★阿修羅♪ > 雑談専用34 > 588.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
サケは、自分が卵を産み付けるや、その生涯を終えます。
http://www.pref.iwate.jp/~hp5507/sake/isshou.htm
生きる目的も、生きる意味も、単純明快です。
人がサケであれば、人の一生は、簡単だとおもいます。
産まない自由もありますが、生殖後も生きる意味があるのか、ないのか、それを見つけるのか、創るのか、そんなことどうでもいいのか、問い続けることになります。そんなこと考えも及ばず、一生を終えることもできます。
長期医療云々、義憤にかられた記事を目にすると、その記事に同意しながらも、心の一方に、75歳以上生きてどうする気なんだ、疑問がふと心の中に生じるのも事実です。
今まで自分の生きるエゴのために、親兄弟友人動物魚植物地球資源、みな犠牲になったわけです。さっさと、「適齢期」になったら、姥捨て山に自分の意思で登るのが、みなから尊敬される人生の終章でないのか、それとも逆にできるだけ長生きするのが、今までに犠牲になった親兄弟友人動物魚植物に報いる道なのか、わかりません。
歴史家は、古代、中世、近世、時の歩みをその時々のエッポックに従って区切っています。
空に飛行機を飛ばせ、コンピューターをおもちゃ代わりにし、人のDNAの構成を部分的に解明した現代でも、私は人類史のまだほんの初期の発展段階なのではと思うことしばしばです。このままでは、しかしながら、ヒトは総体として自分自身を発展させる前に、地球上から死滅してしまうのでないだろうかと思う(人口爆発すら抑えられない)。
インテリはサーバイバーたるべし、
サバーバル術を身につけた俺は、いったん急あれば、用意していたサーバイバルキットを自転車につけて、一目散に山中に逃げ込み、ガソリンのない自動車、水の出ない便器にうろたえる、便利文明を盲信していた下界の連中の阿鼻叫喚を缶ビールでも飲みながら、ながめるのだろうか。