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「ジャーナリズムは戦争を止められるのか」をテーマに、立教大学でシンポジウムを開いた(6月20日号アンテナ欄参照)。冒頭、150人の参加者に「止められるか」と尋ねたが、ほとんど手は挙がらない。次に「期待するか」と問うと、一斉に挙がった。「私も同様です」と話した。ジャーナリズムの最大の仕事は「戦争を止める」あるいは「戦争を起こさせない」ことだ。従って、「止められるのか」と問うこと自体、本来はおかしい。だが「期待はするけど現実が伴わない」、まさにそれが実態なのである。 先の大戦で、日本の新聞は「戦争を止める」どころか、あおりにあおった。どんなに言い訳をこらしても、その事実は隠しようがない。戦後ジャーナリズムは、このことの反省から再起を図ったはずである。だが戦後63年を経たいま、目の前にある新聞・テレビの惨状をみたとき、期待はしつつも、深い嘆息を禁じ得ない。 今週号で特集したNHKの番組改ざんをめぐる裁判で、最高裁は政治家の介入に触れることを避けた。昨今の司法を考えれば、ある程度、予測されたことだ。問題は、マスコミの対応である。ごく一部の新聞を除き、言論に対する政治圧力についての厳しい論調はなかった。 有り体に言えば、司法は立法府との軋轢を回避したのだろう。だが、判決はどうあれ、マスコミはこの問題の本質である、報道への政治家介入について、断罪し、警鐘を鳴らすべきだった。介入が、戦争責任をめぐる番組に対してだったのだから、なおさらである。しかし現実は違った。「戦争を引き起こさないために細心の注意を払う」という姿勢を見せられない、文字通りの醜態を、またもさらしたのだ。 「またも」と表現したのは、せっかく「政治家圧力」をスクープした『朝日新聞』が結局は腰砕けになり、他の新聞・テレビも取材方法や情報漏洩問題に矮小化した過去があるからだ。当時、その点に関し、多くの批判があったにもかかわらず。 この国はいま、実質、戦争状態にあるとも言われる。新自由主義、それがもたらした格差社会により、生命の安全が図られていないからだ。ロストゼネレーションの若者からは「実際の戦争のほうがましだ」という声すらあがりつつある。だが、大メディアは、こうした叫びに敏感に反応しているとは言えない。 |
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