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オリジナル記事タイトル冒頭の「政治の貧困《U》」を文字制限上省略してます。ご了承ください。
Takeru
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(転載はじめ)
2008.10.16(その1)
森田実の言わねばならぬ【741】
http://www.pluto.dti.ne.jp/~mor97512/C04695.HTML
平和・自立・調和の日本をつくるために[736]
政治の貧困《U》ブッシュの「戦争と弱肉強食主義」の政治に無批判だったアメリカ大マスコミの信用低下
「もし新聞がなかったら、フランス革命は起こらなかっただろう」(ビクトル・ユーゴー)
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もし大マスコミがなかったら、ブッシュの「戦争と弱肉強食主義」の政治がこれほどまでに強大な影響力を発揮することはできなかったであろう。
もし日本に大マスコミがなかったら、ブッシュに盲従した小泉政権が強大な力をもって郵政民営化のような無謀なことを強行するということはなかったであろう。
現代社会においてマスコミの力は決定的に大きい。とくに日本のように大マスコミが分立しておらず、大同団結している国においては、マスコミの力はとくに強大である。だが最近、マスコミの信用が低下している。
10月12日朝、世界中の新聞に目を通している友人から電話がかかってきた。友人はマスコミの信用が低下している傍証として、最近アメリカのある著名な大学で行われた世論調査での「マスコミは信用できるか?」との問いに対し、YESと答えたのはわずか約20%だったという情報を知らせてくれた。
アメリカでは、ブッシュ政権の登場時にブッシュ政権の「戦争と弱肉強食主義」を応援したワシントンポスト紙とニューヨークタイムズ紙の信用が極度に低下しているという。 1970年代のアメリカのマスコミには、ウォーターゲート事件に見られるように、政府を監視し批判する姿勢があった。だが、レーガン登場以後アメリカの大マスコミは巨額な広告費主である巨大企業に支配されるようになり、政府を批判する精神は衰退していった。そしてブッシュ政権登場とともに、アメリカの大マスコミは政府の広報機関化した。
とくにマスコミ企業が売買されるようになるに従い金融資本の影響下におかれた。それとともにマスコミの政府監視能力が低下し、批判力が失われた。その上、インターネットの普及により新聞と地上波テレビの影響力は急速に低下した。
最近、「マスコミは信用できない」という人が増えている。私はよくマスコミ批判をするが、以前はほとんど反応がなかった。ところが近頃「同感」というメールや手紙をもらうことが多くなった。国民のマスコミに対する目がきびしくなっている。
最近、マスコミ内部で反省の動きが出始めたようだが、今後の動きを注目したい。ポーズだけで終わるようならマスコミの破綻が起こるだろう。
マスコミの社会的責任は重大である。マスコミは巨大な力をもっている。この巨大な力を国民のために使うべきであるのに、ブッシュ・小泉時代のアメリカと日本のマスコミは時の政治権力に奉仕する役割を果たすために使ってしまった。
ブッシュの「戦争と弱肉強食主義」の政治が破綻したいま、ブッシュ政治の犠牲者であるアメリカ国民は、マスコミをブッシュ政権の共犯者と見るようになってきている。
だが、日本国民のマスコミ批判はアメリカ国民に比して弱い。
日本はアメリカに比べると甘いのである。日本のマスコミも、ブッシュ政権という御輿を担いだアメリカのマスコミと同様、小泉政権の「ブッシュ政権への従属政治」を称え、讃美した。ヨーロッパのマスコミも一時政治権力の広報機関化したが、最近反省の動きが少し見られるようになっている。しかし、日本のマスコミの反省力は弱い。一般国民の批判精神も弱い。日本全体が「現実」に鈍感なのである。
国民の批判精神が高まらないならば、マスコミの政治権力との癒着は治らない。ひいては政権交代がむずかしくなる。国民の批判精神がなければ民主政治は成り立たない。日本の民主主義は危機である。(この項つづく)
(転載おわり)
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