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(回答先: 考えてみると、「対話が大事」と主張するのもほど、対話能力がないという気がする。 投稿者 考察者K 日時 2008 年 3 月 24 日 21:14:01)
具体的な事象を提示して、それに対しては、どう対処しますか?という質問と回答を
繰り返す訓練をした方が良い人は、たくさん居るような気がします。
特に、実際の仕事の現場って、まさに、毎日これの連続ですものね。
今日、茨城県で、無差別に8人の人に包丁を突きつけて殺傷した、キチガイ男のニュースがありましたが、
例えば、このようなバカには、警察官は容赦なく発砲すべきだと思うか?否か?
こういう具体的な命題を積み重ねていけば、対話だけで何もかも解決するなどという、
短絡的な答えにはならないはずなんですね。
ちなみに、私は、警察官は躊躇なく発砲して、射殺しても良いという意見です。
早い段階で、犯人を射殺しておれば、ここまで被害は広がらなかったかもしれません。
このようなキチガイ行状中に、対話は無力です。
様々な場面に応じて、それなりに最適な「圧力」「強制力」は、絶対に必要なのです。
警察官が少しでも発砲しようものなら、ヒステリックに告訴する集団の存在には、あきれます。
こんな思考停止な人権屋たちには、具体的な事例を設定して、彼らに、実際に演じさせてみれば良いのだ。
不良生徒への対応方法でも同じことでしょう。
少しでも教師役をやってみれば、対話だけでは、どうにもならないこともあると気付くと思います。
現場は、けっして奇麗事だけでは動かないものなのです。
「対話が重要」は、もっともなのですが、いつまでも、そんな理想論だけの世界にとどまっていて
もらいたくはないですね。
現場で働いている社会人なのであれば、尚更、「具体的事例」と「それへの対処」は、
現実的な部分にまで踏み込んで、ちゃんと、考えて欲しいものだとは思います。