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社会が狂ってきているような気がする。
Kは「常識という憑き物落とし」を行い「タブーに挑戦」してきた。
言わば、革新派であるが、それでも、最近の風潮には「保守派」に回らざるを得ない。
>【子殺しと子どもの自殺 (壺 齋 閑 話)】
http://blog.hix05.com/blog/2006/11/post_36.html
最近、父と話をしていて「おかしな人が増えている」という話題になった。
Kはストレスなどによって「論理的な思考が出来なくなった」という「精神障害」のことを言ったつもりであったのだが、父は「我が子を殺す母親」という例で話をした。
で、「我が子を殺す母親」でネット検索をして「ヒットした」のが上記のリンクである。
前から、若干気にしていたのだが、「精神異常と思われる人を見て、触らぬ神に祟りなし」という態度を取る人は多い。
その態度は「正解」だろう。下手に刺激をしたら「何をされるか分からない」という部分が第一にある。
相手は「異常な行動をする。」それは、常識では理解しがたい行動である。少なくとも観察した人には「その理屈が分からない行動をする」から「精神異常と思う」のである。
場合によっては「無言電話被害」に合うかもしれない。
闇夜の晩に後ろから「バットで襲われる」可能性もある。
事によったら「家に放火される」と言う事だって想像できるだろう。
何しろ、相手は「何を考えているか分からず、常識では判断できない」のである。
次に「第二点」として、個人の人権尊重という部分がある。
自分の行動が正しいと思っても、必ずしも「周りの判断も、それを指示する」とは言えない。
差別用語は「駆逐され」、他人へ対する「言葉の選択」は名誉毀損、誹謗中傷とされる可能性がある。
この世には「偽善」による「人権擁護」が渦巻いている。
極端に言うと「野党が、与党との対立点を想像するために、間違った人権意識を創造してきた」という部分が、今になって、災いになっていると思う。
「いじめは、いじめる方が問題で、いじめられた方の子供の罪は考えるべきではない」という意見がある。
これは、ケースバイケースだろう。
例えば「盗癖のある子供とか虚言癖のある子供」がいて、その結果として「いじめ」を受けているとすれば、それは「いじめられる方にも問題がある」としか言えないだろう。
最初から「原因究明」に「方向性を持たせてしまう」と言う事が「思考停止」と言える。
基本的に「いじめ」というのは「いじめられる方の子供」に「異端」な部分があるのだろう。もちろん、違うケースもあり、「いじめる方が、いじめる事を娯楽化して暇つぶしをする。」と言うような例もあるだろうが、基本的には「転校生」とか「出身地」とか「親の職業」、本人の「性格」、「行動パターン」、「風貌・容姿」、「服装」などが要因となるケースが多いのではないだろうか?
この内の【「転校生」とか「出身地」とか「親の職業」】さらに【風貌・容姿】が原因ならば、「いじめる方に問題がある」と言っても良いだろう。
しかし、いじめられる方に「改善の余地」があるものなら「改善の努力も必要」ではないだろうか?
最初から、その努力を放棄しながら、「いじめを撲滅しよう」というのは偽善ではないだろうか?
精神異常が疑われる人がいたら「早期に診断を受けさせ、診断によっては治療を受けさせる」と言う事は「ある程度、強制でなければ意味はない」
誰だって「喜んで、精神異常の診断など受けたくはない」
だからといって「本人が拒否する限りは、診断も受けさせられない」のでは「その人に関係する人の人権が侵害されている」と言う事にもなる。
積極的に関係を持とうとしなければ「触らぬ神に祟りなし」でやり過ごせる人なら良いが、そのような訳にはいかない人も存在していて「下手をすると地雷を踏む」という恐怖と隣り合わせで日々を暮らしているかもしれない。
多分、個人の人権尊重という中味に「間違った人権擁護」がすり込まれている。
早期に治療を施さなかった結果として「子殺し」という「昔の常識では考えられないような殺人事件として表れている。」
健康診断時に「精神鑑定」を組み入れて、「異常と判断されたら、隔離治療」でもするようにすると良いのかもしれないが、「そんな事をしたら、政府に悪用され、政府に都合の悪い人は、片っ端から精神病院に送られる」とかの批判が出てきそうである。
方法論とすれば「精神異常と思われる人には、誰でも、どこでも、本人に診断を受ける事を進められる」という社会システムを構築する事が望ましい。
それに対して「本人が過度の拒否反応を示す」のなら、その反応の異常度によって「報告・家族の承諾を得られれば、強制力も行使できる」というような事にしていかないと、社会に精神異常者が溢れるような事になる。
過労のストレスによる精神障害が増えてきている。
精神病院での治療は「色眼鏡で、見るのではなく、骨休めの休業」くらいに「価値観の変更をして」早期治療をするようにすべきであろう。