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しばらく前から、考えていたのだが「このままでは、日本の将来なんてなくなる」と
しかし、巧く言語変換が出来ませんでした。
それを、今日の朝のNHKラジオニュースのニュースアップでニュースになっていた。
日本では「医師の責任の問い方」を考え直さないと「医療崩壊」するのである。
人間は「ミスを犯す生物」である。これはKの持論である。
「手術」という作業でも「ミス」は起こるべくして起こる。
ここで、ミスを咎めたら、「手術をする医師はいなくなる」
「手術をする医師がいなくなって、困るのは誰でしょう?」
これが、今回の問題です。
もちろん、医療ミスによって「失われた命」に泣き寝入りするのは口惜しい。
しかし、「助けようとして失敗したのを責める」のはどうであろう?
殺そうとして「殺した」のとはあきらかに違う。
雪山遭難者の捜索に行って、あと50メートル横のラインを進めなかったので結果的に救助できなかったという「捜索者」を責める事など「誰にも出来ない」
現在の日本では「事故が起こると、誰かに責任を求める」
悪意のある「事故」は別にして「地雷を踏んだ」というような不運の人(ミスをした人)「罪人」として「終結をさせようとする。」
こんな事をしていたら「誰も、リスクの少ない道を選ぼうとする」
それで良いのだろうか?
現実的に外科医へのチャレンジャーは減少しだしていると言う。
小児科医療・救急医療も崩壊に向かっているが、外科医も減ってきている。
もとより、多くの医師は「オーバーワーク」になっている。
寝不足が「ミス」を誘発する。
そこで、外科医のミスは「問わない」という事が検討されはじめているらしい。
「度重なる同様のミス」とか「カルテの改竄」というような悪質なものを除いて「医療ミスは問わない」のだそうである。
Kとすると「方向性とすると正解かな?」と思う。外科医の責任を問うのは「適切な範囲にとどめるべき」である。
しかし、外科医の環境を作った者の「責任」は別である。
もし「環境」が外科医のミスを誘発したのなら「環境を作った者」のミスは問われなくてはならない。
全ての人が「ミスを犯した当事者」に目を向けるが
「当事者よりも、環境とか背後を見た方が良い」
長時間過密労働をした上での「ミス」であった場合は「長時間過密労働をさせた者」の罪を問うべきである。
いずれにしても「人間のミスを許せない」という社会にすると「自分で自分の首を絞める」と言う事になる。