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(回答先: ベーシック・インカム宣言 たけ(tk)改竄版 投稿者 tk 日時 2008 年 2 月 17 日 23:11:16)
>tkさん どうもです。
本来ならば、このような「弱者保護・生存権の確立」という意味合いの意見に反論などしない方が良いのでしょうが、このままですと「ベーシックインカムの理念」そのものが「見向きもされずに消え去っていく」と思いますので、レスを入れされていただきます。
Kはこの意見では「駄目だ」と考えます。
>【人の命がお金が無いために奪われることはあってはならない。】
まず、この点は理念としては正解です。
憲法にも
「第25条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」
と言う項があり、これは「国が行うべき努力義務」として
「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」
とされています。
しかし、これを行うのは「帰属する社会」であり「国家」です。
それを踏まえた上で
>【繰り返しておこう。重要なのは、<すべてのひとに無条件で>支払われることである。ベーシック・インカムにおいては、われわれは誰も何者であるかを問われることはない。】
ろなると「無条件」であり「何者であっても」という事になります。
これを「言い方を変える」と「日本国民でなくても(=国民の義務履行は関係なく)」になり「社会機構の維持の障害となる存在であっても」という事になります。
社会という存在は集団的共生組織です。
最低限の条件として「出来る範囲での社会参加をする」という「社会を支える人」に支えられるという基盤を持って存在しているのです。
これが、一定限の「社会を支えようとしない人」を基盤としたら「社会は崩壊する」のです。
簡単に言えば「営業をする気のない社員を多数抱える企業は倒産する」と言う事です。
【生存のために労働を強制されない】のと「社会参加しなくても良い」というのは「別」です。社会参加をしないものによっては「社会は成り立たない」のです。
誰もオールを漕ごうとしないカヌーは「進めない」のと同じ事なのですが、多分ですが、支える人の比率が少なくなっても、一部の人は「懸命に支える努力をする」でしょう。
正直者がバカを見ると言う社会にしてはいけないのですが、BIは否応もなく、そのような社会になっていくでしょう。そして、すぐに「正直者も力尽き・倒れていく」でしょう。
行き着く先は「社会という組織の崩壊」です。
ですから、この案では駄目なのです。