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http://mainichi.jp/select/wadai/news/20080404dde012040025000c.html
特集ワイド:この国はどこへ行こうとしているのか 原寿雄さん
<おちおち死んではいられない>
◇報道は戦争を防げるか−−ジャーナリスト・83歳・原寿雄さん
◇終戦で精神は出国した 国籍より地球規模で公憤を持ち続けよ
神奈川県茅ケ崎市の閑静な住宅街にある自宅を訪れたのは、3月14日。その日は偶然にも、原寿雄さんが「ジャーナリストとして開眼した」きっかけとなった冤罪(えんざい)事件にまつわる51周年記念日の翌日だった。
事件は、「菅生事件」として知られる。共産党への批判が強かった1952年、大分県の駐在所の一部が爆発物で破壊され、共産党員と支持者の5人が逮捕、有罪判決を受けた。当時、共同通信の記者だった原さんは、国会での共産党と当局のやりとりに疑問を感じ、取材班を作り、約4カ月後、東京・新宿のアパートに潜んでいた真犯人を見つけ出した。警察が組織ぐるみで事件を捏造(ねつぞう)し、共産党員らを逮捕していた。
「権力の怖さを痛感したと同時に、社会正義を実現できるジャーナリストの役割を認識した」と原さんは著書で振り返っている。
1階の仕事部屋は、倒れてきそうなほどに書籍が詰まった本棚が並んでいる。「表現の自由」「ジャーナリズム」「戦争責任」……背表紙のタイトルは、そのまま人生の足跡を刻んでいるようだ。
「24時間毎日、ジャーナリズムのことだけ考えていたからね。今振り返れば、それだけを考えられた人生は幸せだろうね」
ピンと伸びた背筋。明確な発音。戦争を体験した世代であるということを、つい忘れてしまうほど若々しい。
「僕が記者になってからの大きな課題は、新聞や放送などのジャーナリズムは戦争を防ぐことができるだろうか?というもの。それは、今も最大のテーマだね。『防げる』という確信が持てないまま現場を去り、(共同通信の)役員を終え、今は、まったくのフリー。いわば、自由市民になっているけれども、いまだに『(戦争は)防げる。今度は大丈夫だ』と言い切れない」
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20歳のとき、終戦を迎えた。それまでは軍国少年だった。熱狂的な軍国・天皇ロマン主義者で、海軍の学校で、天皇のために爆弾と共に体当たりして死ぬ訓練も受けた。25歳以上の人生は考えたこともなかった。終戦で信じていたことすべてが一夜で崩壊した。
メディアが31年9月の満州事変を境に軍部批判をやめ、国民を戦争に駆り立てたのは何だったのか。自らの経験と反省の上に、自分の居場所のジャーナリズムの世界から、戦争を防ぐにはどうしたらいいかを考え続けてきた。
「メディアが戦争を防げなかった背景には、国益というものがある。国益はね、しばしば中身が政府益になってしまいがちなんだ。それでも、ジャーナリストが頑張れば、戦争を防ぐことができるんじゃないか。ところが、ジャーナリズムには国籍がある。なかなか国籍は超えられない。『日本のために』と言われたときに『いや、違う』と言えないでしょう。戦争が起きると、利害の当事者になって、政府と同じ立場に近付いちゃうわけだね。ずーっと、現役のときから考えていたんだけれども、国籍というものが、ジャーナリストの目を曇らす。僕はいま、ジャーナリストと、(ジャーナリストが担う)ジャーナリズムが、国籍からどう離脱できるか、っていうことを最大の課題にしている」
原さんは、共同通信のデスク時代に報道現場の裏事情などを書いて大反響を起こした「デスク日記1〜5」(ペンネーム小和田次郎で発表)などの著書で報道のあり方について思考し、論じてきた。それは、ジャーナリストのあり方次第で、戦争を防ぎ、平和な民主主義社会を築くことができるのではないか、という希望を持っているからだ。一方で、「愛国」の名の下に戦争にのみ込まれた自らの経験が、国にとらわれない形でのジャーナリズムの大切さを考えさせている。
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ふと、壁に飾ってあるパッチワーク作品が気になった。聞けば、奥さんの作品だという。原さんは「今着ているシャツもそうだよ。何十着もある」と言って、5〜6着のシャツやネクタイを別の部屋から持ってきてくれた。「見ないと分からないからね」と言いながら。「僕はおしゃれだって言われるのね。おしゃれ心なんて何もないのにね」。奥さんが作ってくれる服を着て、楽しそうだ。食卓には、しょっちゅう新しい料理が出るという。「僕はもっぱら食べるだけね。着せ替え人形であり、試食家。それは幸せ……って言うだろうね、やっぱりね」と、にっこりした。
「『この国はどこへ行こうとしているのか』という視点はあんまりないんだよ。僕はね、戦争が終わった時、精神的に出国しちゃったんだ。地球規模の議題にしないと解決できない大きな問題が世界中にたくさん起きているわけだよ。だからね、国家という単位はね、もう小さすぎるんですよ」
「この国はどこへ」ではなくて、「この星はどこへ」ですか?
「そうそうそう。国籍を取っ払った地球市民として、ジャーナリストが組織的に動かないと、解決できない問題がたくさん起きている。国籍のあるジャーナリズムは再検討すべきときが来ている。その国の視点で物事を報じるのは、本物のジャーナリズムじゃないんだよ」
半世紀にわたり、鋭く厳しい視点を失わずにきた原さん。眼鏡を取ると、目尻が下がった瞳に優しさがあふれていた。
「ジャーナリスト志願者に必ず言うの。『現状に満足する人はジャーナリズムに入ってこないで』って。異議がある人がジャーナリストになるべきだって。僕なんかね、『ミスターけしからん』と言われたくらいに、毎日、家にいてテレビを見ていてもね、『けしからん』と言うのをやっているけどね。『とても元気だけども、その秘訣(ひけつ)は?』って聞かれたとき、『公憤を続けているからだ』って答えたよ。公憤していれば死んでる暇はないからね」と言って、原さんは「アッハッハッハ」と大笑いした。
「流れのままに流される死んだ魚になるな 流れに抗して進む生きた魚になれ」
原さんのここ十数年来の自戒の言葉だ。【中川紗矢子】
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■人物略歴
◇はら・としお
1925年、神奈川県生まれ。東大法学部卒業。共同通信社記者として社会部、バンコク支局長、外信部長、編集局長、編集主幹などを歴任。退社後は「放送と青少年に関する委員会」委員長などを務めた。「日本の裁判」など著書多数。
毎日新聞 2008年4月4日 東京夕刊
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