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そもそもここまで広がったケータイというツールを捨て去ることができるのか。
自分たちがそうするのは難しいと認識しているからか
抵抗しにくい子どもなら管理できるという発想が生まれる。
そうやっていつも大人の思惑を押し付け、次から次に子どもの権利を奪う。
まずは自分たちが見本を示してごらんよ。どうせできないのだろう。
線引きして子どものみケータイを使うなというのは不公平である。
「繋がっていないと怖い」、「今、ここにいる」という存在証明をなぜしなければいけないか。
それはケータイやゲームを禁止すれば解決するという問題ではない。
むしろ、消えたときの受け皿がない状況で禁止すれば多大な混乱を招く。
もちろんケータイには悪い面もたくさんあるが子ども特有の問題ではない。
資本主義が発展し、消費社会に組み込まれた子どもは「小さな大人」である。
子どもが大人社会の縮図としてしか活動できない状況に縛られているので悪い面が目立っているだけだ。
そうなってしまうのはケータイという武器を正しく使えていないからではないか。
正しく使えば陰謀でもなんでもない。利用してやるぐらいのハートが無くてどうする。
何に対しても言えるが悪い面にばかり目を向けていては将来の可能性をも奪うことになる。
ケータイが文化を活性化し生きやすい世の中を作るのではないか。
そういう面を深く考え、上手く生かす方法を探っていく必要がある。
ケータイを若者や子どもが大人に抵抗する武器として賢く使える方法を考えている。
再生産された「世間」といった狭い世界ではなく、グローバルに繋がるインターネットの面を重視したい。
この面が生かされないから、悪い面ばかり強調されることになる。中途半端な規制するくらいなら利用しやすくしたがいい。
普段、言いにくいことでも言える場をインターネットに求めることで大人への抵抗手段にできる。
現実社会で大人への抵抗手段が少ない現状では管理・規制の流れを断固として反対するのは当然だ。
一方的な大人の通告は撥ね付けるだけである。残念でした。
ケータイに限らず子どもへ向けた規制論を唱えるなら
順序としては現実社会で発言の場を確保した上で子どもが自分の力で判断できるようにせよ。
自助作用で年齢規制やフィルタリングの議論も当然出てくるから問題なし。
そういう自立を奪っているのは他ならぬ自立できない大人たちではないか。
そこまでして干渉し自分たちに都合の良い社会をつくろうとするなんて図々しい。
自分たちが精神の余裕を失っているから若者や子どもが恐ろしく見えるのだ。
大人は自分の世代が苦しんでいるからか、子どもを憎み楽しみを奪い同じ目に合わせたいかのようだ。
しかし、それはおかしい。あなた方の苦しみは今までの教育にあり、反発するなら自分より上の世代に怒りを向けないといけない。
教育の失敗は政府のみに問題があるのではない。自分のことしか考えてこなかった全員に責任がある。
そうやってこれからも大人たちは足を引っ張り合いながら生きていくしかないのであろう。それに子どもは関係ないし責任を負う必要も無い。
大人たちが態度を改めない限り、世代間の深い溝は決して埋まらない。
もう、そんな腐った大多数の大人たちが目を覚ますのを待っていられようか。
これからは大人が子どもに影響を与えるのではなく、子どもが大人に影響を与え社会を変えていく時代さ。
その中でようやく大人も今までの愚かさに気づき目を覚ますのではないか。
この時点で初めて、真の意味での子どもと大人が協力していく社会が生まれる。
それを邪魔して上から下への教育をしようとする大人はとっとと退場願いたい。
こういった腐れ大人は教育に口を出すくらいなら自分の生活が満足いくよう努力しなさい。
若者や子どもは自分たちの力で生きやすい世の中をつくるため真剣に考え行動する段階に来ている。
社会に関心を持たず自分の世界に埋没していては大人の計算通りになってしまう。
今の子ども世代は自分たちのことを考えるだけで満足せず
次世代の子どもたちに同じ苦しみを与えないような教育をも真剣に考えないといけない。
生きやすい世の中には子どものパワーが必要であり、気力の無い子どもが溢れていてはオシマイ。
子どもたちに期待し、やる気を持たせ、希望に溢れる未来を想像する大人。
下から上へ影響を与えられるようになる教育を本気で考えてくれる大人と連帯する道を模索していく。