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−−「アウシュヴィッツ『ガス室』の真実/本当の悲劇は何だったのか」−−
第6章 「ホロコースト」の政治学
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イスラエルのガザ空爆・侵攻から2か月が経とうとして居ます。
報道は減りましたが、医療状況の悪化をはじめとする現地ガザの民生の状況には、深い憂慮を抱かずに居られません。
−−報道の減少は、逆に、国際社会の関心の低下を招くのではないかと憂慮して居ます。
イスラエルのガザ侵攻と、それによって生じたおびただしい民間人の被害に対する私の抗議として、特に、何の罪も
無い子供たちの被害に対する私の講義として、私の著作である 『アウシュウィッツ『ガス室』の真実/本当の悲劇は何だったのか』
(日新報道・1997年)の一部(第一章)の全文をお送りします。
コピペによる転送、転載を歓迎します。以下の文章の一部分でも全体でも、自由に御利用下さい。ただし、文章の変更は
お断り致します。文献参照、写真、グラフ、図、などは、労力の問題と技術的理由から、割愛させて頂きましたので、
御覧になりたい方は、本の実物で御覧下さい。
イスラエルのプロパガンダである「ナチのガス室」をまだ信じて居る御友人、御知人などにメールとして転送される事や、
各種掲示板に貼り付けて下さる様、お願い申し上げます。−−イスラエルがガザで行なった民間人殺戮への抗議活動として、
そして、民生状況の劣悪化への抗議として、御協力をお願ひ申し上げます。
これは、私のインティファーダです。
http://spn05738.co.hontsuna.com/article/1059522.html
(この本についてのサイトです)
2009年2月23日(月)
西岡昌紀
(以下本文/転送・転載歓迎)
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(第5章 真の悲劇は何だったのか の続きです)
第6章 「ホロコースト」の政治学
−−前章まで読まれた皆さんの多くは、「自分は今までこの問題を知らなかった。何故、新聞もテレビもこういうことを両論併記の形ででも言わないのか?」と思われたことと思います。当然の疑問です。私自身、この論争を知って最も考え込まされたには、その問題に他なりませんでした。
私を含めた圧倒的大部分の日本人がこの論争について何も知らされてこなかったのは、言うまでもなく、マスメディアや「歴史家」が、戦後、一貫してそれを語ろうとしなかったです。しかし、それでは、その日本のマスメディアや歴史家が何故それを語らなかったのかと言うと、それは、彼らが知らなかったからです。本当です。私は、「マルコポーロ」廃刊事件の前と後、実に多くの日本のジャーナリストや学者に会い、話をしましたが、彼らは本当に何も知りません。つまり、彼らは、知ってて語らなかったのではなく、本当に知らなくて、この論争について語ってこなかったのです。彼らは、こうした論争の内容はおろか、論争の存在すら知りません。そして、それは、彼らが、現代史に関する機会は多いものの、偏った情報にしか接しないため、両論からこの問題を見ることができなかった結果だと私は思います。つまり、現代史に関する欧米発の情報が著しく偏ったものであったために、日本のジャーナリストや学者たちは、「ホロコースト」に関して一方の主張だけを「定説」として聞かされ、「刷り込まれて」きたわけで、その結果、彼らの書くものは一方の主張の繰り返しに過ぎなくなってしまったと言ふことです。その意味では、彼らも「犠牲者」と言えなくは言えなくはありません。しかし、それでは、「ホロコースト」に関する欧米発の情報がそんなに偏ったものであったのは、一体、何故なのか?それを考えない訳にはいきません。−−
(西岡昌紀『アウシュウィッツ『ガス室』の真実/本当の悲劇は何だったのか』
(日新報道・1997年)250〜251ページより)
−−この疑問に答えることは、簡単ではありません。しかし、ここでは先ず、そうした状況の背景に、欧米での言論規制があることを指摘しておきたいと思います。そうした言論規制が存在するために、欧米では、この問題について、マスメディアでも取り上げられる情報は著しく偏ったものになってしまい、日本のジャーナリストや「歴史学者」が接する情報もそんなものばかりになってしまったことを、先ずは知って頂きたいと思います。
もっとも、こんなことを言うと、驚く方もあると思います。「えッ言論規制だって?」と。そうです。「ホロコースト」については、言論規制が今現に行われているのです。それも、私たち日本人が「民主主義国」として尊敬してきた国々においてです。
ドイツをはじめとして、オーストリア、フランス、スイス等の国々において、信じ難いことに、「ナチのガス室」や「ユダヤ人絶滅計画」に疑問を投げかけることが、法律で規制、または禁止されているのです。そして、その中には、例えばドイツのように、場合によっては、「ナチのガス室」を疑う発言をしただけで禁固刑(!)に処せられる国すらあるのです。これは、歴史上の事実に関する議論が国家権力によって規制されていることを意味しますが、こうした傾向は近年強まりつつあると言って間違いではありません。−−
(西岡昌紀『アウシュウィッツ『ガス室』の真実/本当の悲劇は何だったのか』
(日新報道・1997年)251〜252ページより)
−−また、政府による規制または禁止に加えて、一部の過激な人々が、「ガス室」に疑いを投げかける研究者などに暴力を加える事件が多発しています。テロそのものです。「ホロコースト」見直し論者の研究書を出版する出版社が放火され、膨大な資料が灰にされるという事件もありました。まるで、フランソワ・トリュフォーの映画『華氏451度』の世界ですが、現実にそういうことが続いてきたのです。このように、テロをも含む過激な活動を行ない、「ホロコースト」に関する自由な研究や討論を抑圧してきた最大のグループは、はっきり言えば、シオニスト過激派の人々です。−−
(西岡昌紀『アウシュウィッツ『ガス室』の真実/本当の悲劇は何だったのか』
(日新報道・1997年)252ページより)
−−ここで言うシオニスト(zionists)とは、ユダヤ人社会における「民族主義者」または「国粋主義者」のことですが、彼らは、第二次大戦後、中東に生まれたユダヤ人のための新国家イスラエルを熱烈に支持してきました。彼らは、欧米の世論をイスラエルに有利なものにしようと、アメリカやヨーロッパで組織的なロビー活動や政治運動を行ない続けてきましたが、その中には、過激グループによる暴力的な活動も含まれています。そうした過激グループの一部が、「ホロコースト」に関する自由な言論を暴力まで用いて妨害してきたのですが、私は、これは、ユダヤ人自身にとって、あまりにも不幸なことではなかったかと思うのです。
私は、ユダヤ人という民族はとても尊敬していますし、シオニズムが発生した歴史的経緯についても、実はかなり同情的な人間です。シオニズムは帝政ロシアのユダヤ人迫害が生んだものと言えますが、その帝政ロシアの圧政にユダヤ人が耐え切れないと感じたこと自体は、当然だったろうと思うからです。しかし、そのシオニストが近現代において行なってきたこうした行動については、私は、ユダヤ人を尊敬するが故に批判的にならざるを得ません。−−
(西岡昌紀『アウシュウィッツ『ガス室』の真実/本当の悲劇は何だったのか』
(日新報道・1997年)252〜253ページより)
−−日本のマスメディアは何故か、こうしたシオニスト過激派のテロについては報道しない傾向があります。そのために、皆さんの多くはこうした話に当惑しておられると思いますが、このようにシオニスト過激派は、狂信的かつ暴力的な活動を、パレスチナのみならず欧米においても、自分たちやイスラエルを批判する者に対して執拗に加え続けてきたのです。
そうしたシオニスト過激派たちの活動の延長線上に、「ホロコースト」の再検討に対するテロ活動があったと私は思います。そして、シオニスト過激派がそのような攻撃を「ホロコースト」を見直そうとする人々に加えてきた理由は、シオニスト過激派にとって、「ガス室」にそれだけの政治的価値があったからだとしか考えようがありません。
では、「ガス室」の持つ政治的価値とは一体何だったのか?それについて考えなければなりませんが、その前に、一言言っておきたいと思います。真実が何であれ、このようなテロを続けてきた人々こそは、ナチスの犠牲者たちを冒涜しているのではないでしょうか?ユダヤ人を尊敬する日本人の一人として、私はそれが残念でならないのです。−−
(西岡昌紀『アウシュウィッツ『ガス室』の真実/本当の悲劇は何だったのか』
(日新報道・1997年)253〜254ページより)
−−ここで、その問いに対する私の考えを申し上げましょう。私は、シオニストたちにとって、「ガス室」神話は、イスラエルの拡張政策に対する国際世論の支持を得るのに非常に役立つ「歴史」だったのではないかと思うのです。それが、シオニスト過激派にテロまで行なわせ、「ガス室」や「ユダヤ人絶滅計画」といった「歴史」を固守させてきた最大の理由ではなかったかと、思うのです。それは、例えば、イスラエルを支持するユダヤ人の学者が次のように書いていることからも窺えると思うのですが、皆さんはどう思われるでしょうか?
「ホロコーストがシオニズムを正当化する機能を持っている事は、1979年の世論調査が証明している。テレビ映画『ホロコースト』シリーズ(1979年に米国で製作された、四部からなるテレビ映画シリーズ。ドイツに住むユダヤ人一家がホロコーストに巻き込まれ、離散し、収容所で殺されていく歴史を描いた作品。世界中で評判となった。)を見たあと、青少年の68パーセント、青年の55パーセントが、『シオニズムとイスラエル国家の意義が以前より明らかになった。』と答えた。まかでも、中東系ユダヤ人や若年層、高等教育を受けていない層は、テレビの『ホロコースト』を見たあとでは、この関連がよりよく理解できた、と考えている。ホロコーストが持つ道具としての、また論拠としての価値を、私たちは改めて認めなければなるまい」(ミヒャエル・ヴォルフゾーン著・雪山伸一訳『ホロコーストの罪と罰』講談社現代新書)
つまり、ユダヤ人はこんなひどい目に会ったのだから、そのユダヤ人が作った新国家イスラエルを支持するべきだ、批判するべきではない、というのに、「ホロコースト」の協調が非常に役立ったということです。右(上)の記述は、ヴォルフゾーン(Wolfsohn)という、イスラエル生まれのユダヤ系の学者が書いた本の一節ですが、だからこそ、説得力があると言えないでしょうか?−−
(西岡昌紀『アウシュウィッツ『ガス室』の真実/本当の悲劇は何だったのか』
(日新報道・1997年)254〜255ページより)
−−このヴォルフゾーン教授はまた、この本の中で、次のような興味深い事実をも紹介しています。
「イスラエルがドイツ外交の阻害要因であることは、1956年から57年にかけてのスエズ危機の数か月間にあらためて明瞭となった。イスラエルは米ソの要求にもかかわらず十一月に占領したシナイ半島からの撤兵を拒否した。イスラエルへの圧力を強めるため、ダレス米国務長官は友人であるアデナウアーを訪ね、イスラエルが占領地からの撤兵に抵抗している限り賠償金の支払いを凍結するよう求めた。アデナウアーはこの不当な要求を拒否した。補償は原則に関わる問題であり、撤兵は日常政策レベルの問題である、というのが理由だった。自らのイスラエル政策を守るために、彼はもっとも重要なパートナーであるダレスとの関係悪化も甘受したのである」(同)
ここで言う「賠償金」とは、当時の西ドイツ(ドイツ連邦共和国)が、「ホロコースト」の保障として支払っていた「賠償金」のことです。これは、50年代のいわゆるスエズ危機、別名・第二次中東戦争の裏話ですが、大変興味深いもので、当時の西ドイツ政府がこの時、少なくとも結果的には、イスラエルの軍事行動を事実上、支持したことを意味するものです。
この話で興味深いのは、この時、西ドイツ政府が支払った「賠償金」が、アメリカによって、中東情勢を左右する重大な要素と見なされていたことです。アメリカが、この時期から、必ずしも親イスラエルではなく、アラブとの協調を求めていたことも興味深いことですが、ここでは、それよりも、西ドイツが、「ホロコースト」の賠償金として払っていたお金が、このように、中東情勢を左右する要素と見なされ、しかも、イスラエルとアラブの和解を阻害する要因であったことに注目したいと思います。即ち、この逸話は、ドイツがイスラエルに支払っていた「ホロコースト」の賠償金が、戦後国際政治の中で、イスラエルの軍事拡張路線を推進する力となっていたことを証明する逸話なのです。そして、それは、「ホロコースト」が単なる「歴史」ではなく、イスラエルとそれを支持するシオニストたちが欧米から援助や支持を取り付けるための切り札だったことを示してはいないでしょうか?
問題は、それが誰に犠牲を強いたのか、ということです。それは、イスラエルの軍事拡張政策の犠牲となった人々、即ち、イスラエルの軍隊によって土地を追われたパレスチナ人他の人々ではなかったかと、私は思うのです。イスラエルに好意的なヴォルフゾーン教授は、先の記述の中で、お読みの通り、当時のアデナウアー(Adenauer)西ドイツ首相の行動を称賛しているわけですが、これは果たして、賞賛されるべき行動だったのでしょうか?−−
(西岡昌紀『アウシュウィッツ『ガス室』の真実/本当の悲劇は何だったのか』
(日新報道・1997年)255〜257ページより)
−−「ホロコースト」が、単なる「歴史」以上の何かとして戦後の国際政治に利用された例は、他にも挙げることができます。例えば、戦後しばらくの間、イスラエルへの武器援助において、西ドイツが重要な役割を担っていたことなども、その一つに挙げられるでしょう。先の事例のように、はっきりと具体的な政策に関連して利用された場合もありますが、他にも、国際政治をイスラエルに好意的なものに誘導するという意味でも、「ホロコースト」は大いに利用されてきたと言って間違いではありません。
特に、「ホロコースト」の協調には、中東和平の推進に反対するキャンペーンとしての意味があったと私は思います。特に、アメリカにおいてはそうです。即ち、シオニスト過激派は、アラブとの妥協を意味し、イスラエルのこれ以上の領土拡大や水資源の独占が不可能となる中東和平の実現には、猛烈に抵抗してきたのです。
最近起きたイスラエルのラビン首相暗殺事件の背景にもこうした問題が存在しますが、シオニスト過激派は、中東和平の実現には強く反対し、事ある毎に、徳のアメリカ在住のユダヤ人たちの非ユダヤ人に対する団結と警戒を呼びかけてきたと言って間違いではありません。−−
(西岡昌紀『アウシュウィッツ『ガス室』の真実/本当の悲劇は何だったのか』
(日新報道・1997年)257〜258ページより)
−−そうした彼らの宣伝において、「ホロコースト」には、切り札としてとても大きな意味があったと私は思うのです。つまり、「ホロコースト」を強調することによって、ユダヤ人の非ユダヤ人への不信感をあおり、ユダヤ人は団結しなければならない、と訴えることが可能だったということです。これは、憎悪をあおり立てるという点で、戦時報道と何ら変わるところのない手法ですが、とにかく、それによって、シオニスト過激派はユダヤ人のナショナリズムをあおり、合わせて、自分たちの存在価値をアピールすることが可能だったのです。特に、彼らは、アメリカのユダヤ人たちが中東和平の推進を支持して、アラブ諸国との和解強力になだれ打つことを大変恐れていましたから、「ホロコースト」を強調し、ユダヤ人のナショナリズムをあおることには、そうした動きを封じ込めたいというシオニスト過激派の願望がこめられていたと、私は思います。−−
(西岡昌紀『アウシュウィッツ『ガス室』の真実/本当の悲劇は何だったのか』
(日新報道・1997年)258〜259ページより)
−−言い換えれば、「ホロコースト」にはパレスチナ問題を覆い隠す力があった、ということです。そして、その結果、誰よりも犠牲を強いられたのは、パレスチナ人だったわけです。世界は、「ガス室」の話に気を取られて、このことに気付かなすぎたのではないでしょうか?
「ホロコースト」の検証が必要である最大の理由は、ここにあります。ナチスがユダヤ人を差別迫害したことは事実ですが、その内容が余りにも誇張され、かつ、歪められた結果、一番犠牲になったのはパレスチナ人だったのではないかと、私は思うのです。私は、このことに納得がいかないのです。だからこそ、私は、「ガス室」の検証にこだわるのですが、日本の知識人たちは、それを「ナチスの弁護」と呼ぶのでしょうか?言い換えるなら、この問題は、ある意味において、中東問題なのです。「ホロコースト」と言えば、多くの場合、第二次世界大戦を論じる中で語られるわけですが、これがある意味では中東問題に他ならなかったことに、日本人はもっと早く気が付くべきだったと、私は思うのです。
こういう視点が、日本の知識人たちには全くと言っていいほど欠如しています。ですから、「ホロコースト」を検証すべきだ、などと言うと、半ば反射的に、それを第二次世界大戦の道徳的議論にだけ結び付け、この話(「ガス室によるユダヤ人絶滅」の主張)が例えばパレスチナ人にとっては何であったのか、とか、それが中東の政治に与えてきた意味などは、全く考えようともしないのです。
これは「左右」を問わずそうで、「ホロコースト」を中東問題との関わりで考えるような視点は、日本の知識人たちにはほとんど全くと言っていいほど欠落しています。これは、日本の「知識人」たちの視野の狭さを示す一例だと思いますが、特に、「ドイツ史」などの「専門家」を自称する人にこの傾向が強いように思えます。
逆に、「マルコポーロ」廃刊事件の前後に私の話に真剣に耳を傾けてkれた方たちの多くが、パレスチナ問題をはじめとする中東問題に関心を持つ人々であったことは、決して偶然ではなかったと、私は思っています。そういう人々のそうした声を、マスコミは殆ど取り上げようとはしないのですが。−−
(西岡昌紀『アウシュウィッツ『ガス室』の真実/本当の悲劇は何だったのか』
(日新報道・1997年)259〜260ページより)
−−ところで、欧米では、イスラエルの拡張政策を支持するシオニストたちが強力な圧力集団を形成して、新聞やテレビ、映画、それに出版社などにとても強い影響力を持っています。これをシオニスト・ロビー(zionist lobby)と呼びますが、これは結社とかそういうものではなく、シオニズムを支持する、或いは、シオニズムに好意的な企業や個人のゆるい結びつきを指すもの、というふうに理解して頂きたいと思います。同じことを「イスラエル・ロビー」と呼ぶ人もいますが、この本では、「シオニスト・ロビー」という言葉の方を使いたいと思います。
この「シオニスト・ロビー」というのは、しばしば語られるフリー・メイソンとか、その種の「陰謀説」とは、全く関係のない概念です。「ロビー」という言葉が示すように、ある利益を共有する企業や個人が、どちらかと言えば、少し無秩序な形で集まっているのがその実態だとご理解頂きたいと思います。作家の広瀬隆さんは、ある本の「まえがき」の中で、「欧米に存在するイスラエル・ロビーは、フリー・メイソンのような抽象的な存在ではなく、れっきとした銀行家や投機屋の集団である」(広河隆一/パレスチナ・ユダヤ人問題研究会『ダイヤモンドと死の商人』三友社出版)と書いておられますが、私がここで「シオヌスト・ロビー」と呼んでいるのも、これと大体同じ概念と理解して頂いて差し支えありません(私は、広瀬氏が書いておられることの全てには賛成しませんが、シオニスト(イスラエル)・ロビーに関する広瀬氏のこの指摘は全く正しいものだと思います)。
また、言うまでもありませんが、欧米のユダヤ人たちが皆このような集団に関係があるわけでは毛頭ありません。それどころか、そうしたロビー集団に批判的なユダヤ人は数限りなくいると言って間違いではありません。また、逆に、ユダヤ人でなくても、こうした勢力と共に行動している人々はいるのであり、例えば、ある種の権益や思想からシオニスト・ロビーを支持するような立場を取る非ユダヤ人は日本人を含めて多々いる、というのが真実です。つまり、動機は様々ですが、結果として、イスラエルの拡張政策を支持し、それに対する批判を封じ込めようとする人々が、他にも呼び名はあると思いますが、私がここで「シオニスト・ロビー」と呼ぶ集団を構成しているということです。−−
(西岡昌紀『アウシュウィッツ『ガス室』の真実/本当の悲劇は何だったのか』
(日新報道・1997年)260〜262ページより)
−−念のために言っておきますが、「ユダヤ人が世界を支配している」などというのは、大嘘です。そんな話は、おとぎ話です。例えば、誤解している人が多いようですが、アメリカの財界の中枢にはユダヤ系企業はむしろ少ないのです。特に、製造業はそうです。日本もそうですが、どこの国でも、その国の政治経済の中枢は、詰まるところ、製造業を担う企業とそれを動かす人々が支配しているのが現実です。
ところが、特にアメリカでは、ユダヤ人は、そうしたアメリカ財界の中枢には、実は、一部で考えられているほどには食い込んでいないのです。湾岸戦争以降、アメリカの強力な仲介によって中東和平が進展した背景にも、そうしたアメリカ政財界の構造が非常に強く投影されています。つまり、アメリカの政財界の中枢は、アラブ諸国と緊密な関係を打ち立てることこそが自分たちの利益であることを、誰よりもよく知っているのです。だからこそアメリカ政府は、イスラエルを説得し、国内のシオニスト・ロビーを押さえながら中東和平を推進してきたのであって、もしアメリカが、一部の妄想家たちが言うように、「ユダヤ人に支配された国」だったとしたら、こんなことが起きるわけがないのです。このこと一つを取っても、「ユダヤ人が世界を支配している」といった類の話が嘘であることがわかります。−−
(西岡昌紀『アウシュウィッツ『ガス室』の真実/本当の悲劇は何だったのか』
(日新報道・1997年)262〜263ページより)
−−しかし、そうは言っても、欧米におけるシオニスト・ロビーの影響力というのは、大変なものです。特に、マス・メディアにおけるシオニスト・ロビーの影響力には、本当に驚くべきものがあります。彼らがマスメディアを「支配している」などと言うつもりはありません。しかし、非常に強い力を持っていることは事実です。これは、いわゆる「ユダヤ陰謀論」などでは毛頭なく、歴然とした、欧米の社会的現実です。それを指摘することは、「ユダヤ陰謀論」でも何でもありません。欧米の新聞や雑誌、テレビ、そして映画などに、シオニスト・ロビーは本当に大変な力を持ち続けてきたのです。
ただし、逆説的に聞こえると思いますが、これは、私の考えでは、特にアメリカでは、ユダヤ人が差別されてきた結果なのではないかと思います。即ち、アメリカでユダヤ人がマスメディアに進出したのは、彼らが製造業など、アメリカ社会の中枢を担う分野には十分進出できず、他の分野に進出することを余議なくされた結果ではないかと、私は思うのです。弁護士や医者、学者、芸術家などにユダヤ系の優れた人々が多いのも、もちろん彼らユダヤ人たちが素晴らしい才能の持ち主であるからですが、他方の理由として、ユダヤ人が社会的に少数者で、政治経済の中枢には進出し切れないことの現われではないかと私は思うのです。−−
(西岡昌紀『アウシュウィッツ『ガス室』の真実/本当の悲劇は何だったのか』
(日新報道・1997年)263〜264ページより)
−−こうした問題を論じることは、この本の目的を超えています。ですから、ユダヤ人に関するこれらの事柄について、これ以上、深入りはしません。しかし、こうした歴史的経緯の結果だと思いますが、特にアメリカではユダヤ人は、こと、マスメディアに限って言えば、本当に大変な力を持ち続けてきました。しかも、その中でも、イスラエルを支持するシオニスト・グループの影響が強いため、新聞や雑誌、テレビ等から映画のような娯楽に至るまで、シオニスト・ロビーの影響力は非常に強いものであり続けてきたのです。その上、アメリカのメディアの影響力は全世界に及ぶものですから、こと、言論や文化に関する限り、シオニスト・ロビーの影響力はまさにグローバルなもんだったというこおtができます。
ですから、私には、「ガス室」に自由に疑問を投げかける研究や言論が抑圧、妨害される一方で、アウシュヴィッツの「ガス室」が映画やテレビドラマによって繰り返し人々の脳裏に刻み込まれてきたことは、偶然とは思えません。「シンドラーのリスト」にような映画が作られ、世界中で公開される背景なども、こうした冷徹な目で見るべきです。感動的な話が事実であるという保証は、どこにもないのですから。−−
(西岡昌紀『アウシュウィッツ『ガス室』の真実/本当の悲劇は何だったのか』
(日新報道・1997年)264ページより)
−−このように、「ホロコースト」には、中東に武力でイスラエルという新しい国を創り、建国後は、元々現地に住んでいたパレスチナ人を抑圧し続けたシオニストたちが、自分たちの行動を正当化したり、国際社会の支持を得るために利用してきた側面が明らかに存在します。その上、「ホロコースト」の中核である「ガス室」や「ユダヤ人絶滅計画」にこれだけ疑問があるわけですが、百歩譲って、アウシュヴィッツに「ガス室」が存在したとしましょう。そして、「ユダヤ人絶滅計画」なる計画がドイツによって計画、実行されていたとしましょう。しかし、仮にそれが本当だったとしても、それが、パレスチナ人を暴力で追放し、そこにイスラエルという人工国家を建設する理由になるのでしょうか?なるわけがありません。言われているような「ガス室大量殺人」や「民族絶滅」が本当だったとしても、それはドイツ人の罪であって、パレスチナ人には何の責任もないことなのですから。ところが、戦後の国際政治を見ると、こういう論理が堂々とまかり通っている。それでは、もし、その「ガス室」が虚構の上に語られたものであったとしたら、一体パレスチナ人たちは、何のために住む土地を追われ、或いはイスラエル兵の暴力にさらされなければならなかったのでしょうか?この問いの重さに、どうか気付いて頂きたいと思います。−−
(西岡昌紀『アウシュウィッツ『ガス室』の真実/本当の悲劇は何だったのか』
(日新報道・1997年)265ページより)
−−こういうことを日本の知識人たちは考えなさすぎた、と私は思います。「左右」を問わず、です。政治的な立場は非常に違っても、失礼ながら、筑紫哲也氏も西尾幹二氏も、こういうことを論じようとしない点では、非常に似ているように私には思えます。知識人に限らず、日本人は一般に、「ユダヤ人の悲劇」には非常に深い同情を抱いています。そのこと自体はとてもよいことですし、私自信、そういう気持ちを共有する人間の一人です。しかし、その同じユダヤ人たちが戦後、中東で罪もない人々を住み慣れた土地から追い立て、さらには、レバノン侵攻にような軍事行動によって何度も女性や子供を苦しめてきたことについて、一部の人々を除けば、日本社会はあまりにも無関心だったと私は思うのです。
シオニストたちは、自分たちを批判する者には、すぐ「反ユダヤ」とか「ネオナチ」とかいったレッテルを貼ります。「ホロコースト」の「教義」に疑いを投げかける者を直ちに「反ユダヤ主義者」とか「ネオナチ」とか呼ぶのも、その一例と言えます。しかし、そういう彼らは、その「ホロコースト」を錦の御旗に、パレスチナ人たちに何をしてきたのでしょうか?
このことを、日本人は、ユダヤ人の真の友人として、考えるべきだし、言うべきだと私は思うのです。−−
(西岡昌紀『アウシュウィッツ『ガス室』の真実/本当の悲劇は何だったのか』
(日新報道・1997年)266ページより)
−−「ホロコースト」に関する客観的な検証を妨げてきたのは、しかしながら、シオニスト・ロビーだけではありません。他にもあったと言えます。例えば、その一つは、崩壊した旧ソ連です。これは、「ホロコースト」に関する自由な検証が阻害されてきたことを考える時、無視できないもう一つの要因なのです。
どういうことかと言うと、現地ポーランドでアウシュヴィッツなどの犠牲者として強調されているのは、ユダヤ人よりも、むしろソ連軍の捕虜やポーランド人の政治犯の方なのです。つまり、アウシュヴィッツやマイダネックにおける展示や説明は、日本人が想像するのとは少々違い、「ここでソ連軍の捕虜が殺された」とか、「犠牲の多くは(ユダヤ人ではなく)ポーランド人だった」とかいったことが中心で、ユダヤ人の受難はそのついでに語る、という感じなのです。これは、現地の出版物を見ても分かります。つまり、どう評価するかは別として、これが、ポーランドでアウシュヴィッツがどのように語られてきたかの現実なのです。−−
(西岡昌紀『アウシュウィッツ『ガス室』の真実/本当の悲劇は何だったのか』
(日新報道・1997年)267ページより)
−−こうしたことをどう考えるかは皆さん一人一人に委ねたいと思いますが、いずれにしてもポーランドでは、アウシュヴィッツは、ユダヤ人よりもソ連軍やポーランド人レジスタンスのモニュメントとして語られてきたのです。その理由は、戦後のポーランドにおけるソ連の立場を考えれば明らかだと、私は思います。即ち、戦争中、ソ連軍の兵士はこんなに苦しんだのですよ、そのお陰で私たちはナチスから解放されたのです、とポーランド当局は言いたかったのだろうと思います。それが、ポーランドがソ連の支配を逃れた現在でも残っていると思うのですが、これは裏返せば、ポーランドの親ソ政権が、「ガス室」まで持ち出して「ソ連軍捕虜の悲劇」を強調しなければならなかったほど、ソ連がポーランド国民に嫌われていたことの現われと言えると思います。ポーランドとポーランド人が好きな私には、このことがとてもよく分かるのです。−−
(西岡昌紀『アウシュウィッツ『ガス室』の真実/本当の悲劇は何だったのか』
(日新報道・1997年)267〜268ページより)
−−その他にも、アメリカやイギリスにとって、第二次大戦における旧敵(ドイツ)の蛮行を強調することは今も政治的、心理的価値があることなど、「ホロコースト」の持つ政治的、心理的問題は多岐に及びます。例えば、アメリカやイギリスは戦争中、ドイツの都市に対して大規模な無差別爆撃を行ない、多くの女性や子供の生命を奪っています。また、戦後、連合軍は、ドイツの捕虜たちを非常に虐待しています。中でも、一部のドイツ人捕虜たちは連合軍によって意図的に餓死させられていたのではないかという、驚くべき指摘をしている研究者もいます。さらに、東ヨーロッパでは戦後、ドイツ人だというだけで、何の罪もない女性や子供が、書くことをためらうような残酷な扱いを、チェコ人やポーランド人によって受けたりもしています。こうしたことは、ナチスドイツの政治体制に対する道徳的判断とは別に、到底、正当化できることではなかったと私は考えますが、アメリカやイギリスその他の国々は、彼らの側にもあったこのような民間人への残虐行為を正当化するために、「ナチのガス室大量殺人」を利用してこなかったと言えるでしょうか?−−
(西岡昌紀『アウシュウィッツ『ガス室』の真実/本当の悲劇は何だったのか』
(日新報道・1997年)268〜269ページより)
−−こうした事柄の全てについて論じることは、この本の目的ではありません。また、紙面の制約もあるので、そうした議論にまでは立ち入りませんが、いずれにせよ、こうした複雑な政治的背景から、「ホロコースト」に関する自由な討論は戦後永い間封じられ、片方の主張だけが一方的に語られてきたと、私は思います。そして、そうした状況がこの問題に関する討論の自由を制約してきたことは、これまでお話ししてきた通りです。
しかしながら、こうした議論を最早これ以上封じることのできないところまで来たと、私は思います。その理由は、先ず第一に、欧米での学術的論争がそこまで進展したからですが、同時に前述したような国際政治の状況が、80年代以降大きく変化したことも重要な要因だと私は思います。即ち、冷戦の終焉によって、ポーランドをはじめとする東欧諸国がソ連の支配から解放されたこと、それから、中東和平の進展によって、ユダヤ人を取り巻く環境が大きく変化したことなどが、この問題の論争に影響を与え始めていると、私は思うのです。「ホロコースト」を巡る議論は、こうした国際政治の変化に影響を受けるでしょうし、現に受けています。特に、中東和平の進展は、ユダヤ人社会の中に、和平を支持する人々とこれに反対する人々の分裂を生んでいますが、私は、これは「マルコポーロ」廃刊事件の経過にも影響を与えていたと思います。−−
(西岡昌紀『アウシュウィッツ『ガス室』の真実/本当の悲劇は何だったのか』
(日新報道・1997年)269〜270ページより)
−−それに関係して、ここで、興味深い記事をお見せしたいと思います。これは、92年の10月20日に、イギリスのフィナンシャル・タイムス(The Financial Times)という新聞に載った記事ですが、何が書かれてあるかと言うと、イスラエルのラビン首相(当時・故人)がアメリカを訪れた際、アメリカのユダヤ人団体との会合に出席して、ある発言をしたという記事なのです。ところが、その発言がどのようなものだったかと言うと、イスラエルは中東和平を求めたいから、もう、あなた方は横槍を入れないくれ、という趣旨の発言だったのです。
これは、イスラエルが中東和平を推進する道を選んだことを象徴する記事ですが、一昔前なら、全く想像もできなかったような話です。即ち、イスラエルはもうパレスチナ人と和解し、アラブと協調する道を歩み出しました。だから、アメリカにいるあなた方はそれを邪魔しないでくれ、とイスラエルの首相がアメリカのシオヌスト団体に向かって発言した、ということなのです。
これは、アメリカのシオニスト・ロビーが過去、イスラエルのために果たしてきた役割を考えれば、本当に驚くべき記事です。即ち、アメリカのシオニスト団体こそは、イスラエルのためにアメリカの大統領選挙に目を光らせ、イスラエルに批判的な議員を落選させ、そして、メディアを通じてアメリカの世論をイスラエル寄りのものに誘導してきたのですから、彼らこそは、アメリカにおけるイスラエルの最大の応援団だったわけです。
ところが、アメリカを訪れたイスラエルの首相が、そのアメリカのシオニスト団体の人々に向かって、「もう迷惑だから、そんなことはやめてくれ」と言わんばかりの発言をぶつけたというのですから、これは本当に驚くべき変化ではありませんか。この記事が出たのは、前述のように、92年の10月20日のことですが、これは、イスラエルとPLOがガザなどでのPLOによる暫定自治に関して合意を取り決める以前のことです。その頃から、こうした変化が起きていたということですが、世界は変わりつつあると思うのは、私だけでしょうか?−−
(西岡昌紀『アウシュウィッツ『ガス室』の真実/本当の悲劇は何だったのか』
(日新報道・1997年)270〜272ページより)
−−フィナンシャル・タイムスのこの記事などは、繰り返しますが、アメリカのシオニスト・ロビーが過去、イスラエルのために果たしてきた役割を考えれば、本当に驚くべきものです。だからこそ、フィナンシャル・タイムスもこれを大きく取り上げたのでしょうが、これは、前述のように、中東和平を巡って、ユダヤ人社会に分裂が起きていることを意味します。「ユダヤ人が世界を支配している」などという話に対する反証とも言えますが、これは、アメリカのシオニストたちよりも、イスラエルに住むユダヤ人の方が理性的だ、ということなのかも知れません。イスラエルが、全体として、こうした現実的な方向に向かい始めたことは、世界にとってもイスラエル自身にとっても大変よいことですが、その反面、中東和平に反対するシオニスト過激派たちがこうした状況に焦りを募らせていることにも、注目しなければなりません。即ち、アラブとの妥協を意味する中東和平に反対してきたシオニスト過激派は、中東和平がアメリカの仲介などによって進行するこうした状況に焦燥を募らせているのです。ラビン首相暗殺事件などは、まさしくその一例と言えるでしょう。彼らは永年、イスラエルの「応援団」として文字通り「戦ってきた」わけですから、今、中東和平の進展によって、言わば梯子を外されてしまった状況に置かれているのです。−−
(西岡昌紀『アウシュウィッツ『ガス室』の真実/本当の悲劇は何だったのか』
(日新報道・1997年)272〜274ページより)
−−私は、中東和平の進展に対する彼らのこうした焦りが、「マルコポーロ」廃刊事件の経過にも影響を与えていたと感じています。実際、この事件の経過中、東京のイスラエル大使館は、実は、アメリカのシオニスト団体と距離を置いて行動していたと私は思います。
前頁にお見せしたのは、「マルコポーロ」廃刊事件の際の新聞記事の一つですが、そこには、その興味深い現象がみられます。即ち、駐日イスラエル大使(当時)のガノール氏が、この事件を論評する中で、「過剰反応」を戒める発言をしたというのです。しかし、ここで言う「過剰反応」とは、一体何を指しているのでしょうか?どうか、お考えになってみて下さい。これは、当時のイスラエル大使が、アメリカのシオニスト団体がとった行動(広告ボイコットなど)を暗に批判した言葉のように取れるのですが、それは、事件の当事者であった私の思い込みでしょうか?−−
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−−マルコポーロ事件 「過剰反応は危険」 イスラエル大使が強調−−
イスラエルのガノール駐日大使は八日、東京都千代田区永田町の憲政記念館で始まった日本イスラエル議員連盟(中山正暉会長)主催の写真展「意外な解放者」のオープニングセレモニーで、産経新聞のインタビューに答えた。
文芸春秋社の雑誌「マルコポーロ」が廃刊になったことについて、ガノール大使は、「記事は否定的な影響を与えるものだった。しかし、一片の記事で歴史は変えられない。過剰に反応することは日本とイスラエル双方にとって危険この上ない」と強調した。
さらに大使は「私たちはこの写真展のテーマである杉原千畝の話を知っているし、戦争中に一万人を超える人々が神戸を中心に日本にきた。それをまた市民も支援してくれた。それはユダヤ人に対する大変な解放だった」と述べた。
写真展は十日まで開かれたあと、パリ、ニューヨークでみ計画中。
(産経新聞 1995年2月8日 夕刊)
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(西岡昌紀『アウシュウィッツ『ガス室』の真実/本当の悲劇は何だったのか』
(日新報道・1997年)273〜274ページより)
−−このように、この問題は、歴史の問題であるとともに、今現在の国際政治とも関連した、極めて今日的な問題だと言えます。だからこそ、この問題を語ろうとする者には、言論規制やテロまでをも含めた圧力がかかるのだと思われます。そうしたことは許されることではありませんが、そもそも歴史というものは、こうした宿命がつきまとうものなのかも知れません。即ち、歴史というものは、単なる過去の話ではなく、今現在の事柄に深く結び付いているということです。戦前の日本では、古代史や南北朝時代の研究までが、天皇家の正統性を揺るがしかねないという理由で制約を受けましたが、それと同じことが現在の世界史にも存在するということなのかも知れません。
最後に、これだけは言っておきます。真実が何であれ、私は、歴史の真実というものは、異なる民族、国家の間の和解のためにこそ語られて欲しいと思います。アウシュヴィッツについても、真実が何であれ、その真実は、そこに関わった民族の間の憎悪をあおり立てるためにではなく、真の和解を成立させるためにこそ語られるべきだと私は思うのです。
その点で、この問題にこれまで、和解のためにではなく、憎悪をあおり立てるために語られてきた側面がなかったなどと、果たして言うことはできるでしょうか?
もちろん、悪は糾弾されなければなりません。ナチスはその悪そのものでしたから、それを糾弾することが間違っているなどとは思いません。しかし、この問題について、これまで事実が検証されてきたなどとは到底言えないことは、これまでのお話に見た通りです。自由な言論を保証し、自由な検証を行わぬまま、ただ憎悪をあおり立てるような態度は、悪に対する真の糾弾ではありませんし、最早続けられるべきではありません。それでなければ、ナチズムに対する反省というものも、単なる偽善に堕してしまうと思うのですが、皆さんはどうお考えになるでしょうか?−−
(西岡昌紀『アウシュウィッツ『ガス室』の真実/本当の悲劇は何だったのか』
(日新報道・1997年)274〜276ページより)
−−和解なくして、真の平和はあり得ません。そして、真実を語ることなしに真の和解が得られるはずもありません。そのためにこそ私は、あらゆる歴史に関する討論が自由で開かれたものとなることを願ってやみません。しかし、現実には、この本のテーマである「ホロコースト」をはじめとして、歴史の討論は、様々な力によって制約され、封印されてしまうことが少なくありません。「歴史は鏡である」と言いますが、そのように、私たちが生きる時代の社会の精神的自由とその限界を映すという意味でも、歴史が「鏡」であるというのは皮肉と言う他はありません。そして、それは、現代の私たちが持つ民族的感情や怨念までをも映すという意味においても、「鏡」であるのかも知れません。−−
(西岡昌紀『アウシュウィッツ『ガス室』の真実/本当の悲劇は何だったのか』
(日新報道・1997年)276ページより)
−−オランダの哲学者スピノザ(1632〜1677)は、ユダヤ人でありながら、ユダヤ人教会を批判し、ユダヤ教会から破門された人物として知られますが、彼の言葉に、「不法を憎しみ返す事によって復讐しようとする人は、全くみじめな生活を送る者である」という言葉があります。
今世紀の悲劇を思うと、この言葉は、ユダヤ人とドイツ人とパレスチナ人のそれぞれにとって、余りに重いものであるに違いありません。しかし、それでも私は、自由な討論が真実を明らかにし、その真実だけが、このスピノザの言葉とともに、ドイツ人とユダヤ人、ユダヤ人とパレスチナ人、そして全ての人々の間に和解をもたらすことを確信しています。−−(第6章 終はり)
(西岡昌紀『アウシュウィッツ『ガス室』の真実/本当の悲劇は何だったのか』
(日新報道・1997年)276〜277ページより)
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