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野生のニホンザルは弱肉強食ではなく共存共栄。群れの中でも群れ同士でも。餌づけされて初めてボスザルが現れる。
http://www.asyura2.com/08/idletalk29/msg/608.html
投稿者 きすぐれ真一 日時 2008 年 2 月 03 日 18:23:03: HyQF24IvCTDS6
 

Kさんが書いておられますが、

生存競争というのは基本的に「弱肉強食」ではないでしょうか?
http://www.asyura2.com/08/idletalk29/msg/479.html

「生存競争は弱肉強食」と考えるのが一般的だろうし、もちろん異種同士ならその通りなのだろうが、同種の間では標題の通り、野生のニホンザルは弱肉強食ではなく共存共栄をモットーとし、それは群れ内部でも群れ同士でも同じ。餌づけされて初めてボスザルが現れる。というのは、

『ニホンザルの生態』伊沢紘生著(どうぶつ社刊)
http://www.amazon.co.jp/%E3%83%8B%E3%83%9B%E3%83%B3%E3%82%B6%E3%83%AB%E3%81%AE%E7%94%9F%E6%85%8B%E2%80%95%E8%B1%AA%E9%9B%AA%E3%81%AE%E7%99%BD%E5%B1%B1%E3%81%AB%E9%87%8E%E7%94%9F%E3%82%92%E5%95%8F%E3%81%86-%E8%87%AA%E7%84%B6%E8%AA%8C%E9%81%B8%E6%9B%B8-%E4%BC%8A%E6%B2%A2-%E7%B4%98%E7%94%9F/dp/4886222064/asyuracom-22

に詳しい。とりあえず

↓伊沢氏が金華山島でニホンザルを追っている話。ちょっと長いけど。

『日本の「進化の隣人たち」』(毎日新聞)
http://www.mainichi.co.jp/hanbai/nie/nihonnoshinka_index.html

これを読んでもっとも感銘を受けたのが、

「島のサルは、本数が少ない種類の木は見向きもせずに通り過ぎ、群れ全員にわたるだけのエサが十分ある木を選んで食べるという。」

というところ。

まるで「寡(スクナ)きを患(ウレ)へずして均(ヒト)しからざるを患へ、貧しきを患へずして安からざるを患ふ。けだし、均しければ貧しきことなく、和すれば寡きことなく、安ければ傾くことなし」(『論語』季子第16)そのまま。

また、「生物は競争原理だけで生きるに非ず!!」という惹句(キャッチフレーズ)の

『金沢城のヒキガエル』奥野良之助著(平凡社刊)
http://www.amazon.co.jp/%E9%87%91%E6%B2%A2%E5%9F%8E%E3%81%AE%E3%83%92%E3%82%AD%E3%82%AC%E3%82%A8%E3%83%AB-%E7%AB%B6%E4%BA%89%E3%81%AA%E3%81%8D%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E3%81%AB%E7%94%9F%E3%81%8D%E3%82%8B-%E5%B9%B3%E5%87%A1%E7%A4%BE%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%AA%E3%83%BC-564-%E8%89%AF%E4%B9%8B%E5%8A%A9/dp/4582765645/asyuracom-22

には、1歳半ですでに後肢の片方がなくなっていた個体が8歳まで生きていた、という話がのっていて、確かにきびしい競争社会でならほとんど不可能なことだろうから(10万個の卵から1歳までたどりつくのは300匹、8歳までは21匹。1歳半の個体が8歳まで生き残る確率は10分の1程度。)、ヒキガエルの社会も競争社会とはいえないように思う。ただ、こちらは共存共栄ではなくて他人のことには我関せずの社会のようだけれども。


弱肉強食でない動物はもっともっといるのだが我々が知らないだけではないかとも思うのである。

kanonさんのお書きのように、

「ある支配者が多数を支配するために自然界を表面上で捉えただけの一つの考え方」(http://www.asyura2.com/08/idletalk29/msg/478.html

かも知れんので、「ワシらがリッチでおまえらがビンボーなのは自然の摂理じゃ。あきらめなはれ」というために競争が生物の本来のものであると宣伝してきた。我々はそれに洗脳されちゃった。何だかありそうな気もする。

このヒキガエルの著者の奥野氏曰く、「私たちの身近にいるカエル、たとえばトノサマガエル、アマガエル、カジカガエルなどでも、その最高寿命はわかっていないのである」。それは「たとえば10年生きる相手なら10年調べ続けなければその寿命はわからないという、しごく当然の事実からくる。激しい研究競争に勝ち抜いて出世するためには、そんな暇なことはしておれない」。「しかし、激しい研究競争下にある研究者は、どうしても生き物のなかに競争を見ようとする。その結果、けんかもせず、なわばりもつくらず、のんびりと暮らしている生き物は、調査の対象からはずされ、競争的な種だけが研究される。そして、「生物はすべて激烈な生存競争の下にある」などという結論が導き出されてくることになる」。

あるいは本を書くにしてもテレビで放送するにしても、何の競争もなくとりたてて活劇の見られないのよりはエサやメスをめぐって争っている場面のある方が見栄えがするので、「生物社会は競争原理で成り立っている」としてきたとか。

餌づけされて(伊沢氏によれば「食物の異常な局在」があって)初めて競争社会になるということでいえば、例えばアイヌは狩猟民族のゆえか競争社会ではなかったと思う。それほど獲物などを貯め込めるものでもないし、冬も長いのでたいして豊かにはなりえないし。羆を追って野越え山越えしてようやく仕留めた場合、挨拶方々その近くの部落に行って「この近くで羆を獲ったので肉を置いていくべ。食ってくれや」と、自分らは毛皮と胆嚢(熊の胆イ)だけを持って帰ったという話があったが、競争社会ならそんなことはありえない。自分の甲斐性で稼いだものをなぜ他人にやらにゃあいかんのだ、となる。甲斐性なしは自己責任だからホームレスになるなり首をくくるなり自由にすればいいのである。

厚生労働省のお役人さまも「(保険料の)滞納者になるのは悪質な人である」と仰せになるのである。
(【 後期高齢者制度 】  “悪魔の選択”  「あなたのせいなのだから,あなたが苦しめばいい」
http://www.asyura2.com/07/iryo01/msg/399.html
投稿者 どっちだ 日時 2008 年 2 月 02 日)

狩猟民族で思い出したが、「マタギ勘定」というのがあって、マタギはシカリ(統率者)も初心者も分け前は同じ。
http://www2.biglobe.ne.jp/~naxos/hida/hidahito014.htm

農耕民族は作物を貯蔵できるのでボスが出てきたり格差ができたのではなかろうか、と思うが、保証の限りにはあらず。ニホンザルと人間を同じにするな、この2つは別物であるといえばいえるであろうが、しかし少なくともニホンジンはニホンザルの親戚なので今まで競争するのをハシタナイと考える奴が多かったのである。ちがうか。

あと、ニホンザルの話から人間世界に当てはめるといろいろ妄想が浮かぶが、省略。

しかし下のtkさんのフィンランドの話を読んでるとまだまだ可能性がないわけではない、やり方もあるのかも知れんとは思いますです。

と、以上、「生存競争は弱肉強食」に対しての条件反射でした。

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