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「食」の未来 -リチャード・コシミズ勉強会-
“食品の裏側”を明らかにする(前編)
「何を選択するか」が消費者には求められている
『食品の裏側 みんな大好きな食品添加物』
(東洋経済新報社)
著者 安倍 司 氏
「今日一日であなたは何種類の食品添加物を口にしましたか?」――こう聞かれて、即答できる人物がいる。いま話題の本『食品の裏側 みんな大好きな食品添加物』(東洋経済新報社)の著者、安部司氏だ。かつて食品添加物の専門商社に勤め、「歩く添加物辞典」とまで呼ばれた安部氏は、私たちが普段口にしている食品の“裏側”を熟知しているのだ。実際、安部氏の本を読むと、現代の食卓がいかに添加物に依存しているかよく分かる。しかし、この本が従来の添加物を取り上げた本と大きく異なっている点は、「危険性だけを騒いでも意味がない」としているところである。安部氏が、著書を通じて消費者に最も伝えたかったこととは何か話を聞いた。
聞き手・文/藤崎 典子、写真/赤坂 智洋
2006年3月24日
消費者が添加物を求めている!?
――「どのような方法でメーカーに添加物の使用を勧めていたか」を本の序章で書いてらっしゃいました。面白いと思いましたが、同時にすごく怖くなりました。
安部:
手作りのメーカーに職人の魂を売らせる、私の“悪魔のささやき”ですね。あれは、ほんの一例です。添加物を使えば、長年培ってきた“職人の技”がなくても、ある程度のレベルのものを安く、簡単に作れるようになります。職人のプライドを持って仕事をしてきた親父さんを、「そんなつらい仕事、息子さんは継ぎませんよ」という言葉で決断させたこともありました。
私がその仕事を辞めたのは、ある時「自分や自分の家族も消費者だ」ということに気づいたからです。自分が開発した添加物まみれのインスタント食品は、自分の子どもたちには決して食べさせたくないものだったのです。実際、これは加工食品の現場で働く人たちにとって当たり前のことでした。添加物を大量に使って作ったハムや漬け物、干物といった食品を、現場の人間は皆「食べたくない」「気持ち悪い」と言い切っています。
――私たちが普段食べているものは、作っている側にとってみれば口にできないようなものだということですか。
安部:
だからといって、何も知らされずにそういう食品を買っている消費者=被害者という図式が即成り立つわけではないと、私は考えています。本の中でも書きましたが、添加物は光と陰の部分が表裏一体です。陰の部分はもちろん、添加物の持つ毒性や危険性。光の部分は、添加物があるおかげで、私たちは楽をして簡単に食事ができるという点です。
例えばポテトサラダ。スーパーでは、3日間は腐らないようにしたいので、そのために保存性のある添加物を入れて作ります。講演で私はよく、何種類もの白い粉(添加物)をポテトサラダに混ぜて、「さあ、どうぞ」と出します。そうすると、皆さん、気持ち悪がって口にしようとはしません。しかしそれは、「今さら何をいってるの」という感じです。
パックの裏を見れば、そのポテトサラダに含まれている添加物は全部書かれています。100グラムがたった百数十円程度の値段で買えて、自分で料理をする手間や時間も省ける。これは添加物があるからこそできることです。いくら嫌だといっても、明日からすぐ添加物を全面的に排除して、マクロビオティック(簡素で自然な食事法などを実践する健康法)のような食生活に切り替えられるかといったら、ほとんどの人はそんなことできません。つまり、添加物の与える光の部分も、しっかり享受しているわけです。
日本人には、誰か一人を悪者にしたがるような発想がありますが、添加物の問題は「国が悪い」とか「メーカーが悪い」といった、そんな単純なものではありません。「安い」「便利」「見た目がキレイ」なものを求める消費者がいるから、それに応じる製造者や販売者がいる。結局、そういった食品を好んで、何の問題意識もなく購入している消費者は、添加物を支持しているのと同じことになるのです。
-後半-
情報開示によって自由な選択が可能になる
――確かに現代人は、多かれ少なかれそういった食品に助けられている部分があり、身体に悪いものすべてを避けることは到底無理と思われます。
安部:
「添加物がたくさん入っていて、つらいな」と思いながらも、私だって忙しければコンビニのお弁当を食べることがあります。でも、もしそれが本当に嫌なら、奥さんに頼みこんで手弁当を作ってもらうという方法もありますよね。
私たちの食生活から添加物を完全に排除することは、現実的に不可能な話です。それは、たとえ毎食手作りの食事を取っていたとしても同じこと。大切なのは、メリット、デメリットの両方を考えて、その中で少しでも添加物の入っていないもの、少ないものを選ぶという選択を、日々していくことにあると思います。
問題は、消費者がそういった選択ができるよう、充分な「情報開示」がなされていないという点です。ラベルだけでは読み取れないごまかしや、わざと誤解させるような表示もたくさんある。だからこそ、現場をよく知っている自分が、「情報をオープンにしていこう」と思ったのです。
さっきのポテトサラダにしても、「合成保存料は使用していません」などとあえて表示している場合があります。しかし、もともと合成保存料は使ってはいけないものです。それをいうなら本当は、「合成保存料は使用していませんが、保存効果のある化学物質はいっぱい使っています」と書くのが正しい。そうすれば「そこまで怖い思いをしてまで便利でなくてもいい」と判断する人がでてくるかも知れません。情報をきちんとオープンにした上で「何を選ぶかは消費者の自由」というのが本来あるべき姿です。
――食品に表示されている原材料はどのように読んで判断すればよいのでしょうか。
安部:
「この添加物は危険度が高い」「この添加物は比較的安全」などといったことを覚えても意味がないと私は考えています。約1500種類もある添加物をすべて覚えるなど、到底無理な話です。また、添加物の危険性は単独でさまざまな検査が行われていますが、それらを複合摂取した場合の危険性については明らかにされていません。しかし、コンビニエンスストアでサンドイッチを買って食べれば、それだけで十数種類もの添加物を一度に摂取することになります。
そのため私は、食品の表示を見たときに「台所にないものが添加物」と考えることを提案しています。しょうゆを例に取ると、本物は塩と小麦と大豆という、消費者が知っているものだけで出来ています。ところが安いものになると、グルタミン酸ナトリウムだとか、カラメル色素だとか、安息香酸ブチルなどといった、台所にはない化学物質名がずらりと並んでいる。それはもはやしょうゆではなく、しょうゆ風味調味料とでもいうべきものですね。
講演などで「まずは手首の練習」と言っていますが、それは「食品の裏を返して、表示をよく見ましょう」という意味です。安いけれど添加物が大量に使われている食品は、身の周りにあふれています。そういうものを仕掛けたメーカーも悪いけれど、それを気にもせず平気で買っていく消費者もよくない。裏を見れば、自分の知らないもの、およそ台所にないようなものがたくさん入っているのが分かるからです。
台所にはないもの、すなわち添加物がたくさん書かれていたら、そこで選択をしてください。見た目のキレイさや値段の安さと同時に添加物も一緒に取るか、それとも、もう少し値段が上がって見た目が悪くなっても、無添加のものを取るか。「こんな添加物でコテコテのものを売ってはいけない」という前に、あなたがそれを選択しないという方法もあるのです。「こんな添加物だらけのものはイヤだ」と誰も買わなければ、今の流通制度ならPOSデータのABC分析により、3日後には売り場から消えてしまいますよ。
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