★阿修羅♪ > 雑談専用29 > 211.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
(回答先: Re: 法律論について (ueyamaさんへのレスを兼ねてます。) 投稿者 ueyama 日時 2008 年 1 月 14 日 13:45:36)
>ueyamaさん どうもです。
まず、人権についてKの考えを書いておきます。
生存権(生きる権利)+自由行動権(自由に行動する権利)+拒否権(嫌な事は行わない権利)+他もろもろ
を総じて「人権」とKは考えています。
ただし、これは、自分だけにあるのではなく「他人にもあって、それを尊重する」というのが「社会の共通認識として存在してこそ、自分の人権も守られる」ことを理解する必要があります。
仮に「母親」に「我が子の生存権を守ろうと言う気がなく」、自分の自由行動権を行使して「パチンコ屋でパチンコに高じている」というような事があると「あかちゃん死亡」とか言う悲劇が起こります。
基本的には「権利」はあるのですが「おのずから制約は受けている」のです。
>【明文化しなければいけないのでしょうか?あるいは、「他人の自由を侵害したらだめ」と明文化すればいいのではないでしょうか?】
ueyamaさんは人権というものが「良く分からない」と言う事ですが、Kだって完全には判ってはいないでしょう。
そうであるなら「具体的に、この行為はしては駄目」と明文化しなければ「する人が続出するかもしれない」のですよ。
変な事件が「一件発生」すると、必ず「明文化されていないのが悪い、政府の責任だ!」と言う非難が発生するので「法律がいっぱい明文化される」という悪循環になっていますが、人間というのは「具体的にやってはいけない事を書き示さないとやってしまう。」という幼児性と、「書いてないからやっても良い」という自分に都合の良い解釈をしたがる狡猾な部分を合わせ持っているので「明文化」されてしまうのです。
もちろん、そのような「意味を理解しようとしない」という人は多くはないでしょう。
しかし「それくらいの事、読めば理解できるだろう」と言う事を理解できない人も少なくない人数でいる。のです。
例えば、ueyamaさんに対し、Kはかなりの解説をしていますが、理解されないのと同じ事なのですが、「書いた人」と「読む人」は「基礎知識も、考察能力も、思考性も違うから、アッサリ書いても理解されないし、くど過ぎるくらいに書いても理解されない」と言う事になるのです。
>【「八つ墓村の法則」】
というのは、龍神様のお怒りを沈めるために「生け贄を捧げる」というくらいの「外部から見たら呆れ果てるような事」も罷り通るとでも解釈して下さい。
例えば「ヤクザの世界」では下手を踏むと「指詰め(小指切り)」を行います。
昔の武将は失敗すると「切腹」をしました。
外部から見たら「理解できない」というような「しきたり」があるという事です。
開かれた公開制を「政府」に対しては「要求する事」が可能ですが、「民間」だと「閉鎖的」でも「許される」という部分があるという事です。
どこかの部族では「成人の証にバンジージャンプ」をさせられるそうですが、高所恐怖症のKにとっては「拒否権行使」が許されないのなら、逃亡するしかありませんね。
>【日本の国益日本の国益と騒いでいませんか? 国益というのは利益ではないのですか?】
国益の定義にもよるのでしょうが、病気で働けない人の保護、生活保障制度などは、採算性を無視した福祉活動です。
企業の場合の利益とは「他の企業に勝つための体制作り」であり「一般的な国益とは、国際競争力に打ち勝つための戦略手法」ですね。
全てが国益でしょうと言ってしまえば「そうとも言えるでしょうが」
富国強兵の方向を「国益」と定義すると「それに逆行する人権保護」も行うのが政府で
民間企業では「リストラ」をしても「企業の採算性を向上させる」でしょう。
>【私は権力を悪だと言っているのです。また、民間の全てが信じられるなんていってないでしょう?てんでばらばらに、自分たちがコミットできる集団を選ぼうよ、といっているのです。集団で、これにコミットしろ、と押しつけるんじゃなくてね。】
権力(政府権力も含む)は「悪」ではありません。
使用する人によって「悪」になることもありますが、本質的には「悪でも善でもない」でしょう。
銃と同じですが「道具みたいなもの」です。(兵器も使う人がいない限りは悪にはなりえないですし、使用用途として悪に使われる頻度が高いですが、使い方次第では悪ではない使用も可能)
問題は「使用環境」と「使用者」と言う事ですが、権力自体は「悪」というのはおなしいでしょう。今回のやり取りでは「当然ながら政府権力であり、つまりは政府」でしょう。
で、政府も「機構システムとしての名称」でしかないから、本来の嫌う対象は「現政府与党の自民党」か「今まで政治を司ってきた政党」でなければ、おかしいのではないかと思います。
ただし【てんでばらばらに、自分たちがコミットできる集団を選ぼうよ、といっているのです。集団で、これにコミットしろ、と押しつけるんじゃなくてね。】という部分には意味があるでしょう。
でも、なんかの権力(特に国家権力)が「集団への強制加入」を求めたりしないでしょう。
結論的には「生まれ落ちたから変えられない日本生まれに俺は不満だ」と主張しているとしか思えませんが、これは「運」ですから、変えられないのですが、日本は好きだとも言っているので「結局は政府が持つ権力を無くしたい」という主張でしょう。
簡単に言えば「日本国帰属をコミットしろと押しつけたのは運命の神様であり」
恨むなら「自分の運の無さ」にならざるを得ないのでしょうが、自由選択権の行使のしようもないでしょう。
「受け入れざるを得ないものは、受け入れて、改善するしかない」でしょうが、政府などに「何も要望したくない(=要望するのは何もしない事)」
これでは、どうにもなりませんねぇ〜 (苦笑)
ひとつ「例え話」をしましょう。
5人の人が共同生活をしていて、一台の車を持っていたとします。
車は定期的に掃除洗浄が必要ですが
1 5人が順番制で「それを行う」
2 5人の都合を合わせて5人がみんなで同時で行う
3 5人の中で「一番上手にやれる者が、みんなに感謝されて行う」
4 5人の中で「一番上手にやれる者が、みんなから、集めた報酬をもらって行う」
5 5人が順番制で責任を持った上で、各人が「自分でやるか、お金を払っても、上手くやれる人にやらせるかを選択すれば良い
6 5人がみんなでお金を出し合って「外部の委託業者にやってもらう」
で「正解はどれでしょう?」
正解など無いでしょうね。
しかし、人には「得手不得手があるわけですし、責任分担を明確にしての5番」当たりが妥当かな?と思います。
5人に十分なお金があれば、「6」でも良いでしょうし、
専門にやる人が「損を承知でやってくれる」のなら「3」でも良い。
お金に余裕がある人は「お金ですむ事ならお金ですませる」と言う選択もありでしょうし、時間を大切にする人は「人の好意に甘えようとするかもしれません」が「相手が良いのなら悪いとは言い切れない」
何が言いたいのかと言えば「公務員に頼れば、それほど問題なく処理させる」のなら、それを選択したって良いでしょう。と言う事です。
年金問題で杜撰な処理をしたとしても「被害者の特定ができないと言う事は、被害者は分からないので、仕方がない」と割り切ってしまえば「後は平和」です。
相当数の人は「すでに他界している」という可能性もあるでしょうし、被害者が分からないのなら「被害を実感している人はいない。」ということです。
「民間がやれば良い」と言う事もあるでしょうが、無理にシステムを再構築するだけの価値があるかは分からないし、民間にやらせれば「ミスなど発生しない」とも言い切れない。
まあ、どうでも良いですがね。