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(回答先: 5人の住民、時給1000円で100時間の仕事の「共生社会」の《ベーシック・インカム》←題名変更 投稿者 tk 日時 2008 年 1 月 18 日 00:47:26)
たけ(tk)さん、こんにちは。
過日は、 http://wiki.fdiary.net/moikomi/ の再発進のご案内をありがとうございます。
そこで、たけ(tk)さんの思索ノートへのレスで阿修羅板をお借りすることになるのは大へん気が引けるのですが、『民可使由之。不可使知之。』に関しては多少心に引っ掛かるものがあり、キーボードに向かったような次第です。
さて、孔子に纏わる言行録の総てにあたっているわけではないので暴挙の謗りを免れ得ないものですが、敢えて推論を申し上げますと、果して孔子の視界に明確に“民”が入っていたか否か、つまり“民からの視点”があったかどうかについては大いに疑問をはさむ余地があると思っています。
孔子の政治思想の対象者は主に当時の為政者及び執政の候補者群であり、おそらく、孔子自身のキャリアの糸口も政治の指南役になることにあったのではないでしょうか。その孔子が目指し唱道していたものは所謂“仁”という徳目に基づいた聖人もしくは天子による政治であり、先ずは“天子の求心性”を高めることを第一義的なテーマとし、“民への遠心性”(訴求性)は第二義的なものに措かれていたのではないかと想われます。
したがって、『民可使由之。不可使知之。』は従来通りに「(天子は自身の為すことに)民を由らしめることを旨とし、(天子は自身の為すことを)民に知らしめることではない。」と解釈し、その趣旨は「民を誘導することについて彼是と腐心するのではなく、民に慕われ民が自ずと従って来るように“仁”徳を積むべきである。」と捉える方が、孔子の思想性から考えても妥当な線ではないかと思われるのです。
ところで、BI(ベーシック・インカム)については、システムに関する検討や論議は勿論ですが、根本理念に立ち返って、それを含めて今日的事情の改善にどう落とし込めることが可能かどうかの問題を考える必要があると思っています。
それには先ずBIが結果の公正性に纏わるような例えば労働の対価としてではなく、生存のための基本保証をしていこうとする、言わばスタート時点での公平性を担保する制度であるとの認識に立脚することが肝要であり、後は財源規模の設定と資金繰りがテーマになると想われます。財源確保のためには国民を見做し公務員にすることや特別会計予算(180兆円)からオペレーション・コストである一般会計予算(90兆円)にどの程度組み入れるのがよいのかと云ったようなクリアすべき財政上の問題が出てくると予想しますが、それについて披瀝ができるまでには自身の考えが纏まらず、今のところ会話への参加を控えているような状態です。
また、会いましょう。