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6/20の夜に放送されたNHKスペシャル『追跡・秋葉原通り魔事件』は素晴らしい社会報道番組だった。構成も取材もよく、そして特にナレーションがよかった。あの『ワーキングプア』の鎌田靖が冒頭に登場して、最初から視聴者に番組の中身を想像させ、品質の高さを予感させたが、期待どおりの完成度に仕上がっていて、NHKのスタッフのレベルの高さを感じさせられた。他の民放局では知的レベルが低すぎて事件をこのようには扱えない。事件発生から二週間が過ぎ、特にこの一週間は宮城県の地震災害でニュースが埋められ、秋葉原の事件についてはテレビ報道の情報量が激減している。しかしネットのニュースサイトでは連日新しい記事が配信されていて、人々のこの事件への関心の高さをうかがい知ることができる。人はまだこの事件について十分な整理ができておらず、日本中の一人一人が心の中であれこれ真剣に思いを巡らしていて、事件の全体像について納得できる構図を描こうとして、一つでも新しい事実や情報を得ようとしている。
事件への社会の関心は衰えていない。しかしながら、予想どおりと言うべきか、特に後半一週間の警察報道は、事件を起こした加藤智大の残虐さや異常さを際立たせる内容ばかり多くなっていて、明らかに捜査当局が加藤智大に対する社会の同情の高まりを警戒し、そうした社会的意識の蔓延を防ぐように努めていることが分かる。例えば、トラックで轢いて瀕死状態にさせた被害者にさらに馬乗りになって刺したとか、交差点で轢かれて倒れた者を救助しようとしていた者を背後から刺したとか、加藤智大の卑劣で残忍な犯行手口の情報が次々出され、加藤智大に対する憎悪が掻き立てられるように仕向けられていた。発生直後にクローズアップされた派遣労働の問題は報道からすっかり消え、関東自動車工業に関わる情報は全く出なくなった。報道キャスターたちは、最初は事件の動機の解明が必要と言い、派遣労働や携帯サイトに関心を向けたが、次の一週間ではそれは消え、加藤智大がどれほど異常で卑劣な人格だったかを強調する姿勢に切り替わった。
トヨタと経団連が事件報道から派遣の問題をマスクするべく動いたのは明らかであり、政治家の働きかけもあったのだろう。警察と報道の当局がそれに従って事件の表象を巧妙に塗り替えつつある。そうした中で今度のNHKスペシャルが報道された。事件の核心には格差社会の問題があるのであり、「ワーキングプア」シリーズを取材製作してきたNHKのスタッフが問題に注目したのは当然であると言える。番組の中で最も印象的だったのは三人の若い青年だった。そして、またしてもと言うべきか、あの名作『ワーキングプアV』と同じ感動に包まれた。そこに映し出されていたのは絶望ではなくて希望なのだ。視聴者が感じるのは希望なのだ。三人の男の子が心が洗われるほど感じがいい。日本の若者はこんなに素晴らしい人間だったのか、日本社会はこれほど純粋な若者たちに支えられているのかという発見と感動。二人目に出てきた29歳の玉城勇人。加藤智大の職場の同僚で、趣味の話はしていたが、自分と同じように職場を何回も変わっていたことは事件後に初めて知ったと言っていた。
彼の目がとても澄んで驚くほどきれいなのだ。解雇される不安と常に隣り合わせの派遣の就労実態、それを背負わされた苦悩を訴えながら、本当にきれいな目をしていた。沖縄出身だろうか。済みきった目と感情を抑制した穏やかな話し方が、格差社会を告発する説得力として強烈に番組の視聴者に迫っていた。三人目に出てきた26歳の勝間田翔。加藤智大と同じように両親と折り合いが悪く、高校を出て十か所の仕事を転々とし、今年の3月には現在の仕事先であるガソリンスタンドを解雇される目に遭っていた。加藤智大が携帯サイトに残した一言一句を見つめて、自分も同じだと共感を言葉にするとき、口元と喉元に力が入り、腹の底から重いものを搾り出すように語った表情が印象的だった。玉城勇人は頭に金髪が入り、勝間田翔は眉に剃りが入っていたけれど、日本の男の子は何とかわいい存在なのか。そこには絶望的な現実があり、取材され撮影されているのは、未来を奪われ不安で押し潰されそうな若者の姿なのだけれど、視聴者である私が画面から受け取ったのは人間性への希望と感動だった。
今回の番組で専門家として出てきて解説したのは、東大の教育社会学の本田由紀だった。ここが違う。他の低俗で愚劣な民放の報道番組と鎌田靖のNHKスペシャルとの違いがここにある。きわめて短時間だったが、本田由紀の解説は当を得たもので、民放のニュースやワイドショーにはない危機感漂うメッセージが発せられていた。ギリギリのところにある人間が無数にいて、彼らはそれを我慢したり、ごまかしたり、何かにすがったりして、何とか耐え凌いでいるけれど、今度の事件は心の中にある本質的な問題に気づかせてしまった。加藤智大の仕事や家庭や教育の問題は、決して加藤智大一人だけの特殊な問題ではなく、日本全体の構造的な必然性として分厚く広がっていて、同じ経験を共有しているからこそ若者の多くが加藤智大に共感できるのだ。そう言っていた。そのとおりだ。すべて正しい。民放に出て来る犯罪心理学の専門家とか何とかは、どうでもいい適当な話をくっちゃべって視聴者にあくびさせて終わりだが、鎌田靖の番組にはそんな人間は出ない。本当にこの問題を真剣に研究してきた者だけが登場する。
番組の最後に国家公安委員長の泉信也にインタビューする場面があった。泉信也はそれなりの危機感を表明していたが、映像を見るかぎり、単なる政治家のうわべの言葉だけで、問題の根深さや再発の危険性を本当に意識して対策を考えているようには見えなかった。どうせこの事件を口実にして、何か巧く警察予算を分捕る算段を考えているのだろう。福田首相は事件から12日経ってようやく現地に足を踏み入れて犠牲者の霊に手を合わせたが、国民に向かって事件について何も語っていない。福田首相だけでなく、野党の民主党も他の政党も何も語ろうとしない。7人も犠牲者の出た大惨事なのに、何も公式表明しなくていいのか。どうして野党はこの機会に派遣労働法制を国会で追及しないのか。事件の動機と背景を直視すれば派遣労働問題に行き当たる。半年や1年で簡単に紙切れ1枚で解雇され、1日で荷造りと引越しを終えさせられて次の労働現場に連れて行かれる。仕事は昼夜ニ交代制で残業を含めて1日12時間。着替えと通勤時間と食事と睡眠時間を取ったら、24時間中に自由に使える時間は何時間あるのか。友人などできるはずもない。
月給は残業代を含めて手取りでわずか14万円(額面23万円)。それが半年とか1年で使い捨てにされ、給料は何年経っても上がらない。こういう問題をこういう事件が起きたときに討議する場所こそ国会であり、そのための国会議員ではないのか。それなのに、この事件が起きて3日後に民主党ほか野党は問責決議案を出し、まだ6月中旬なのに通常国会を閉幕させ、福田政権を追い込んだなどと嘘を言っている。国会では秋葉原事件は1回も質疑されることはなかった。野党議員が国家公安委員長や厚生労働大臣に質問する場面はなかった。それほど軽い問題なのか。私には民主党や社民党の議員の感覚が理解できない。秋葉原殺傷事件や後期高齢者医療制度問題の国会審議に幕引きした民主党をヒステリックに支持しているブログ左翼の小沢信仰が理解できない。国会の場で福田首相の言葉を聞きたかった。派遣労働制度が問題の本質ではないかという質問への回答を聞きたかった。国民はどうしてこの事件に対して政府や政党や国会議員が無関心でいるのを黙って見ているのだろう。どうして誰も声を上げないのか。関東自動車と日研総業を国会に招致して喚問すれば、少なからず派遣労働者の待遇改善に寄与できたはずだ。
7人の死を無駄にせずに済んだはずだ。蛇足になるが、今度の事件で私の疑念と懸念は他にもあり、それは加藤智大の弁護についている弁護人に関してだが、どういう弁護方針なのか気になる。先週末から、例えば、携帯サイトに犯行予告したのは誰かに止めて欲しかったからだとか、秋葉原に到着して突っ込む前に時間がかかったのは、決行に躊躇して迷っていたからだという情報が出てきた。私は、これらは弁護士からマスコミに流されたものではないかと疑っている。そういう中途半端な弁護方針で情報リークするのではなく、なぜ関東自動車工業と日研総業の告発に狙いを定めないのか。犠牲者の死が無駄にならないためにはそれしかないはずなのに。
投稿を一通ご紹介。
【 名前:まりも 性別:女性 】
私は青森出身です。この事件に心が痛んで痛んで・・・
青森高校に入れるぐらいなのになぜ自動車の短期大学だったんだろう、もちろん偏差値なんかにとらわれず自分の好きなことをするためにあえて選んだのならすごく立派なことです。でもそれならこんな事件を起こすはずがありません。
世に倦む日日さんの文章を拝見させていただいて「あっ」と思いました。そのとおりです。本来なら能力があるはずなのに、親への復讐のため無意識に加藤智大はその選択をしたんだと思います。というよりそのような選択をしてしまう自分を自分で止められなかったのではないでしょうか。だから本当は親に止めてほしかった、これまでの寂しさを全部聞いてもらって、あと何年か親元でゆっくり過ごして本来の能力に見合った大学を素直に選んで受験勉強をしたかったのではないでしょうか。結局それは叶わなかったわけですが、社会人になってから彼は一度青森に帰っています。親を求める気持ちがあったと思う。そのとき両親は彼をもっと助けてあげられなかったのか・・・やはり彼は両親に見捨てられていたのだと思います。
彼がやってしまったことはゆるされることではない。でも事件の大きさと同じほど彼は殺されて生きてきたのだと思う。頼れない親なら捨てて生きろって、高校の先生とか、誰かに一回でも言ってもらえたら・・・そんな人が誰もいなかったら、夜回り先生のところに電話するとか、なんとか自分を救う方法を探してほしかったと悲しい気持ちです。
【世に倦む日日の百曲巡礼】
今日は1971年の ピンク・フロイド の名曲で 『吹けよ風、呼べよ嵐』 を。
私は、若者が自ら立ち上がって自分たちのために革命を起こすしかないと思う。鶴見俊輔に従って「指導者の入れ替え」を決行することだ。希望は革命。それは、あくまで彼ら若者が自分たちの幸福を掴み取るための革命であり、われわれの世代は明治維新の旧幕体制の武士階級のように滅ぼされる対象かも知れないけれど、それしかないとしか言いようがない。
希望は革命。社会に殺されて死ぬ前に、立ち上がって実力で国家を転覆することだ。
アブドーラ・ザ・ブッチャーの入場曲バージョンも。これはアラビア語でしょうか。凶器攻撃の反則と場外乱闘の流血で見せ場をつくる無類の悪役でしたが、実に強くてタフなレスラーで、興行バリューのある魅力的なショーマンでした。タイガー・ジェット・シンとのタッグが最高でしたね。80年代半ばから後半のリングかな。
by thessalonike5 | 2008-06-21 23:30 | 秋葉原無差別殺傷事件 | Trackback(1) | Comments(3)
*昼休み版で知るもすでに遅し。再放送をNHKにお願いしたい。
【NHKスペシャル、秋葉原・“通り魔殺人事件”】(自公と民放以外は、大人も子供も遺族も事件の背景を正しく理解しています)
http://www.asyura2.com/08/lunchbreak11/msg/526.html
投稿者 小沢内閣待望論 日時 2008 年 6 月 21 日
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