★阿修羅♪ > 雑談専用30 > 663.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
(回答先: 人権という言葉が袋叩きにあっているようなので一言。 投稿者 まとおせ 日時 2008 年 3 月 30 日 14:56:58)
>まとおせさん どうもです。
言葉尻を捉えても仕方がないのですが、一応書いておきますが、「行きすぎた人権擁護を否定しているのはKと、僅かな人」だけですから、現在、阿修羅では「Kの方が少数派」であり、袋叩きという表現は妥当ではないだろうと思います。
「君が代不起立」「死刑廃止論」などでKは「左派の常識」のようなものに疑問を呈してきていますが、その度に「孤立無援」で袋叩きにされてきたようなものです。
さて、前置きは、これまでにして「本論」に行きましょう。
>【子供の人権を尊重して、親が子供にいえない?】
まあ、そのような事もあるでしょうが、ここでの本質は
「教師・近所の人たちが、人権配意に足を取られて、注意がし難い」という事に問題があると思います。
よって【そんなことはあるまい、翌日ふてくされて学校に行かなくなっては困るからだろう。親の小さな利己心と勇気の問題だ。】
と言う意見は「あまり意味がない」と思います。
>【犯罪者の人権を尊重しすぎる?】
最近の「死刑回避」の流れは「被害者の人権を軽視し、犯罪を犯した者の人権を異常に重んじる」という傾向があるでしょう。
>【犯罪を見て見ぬふりをするのは、かかわりたくない利己心であって、「犯人の人権を尊重」しているわけであるまい。ただし警察に通報する義務はある。】
というトンチンカンな分析が、何で出てくるのか?分かりませんが、これ「精神病を疑われる人がいたら通報した方が良い」という主張に対峙させたものだとすれば、少しばかり「恣意的な誘導」の意図があるとしか思えない。
問題は「あなたは精神異常だ!」と面と向かって言うのは「人権侵害か?」という問題提起をしたら、なんで、このような「論理考証が示されるか?」でしょうねぇ〜
>【成人で職につかぬ子供、途方にくれる親の不憫、世間体を気にする勇気の欠如であって、成人のこどもの人権を尊重しているわけでない。】
とか言いながら、スパルタ的に教育をすれば「児童虐待だ!」とか過剰反応を示すのでしょう。
一方では「子供は独立した存在であり、親の価値観を押しつけてはいけない」と言い、また、一方では「親の勇気が足りない」と言う。
「方法論を取り上げておいて、自らは責任を回避して、正面から向かい合おうとはしない。」
正に【テレビのコメンテーターだな、それは。】ですねぇ〜
>【人権云々より、子供とのへその緒を切る時機を逸してしまったのだろう。】
人権云々が、子供とのへその緒を切る時機をを逸しさせる、社会環境を作り出したのでしょう。
「大家族から、核家族」への変化の中で「姑さんとは別居」という社会環境の流れを作り、知識のない「核家族」が孤立無援で子育てをするという環境が出来、さらに「個室」というプライバシーのバリアに守られて育てた事が「社会適応能力が欠如した人を大量生産する」と言うことに繋がってきたのでしょう。
しかも、学校教育にも「過保護」を求めたのでしょう。
シンデレラが10人もいるような「演劇を無理強いする父兄」に何を求めろと言うのでしょうか?
>【蛇足だけど、これほど大きな社会問題をオープンできない閉鎖社会。一番つらいのは、その親。自身の利己心なり、小さな勇気の欠如を認めたくないから、】
同和利権という問題も出てきていますが、上記のような【社会問題をオープンできない閉鎖社会】を生み出したのが「人権主義者であり、左翼思想」でしょう。
かれらは「言葉狩り」を行い。コミュニケーションの制約を主張したのでしょう。
つまり、国民を「甘やかすだけの社会を求めた」と言うことです。
権利のみを「教え」、「義務」については教えなかったのです。
それは「君が代不起立」にも表れていますが、「個人主義」を求めるだけで「集団生活の仕方」という部分は置き去りにしてきたのでしょう。
人という字は「支え合って人になる」のですが、他人に支えられるだけで、自分は誰も支えようとはしない「人ではない存在」を作り出したのでしょう。
その「人でない者」の人権は尊重される一方で「周りの人の人権」には誰も目を向けない。
だから「エセ人権主義」と主張しているのです。