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Kは「極め付けのバカ」である。
ちなみに、これは自称ではなく「他称」である。
http://www.asyura2.com/0502/kanri8/msg/984.html
Kとすると「至高のバカ」でありたいのだが、他人の評価であるからいかんともしがたい。
今日、太田光総理のマニフェストは「国家が格付けをして、評価の低い病院は潰せ」という内容のものだった。
で、討論があったわけだが、どちらも「何も分かっていない」という論戦が繰り広げられた。
Kに言わせれば「医療崩壊」も「教育崩壊」も是正するのは「簡単」だろうと思う。
で、もしも、このスレッドの読者が「Kの意見を聞いて、納得する」ようならば、こんな「簡単な是正策を思い付かない日本の有識者は、極め付けのバカよりもバカ」という事の論証になるだろう。
で、早速だが「是正策」を発表しよう。
医師資格・教員資格は「やる気」を判定する試験だけで、「意欲があり、やる気がある人には、資格を与えるようにすれば良い」というだけの簡単なものである。
そんな事がされたら「医療も、教育も技術水準が低下する」と言う意見が予測されるが、無論、資格を取っても「すぐに現場で独り立ちさせるわけ」にはいかない。
概ね、2年程度、指導医・指導教員に従って、研修兼経験を行う事にはした方が良い。
現場の崩壊というのは「主因」として「現場の人手不足」が考えられる。
「救急患者のたわい回し」も「手の空いている医師がいなければ、起こるべくして起こる」のである。
「たらい回しを批難する前に、たらい回しの言い訳ができない人員配置をすれば、言い訳できなくなる」のである。
これは、教育の現場でも同様である。
「1人で同時に2人の患者の手術をしろ」と言っても駄目である。
無理にさせれば「2人共に死んでしまう」くらいのものであろう。
で、方向性とすると「ろくな医者がいない・ろくな教師がいない」という世論が形成され「役立たずは排除しよう」という方向になり、現場は「更に手薄になって、更に被害が拡大する」という悪循環に陥る。
太田総理の番組でも「モラルの低い医師」が取りざたされていたが、そのような悪徳の医師もいるだろうが、「忙しさのためにツッケンドンな対応になっている医師」もいるだろう。この段階で「排除したなら、見た目の評価・印象」によって、排除されて、更に「繁忙がツッケンドンな対応を生む」だけである。
方向性が逆なのである。「モラルの低下」というのは「排除する」のではなく「淘汰させる」ように考えるべきである。
市場原理からすれば「需要と供給の関係が飽和すれば、質の悪いものは自然と淘汰される」のである。
「偉そうな事を言っているだけで、高い銭を取って、まともな治療も出来ないような医師」とか「サボり教師」は淘汰されるのである。
「間引く」のではなく「飽和」を目指せば良いだけなのである。
一概には言えないだろうが「医師も、教師も、最終的には意欲と、やる気が最大の資質」だろうと思う。
「知識は必要ない」とまでは言えないが「本で覚える、過去の知識」は、重要度は「さほど高くない」だろうと思う。
その先は「体験」と「向上心」であり、試験で「暗記能力」を調べたって、たいした選別にはならないだろう。
医師なら「誤診した時のリスク」とか「人の生命を与るという事の意味」を十分に理解してもらった上で「出来るという自信」と「リスクを知りながらも、それでも、医は仁術なので身を捧げたい」というような「決意」を判定できれば「下手なペーパーテストより選別ができる」と言う気がする。
その上で、指導医の元で修行させ、自信がなければ「辞めても良い」し「指導期間を自ら延ばしても良い」
「変な、勘違いで、自分は出来る」と思っても「実力が伴わないのなら淘汰される」のである。
試験を難しくしたり、ハードルを高くした上で「定期的に審査する」という方向では、本当に「人材が育成される」のではなく「試験の得意な者が育つだけ」だろう。
と言う事で、Kの意見をどう感じただろう?
仮に「良い意見だ」と思ったのなら、この程度の事に気がつかない「日本の有識者」は「極め付けのバカ」のKよりも「更にバカ」と言う事が論証されるのである。
釣られるのも楽じゃない。