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発想の転換は決して難しくはない。
「押しても駄目なら引いてみろ」が基本である。
で、「引いても駄目なら、横にスライドするとか、シャッターのように押し上げると言う場合もある」
働かないのに「賃金を支払う」
これは、端から無理だろう。
労働者は「様々な工夫をして、資本家層から、より多くの賃金を得ようと努力してきた」わけであるが、春闘というような「必要な賃上げ」であっても、簡単には「ぶち抜けない」のであるから、「ハッキリ言って、巧妙に資本家層を誤魔化さねば勝ち目など無い」のだろうが、BIが通るわけがない。
入出が拒否されていて警戒網が張られている屋敷に忍び込もうという時に「正面玄関から堂々と入ろう」としたら「門前払い」に決まっているだろう。
いずれにしても「出来る仕事は行う」ようにしなければ先には進めない。
「働かざる者食うべからず」は「憑き物であっても、理にかなっている」
共生社会は「みんなで支え合う」から保たれるのであり、土台が崩れれば瓦解する。
要は「楽しい仕事を創造する」事が肝要なのである。
自分の出来る分野で「社会参加をする」
適材適所とも言うが、「やりたい仕事をやれる」という社会システムを構築する。
「苦しい仕事」「嫌いな仕事」であるから、「労働拒否・引き籠もり」が発生する。
その人に「合った仕事」なら続けられるだろうし、能率も上がると考えられる。
「対価報酬を得るための仕事」ではなく「楽しんで、おまけに賃金も付いてくるという仕事」なら「何も不満はない」のではないか?
そう言った方向で「仕事を創造」するという方向性が正しいのだろうと思う。
無論、それは簡単ではないかもしれない。
しかし、BIという邪道の「乞食奨励法」に掛けるよりは100倍発展性があると思う。