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kanonです。
本日は、「裁判員制度の正体」西野喜一(講談社現代新書)を紹介させていただきます。
この制度の中身については、まだあまり世間に周知されているとは言えませんが、制度の施行を睨んで各自治体におきましては講習会などの啓発活動も盛んに行われてきている動きが散見されます。そういう訳で、まだなじみが薄いと思われます裁判員制度なのですが、静かにその施行に向けて着々と準備が進められている状況といえましょう。
さて、この制度は平成16年に「裁判員の参加する刑事裁判に関する法律」(以後、裁判員法)が制定・公布されたのに伴って、公布の日から起算して五年を超えない範囲内において施行するとされているので、遅くても平成21年には実施される予定になっている新たな裁判制度の試みと申せましょう。(戦前に陪審法が導入されたが、被告人の陪審員審理拒否が相次いで昭和18年に消滅した)
裁判員制度の導入に当っては、諸外国の制度を参考にして作られることになりました。それは、著者によりますと、アメリカやイギリスで取り入れられている陪審制とドイツ、フランスなどのヨーロッパ大陸の諸国で採用されている参審制の二つなのですが、両者は背景にある考え方や歴史的な由来が異なっているので全く別個の制度であると述べています。
本書では、裁判員制度の問題点を、施行前の審議の在り方(審議会委員十三名のうち、法律専門家の数を六名とし、法律専門家でない委員の数を多くした)やそこでのやりとり(改正を前提とした話し合い)など、或いは、憲法との融合性、または、裁判員法の第一条で書かれている『国民のなかから選任された裁判員が、裁判官とともに刑事裁判をおこなうことが、司法に対する国民の理解を増進させ、司法に対する国民の信頼を口上させることに役立つから・・・』としているその内容についての矛盾点を指摘するなどして、この制度の不備や欠点を暴きだしています。
ゆえに、改革派の前口上ともいえる、「健全な社会常識」を裁判員制度に導入するという、いかにも表層的なスローガンを暗黙の前提とすることなく、今、何故、裁判員制度が必要なのかを自分で考える上で是非とも読んでいただきたい一冊だと存じます。