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硫化水素自殺が続発している。
今年に入って「すでに60件」以上とか、「20代、30代の若者も目立つ」とか。
一括りに論じてしまうのは危険でもあるのだが、あえて書かせてもらうなら
今の日本は『この先の人生に何の展望も抱けない社会』になっているのだろうと思う。
人が生きていくのは「決して楽ではない。」
何らかの「目的意識」、もしくは「自分の存在意義」というような物を見いだせないと、単に生きていると言うことは「無意味」と認識することになる。
例えば「ライバルを見いだし、そのライバルに勝ちたい。」とかの目的があれば、多少の困難は乗り切って頑張ることも出来る。
「いつかは、きっと」という想いが「生きる原動力になる」のだろうが、それが「見いだせない場合」は「私は何のために生きている?」という「死に神に憑かれる」という可能性が大幅にUPすると言う事になると思われる。
多分であるが「一昔前の自殺」と「現在の自殺」は「種類が変わっている」
例えば、江戸時代は「切腹」という「責任を取っての自殺(自決)」があったが、一昔前の自殺は「責任を負って」とか「迷惑をかけたくない」とか「保険金を借金の返済に当てるため」などが多かっただろう。
しかし、現在では「そのような自殺もあるのだろうが」、「責任から逃れたい」「生きているのが嫌になった」「この先の人生から逃れたい」という「逃避願望」としての自殺が比率的に相当増えていると言う気がする。
目的に向かって「あえて苦労を背負う」という精神から「苦労するくらいなら死のう」という精神構造に変化してきているのではないか?
それを後押ししているのが「苦労しても報われない社会」であり「正直者が馬鹿を見る」という社会構造にあると思う。
【内部告発で解雇 逆転勝訴】
http://www.nhk.or.jp/news/k10014242631000.html
【松下電器グループの工場で働いていた男性が、いわゆる「偽装請負」を内部告発して解雇されたと訴えていた裁判で、大阪高等裁判所は、1審とは逆に解雇を無効として男性が社員の地位にあることを認める判決を言い渡しました。】
本来は「このような勇気ある行動」が正当に評価されるべきである。
しかし、これ、一般的に言うと「KY(空気読めない)」ともなるのだろう。
この「KY」とかの考え方が「長いものに巻かれるだけの社会を形成していく」
自分の「判断」は封印して「周りに流されるだけ」の「単なる生物」が出来上がっていく、これは「人間から単なる生物への退化」とも言える。
その中で「自分の存在意義を喪失していく」と推理できる。
自分の存在意義をロストした段階で、周りを見渡せば、「将来展望の無い未来、生活するためだけの長時間過密労働、食費を確保するだけで精一杯の人生」しか見えてこない。
この段階で「自殺を選択するのが異常なのか?」
どちらかと言えば「自殺を選択しない方が異常」とすら思えるだろう。
極端に言えば「無限地獄のような、何の喜びの無い空間で、永遠と苦しみ続ける」という予測しかない社会に「あえて残ろう」という状況と同じである。
憑き物落としの呪い士を自称するKの予測では「この先、死に神憑きは伝染して増加していく」
で、残念ながら「呪い士の呪文では、この死に神は落とすことが出来ない」
呪文というのには「タネ」が必要なのだ、基本的には「気付いていない視点」を示し、盲点を指摘して「気付かせる」のが呪文である。
もちろん、必要とあれば「ペテン」によって「幻想を刷り込む」という手法もあるが、Kは「憑き物を落とす方専門の呪い士」なので、ペテンで「憑き物を憑かせる方は不得意」である。
社会構造を変えなければ「社会が崩壊する」
どんなに優秀な監督であっても「部員が全て、辞めてしまった運動部を勝たせることは出来ない。」
どんな優秀な「企業論理であっても、まずは社員がいてくれなければ機能しない。」
国が最優先で取り組まなければならないのは「未来に希望のもてる社会」である。
それば「能力のある者」に対するものではなく、弱者に対するものである。
「生かさず殺さず」ではない。「生きていれば、良いことがあると思わせる社会」にしないと社会は崩壊する。
既に「崩壊し始めている。」