーツ選手などが、星野と同じように「日の丸を背負って戦うわけですから云々」と言うような言葉を
使うのを耳にすることがある。こんな言葉を聞く度に「スポーツ脳」って本当に有るのだなと思ってしまう。
だれもそんな物、負わせてないのに、幼児が覚えたての言葉を使いたがるように、一つ覚えの
「日の丸背負って云々」などと恥ずかしげもなく、よく使うと思うよ、本当。
スポーツなど、マズゴミが視聴率を上げるため煽るほどには実力が伴っていない場合が
多々ある訳で、惨敗することがよくある。戦う前には「日の丸を背負って」
いたのに惨敗した時に、背負っていた日の丸はどこにいったのだろう。
惨敗後に日の丸については何も語らないのだから、捨ててきたのではないだろうか。乃木さんも泣いてるよな。
私のような愛国冷え症、愛国不感症の病持ちの人間なら捨ててきても何とも思わないが、
愛国熱中症の別の病持ちの人々もそのことについてはあまり気にしてないようだ。
だから日の丸って、都合によって背負ったり捨てたりして自由にして良いもの、その程度のものなんだよ、多分。
昔、沖縄かどこかで日の丸を焼いて問題になったことがなかったな。
捨ててきて良いものなら、焼いても別に大騒ぎするほどのこともあるまい。
唐時代の禅僧、丹霞天然という人にこんな逸話が有るよ。
或る寺に一泊させてもらうことになったが、
翌朝が厳寒の日で寒い寒い。そこで、丹霞和尚お寺の中から木像仏を
引き出してきて、庭でそれらを燃やして暖をとっていた。
すると、寺の坊さんが駆けつけてきた。
坊さん「なんという罰当たりのことをするのだ!!」
丹霞 「いや木像仏を焼いて仏舎利(仏の骨)を出そうと思っているのだ」
坊さん「木像仏に仏舎利など有るはずないだろう!!」
丹霞 「それなら、罰当たりでもなかろう」
私はこの逸話が好きだな。
君が代、日の丸もこの木像仏のようなものかも。
そんなものより、生きている個々の人々の心の中に
仏舎利は有ると思うな。
しかし、今も昔も
戦う前の軍艦マーチ、惨敗後の知らんぷりってマズゴミの抜き難い特性かね。