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う〜ん、人権主義の結果が「廃人」を生むのかも?
http://www.asyura2.com/08/idletalk30/msg/573.html
考察者Kさん、どうもです。
Kさんが、どうしょうもない人間として引き合いに出される人物が
決って悠加そっくりで、誰かどこかで観ているのかなぁ〜
と思う位なので、Kさんが問題にしている対象については
それほど難題の「切り捨てるしかない」ような印象の人とは、さほど
強く感じる事はありませんので。
かなり問題ありで何とかしなくては、と言う切迫感は常にありますが、
社会的人権主義と繋げるのはムリで、子供との人権問題では重要です。
( 「大人」なら、他人から適切な指摘を受けた時は、内側から変ります )
人権主義で(切り捨てる方向で)対応するという事であれば、
人権が認められない相手なので、社会的に規制しなければならない対象と
受け止められる事になります。
明らかに子供扱いしている、と判断されても止むを得ないでしょう。
(まぁ、相手は大人なのに半人前なのだから、しかたがないでしょうが
内面は未完成でも、社会的には大人なので、人権の尊重は必要です。)
* * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
問題の原因と感じる人達(親や教師)の態度として
・子供の人権を尊重しすぎて甘やかしてしまう大人達
・ニート,フリーター(正職に就かない大人の息子,娘達)
以上の大人達の人権については尊重される必要があるでしょう。
その上で、
*子供の躾けでは、体罰はいけないもので、ねばり強い説得が必要。
*子供の躾けでは、生ぬるい感じの説得より、体罰で判らせ事が必要。
〜〜〜〜〜〜
さ〜て、悠加としましては、やや,体罰派よりなのですが
今回は、色んな意見を拝見してなるほどと思ったり、
やはり説得では効果があるのか心もとないと感じてみたり
でも、体罰のほうが効果的ですよ、と断定できる自信もなかったりで
正直なところ意見を述べる事ができませんでした。
過去を振りかえってみて、
体罰をうけて(少々ですが(笑))、大人になっている息子に
確認してみない事には、うっかり発言できないよなぁ〜
と思いながら、偶然にも(24日お昼時に)(一週間前からの約束で)
タイミングよく会う事になっていたので、聞いてみる事にしました。
躾けという事では、小学校時代迄が親との関りの大きい時かと思います
(体罰うんぬんの絡む問題としてはですが)
ひとり立ちした後は、何でも一人でやっていかなくてはならないので
親と一緒の時こそ、本物の躾けの必要なとき,とその当時は考えました
子供に良く思われようとか、やさしい親と思われたいとかの前に
子供の将来を考えて、躾ける(まあ普通の事なのですが,分からせる)
方法として( 一般的に善悪がはっきりしている事で) 分からないときは、
おしりをピシャリでしたね。
何が悪かったか、痛いのと関連付けるのを忘れないよう注意しましたが
中途半端なら効果が上がらないので、やらない方が良いでしょう。
めったにやりませんが、その時には真剣にピシャリですから、
おしりに手の跡のもみじ形(笑)が見える事も(一度ですが)ありました。
そういう事もあったし、それでも普段は何でも話してくれていました。
中学の頃かな、「お母さん、ぼく本当の子供?」
これは体罰する親の行為を思い出しての言葉でしょう
「当り前でしょう。本当の子供だよ」
心をこめて目を見つめて言って上げた。
本当の親でなければ、体罰はできないものなんだな〜。
本当の親で良かった、親心で思ったままの躾けができて
とその時に、本当に親としての充実感(実感)がありました。
子供には、こうなって欲しい。
親の主観がバリバリと音がしそうなほどの信念の主観でしたが
悠加と同じ道を歩むな。普通の幸せな人にな〜れ! という事です。
小学校時代は剣道を習い、中学ではユニークな熟にも通いましたが
そうなる経緯はちょっと思い出せませんが喜んでいた記憶はあります
まあ、普通の親の姿勢と殆んど変ってないようですね
親の期待を子供に押し付けている平均的親、というところでしょう。
「願う所」が、少し違っているだけです。「出世せよ」とは願わなかったのです
息子の現在は,この4月から、名は有名ではないが一部上場企業で正社員
(職種は悠加がやりたいと思って、中々うまくいかなかかった業種です(笑)
(これ迄,勤めた会社倒産とか紆余曲折もあって、ようやく春かと息子家族)
〜〜〜〜〜〜
なにやらかなり横道にそれてしまいましたね
そうそう、ところで
「子供の頃、時々痛かった?」
「全々、言われなければ思い出さないよ」
「体罰って、悪いと思う?」
「別に、今じゃ本当に何とも思っていないよ」
体罰は瞬間の行為だから、考えてやるものでもないし
説得だけでは判らない時もあるでしょう。
一週間ほどして、あの時は叩いちゃったけど
どうして叩かれたか、判っている?とか
話し合ったりすれば、理解し合えるから
親の信念で自信を持って対するのであれば構わないでしょうと。
という悠加としては、子供の頃親から体罰を受けた事は一度もなく、
親には、今でいう人権主義で対応されてきたように思っていますが、
それが良かったと思えば、親のように子供には人権主義で接したと
考えられるし。
そうではなくて、実際問題として 躾に体罰を取り入れているのは、
「悠加の親」のやり方を (無意識でも) 肯定してはいなかったから、
自身が親として子供に接するとき、体罰派になったのかも知れません。
子供が,親を大切にしたい、幸せにしたいと願っていても、人権主義で
育てられた子供は、社会的実力に欠け(廃人に見られ)がち?かも,で、
親を幸せにして上げたいと願っても、叶わない状況に置かれやすい。
これは、説得派,親の自業自得か?
・結果が優位に運んでいくのは体罰派か?
どちらが正しいとも、どちらが間違っているとも断定はできないような
気がしますが、(社会は循環形でベクトル的な上昇気流へ乗るか?)
大人が子供に 「人権尊重」と言う態度で接するのはよく解りません。
(アメリカ流人権主義を、対,子供の世界にまで拡大するものでしょう)
経験という貴重な集積から、教える義務となっているものも沢山あり
その解りきった事を分からせないと、子供が手さぐりで人生の貴重な
時間を費やしながら、獲得していく努力は大変なものでしょうから。
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どんな子供にしたいのか、
物事を始から考え収得させる方法。(自己完成目指す可能性ありか?)
(これは人権尊重の説得タイプ(または放任)で育てられると左翼系?)
社会的に収得されたものは、それを土台として、その上に展開していく
能力的な創造的姿勢を生じさせ維持していく方法としては体罰派か?
このような事は始めて表現する事であり、
体罰派といっても、相手の立場を考えないような感情的な体罰では
百害あって一利なし、気をつけないと逆効果になると思いますしね、、、
「体罰は考えてするものではなく瞬間の行為」だから前後の対応が鍵で
特効薬にもなるし、場合によっては副作用の出る性質のものでしょう。
まず、子供が社会の基本を収得するのは当り前。
そのことに対して
親が子供の人権などといった態度を、他の大人達に強要すると、
社会にも親にも、しっぺ返しが出ている現状かも知れないですよ。
とても難しい未解決の問題ではありますね
(この文へのレスには、時間の都合でお答できない場合があります)
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