★阿修羅♪ > 雑談専用31 > 109.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
最近思うのは、自分の頭で判断することが出来る人が非常に少ないのではないか?
と言うこと
「誰々が言っているから・・・」
人間はほとんどの人が不完全である。
「誰が主張している」というのは「問題の本質ではない」とKは思う。
主張をしている「人」はなく「どんなデータ」に基づいて主張しているのか?こそが問題なのである。
例えば
http://www.youtube.com/watch?v=W0HncGNBCqY
に「エクトプラズム」のスライドショウ動画がある。
これを、どのように判断するのか?
「エクトプラズム」などという「心霊現象」はいかがわしい。
一般的な反応だろうと思うが、「証拠のなくいかがわしい」のと「イメージがいかがわしい」のは別の問題である。
http://www.paperbirch.com/webber/jwphoto5.html
少なくとも、この「エクトプラズム」は「協力者が布状のものを掛ける」という事をしなければ「現象として成立しない」
心霊現象としてではなく「エクトプラズム」という現象には「調査」をする必要があるのだろうと思う。
これを、まともな調査もせずに「トリック」と断言するのは「常識の迷宮に迷い込んでいる」と言う事である。
Kは「思考回路の存在しない思考というものは無い」と考えている。
多分、死後の世界も幽霊も存在しない。
幽霊は「生きている人が創造する」のではないかと推理している。
「天国も地獄」も「人間の心が生み出す想像の産物」だろうと思う。
生きていた時に「出来なかった事」が死後に出来るようになるとは思えない。
思考というのは「脳」という機関が存在して「有る」のである。
例えば「予知・予言」
未来予測は「データ分析によって、相当の精度で可能」である。
「読心」も「その人の行動パターン」や性格の分析によって「可能」である。
そもそもが「全てがDNAのプログラム」という説もある。
多分であるが、人間には「思考の共有性」があり「共鳴性」という部分がある。
無意識レベルでは「一種のテレパシー通信」のような電波通信的なものがあるのだろうと想像している。
以前から何度か触れているが「念力計」というものがある。
http://www1.odn.ne.jp/jiryu/cnts/pk-1.html
それは、相当数の人が「手を触れずに動かせる」らしい
http://spiritmusic.asablo.jp/blog/2005/09/02/60457
「アホらしい」と考えるのは、一般的な反応だろうが「何を根拠に、そう断ずるのか?」
合気道という武術がある。
開祖 植芝盛平などの達人技は下記で見ることが出来る。
http://bujyutu.seesaa.net/article/47944589.html
見た目には「出来合のやらせ」とも見えないこともない。
しかし、「やらせの武道を誰が後世に伝えていこう」とするだろうか?
植芝盛平氏は「九鬼文書」から「合気道」を生み出したとも言われ
出口王仁三郎氏のボディガードとして大陸にも同行
鉄砲の弾丸をよけたと伝えられている。
これらを「根拠も無しに、バカバカしいと切り捨てる」事は出来ない。
データが残り解析できるものは「分析」してみなければ「正否」を判断は出来ない。
逆に言うと「データ」もないのに「信じろ」というのは「勘による強弁」となる。
全ては「公平な第3者の目で分析が出来るデータ(根拠)」が示せるかどうか?に鍵がある。
どれほど「あやしい事」でも、証拠・データ・根拠が示せるのならば、「分析する価値はある」
しかし、どれほど「直感的に、信じたいような事」であっても、なんの根拠も示せないのならば、「信ずる事は、盲信」であり、心で判断しているのであって、「頭では判断していない」と言う事である。
論証責任を果たせないと言うことが「直感という主観の憑き物に憑かれている」と言う事である。