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景気循環と干支、太陽黒点の関係
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投稿者 Ddog 日時 2009 年 1 月 08 日 02:37:54: ZR5JcjFY1l.PQ
 

毎朝、日経新聞の【経済教室】面を楽しみに読んでいます。5日から連載が始まったゼミナール景気循環と恐慌は特に面白い。読みそびれた方の為に、転載しますが、明日以降は是非読んで下さい。日経を読んでない人は駅の売店で買ってください。[勝手日経広報活動]
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景気循環と恐慌@
80年前の大恐慌原因を巡り3つの説が対立
今回の世界金融危機は百年に一度か、50年に一度の事態と考えられている。80年前にも大きな混乱が世界を襲った。1929年秋から1933年初めにかけての世界大恐慌である。米国の株価は三年問でピーク時の10.8%に、鉱工業生産もピーク時の46.4%に落ち込んだ。
1929年に3.2%だった失業率は1933年に24.9%となり、各国は経済のブロック化に走り、世界貿易も激減した。

厳しい現実を前に、当時の主流だった新古典派経済学は説得.力を失った。生匿物の価格・賃金・金利が市場で自由に変動すれば、財や労働の需給が一致し、貯蓄と投資も均衡すると考えていた学者は、大量失業の原因は労働者の高賃金にあると説いた。これに異を唱えたのが、ケインズだった。彼は失業者が生まれるのは社会全体の生産量を決める有効需要が不足しているからだと説明。さらに自由放任の市場経済は本質的に不安定であり、不完全雇用の状態がむしろ一般的だとし、政府は積極的に介入して是正すべきだと主張した。彼の考えはニューディール政策に生かされた。

だがケインズに対しても、異論がある。例えばM・フリードマンは、中央銀行である連邦準備制度の政策のミスが引き金となったと主張した。

実は、大恐慌の原因にはもう一つの解釈がある。それがJ・A・シュンペーターの唱えた「景気循環」だ。景気の浮き沈みには周期的な三つの波があり、1930年が特にひどい沈滞の年となったのは、三つの循環がすべて下り坂にあり、相互に強く影響し合ったからだとした。

彼は大恐慌を不安定な市場のせいでも政策の失敗によるものでもなく、50〜60年に一度の、
景気循環の大きな谷にすぎないと考えたのである。現在世界的に急拡大している不況はなぜ発生し、いつ回復するのか。本連載では景気循環論に脚光をあて、今回の不況の本質を探るとともに、景気循環の種類や性質、経済への影響を分析していく。(三菱UFJ証券
景気循環研究所)

景気循環と恐慌A
恐慌の規則性19世紀から「10年周期」説も
今回の一連の危機の発端ともなるサブプライムローン危機がぼっ発したのは、パリバショックのあった2007年8月。だが、よく思い出すと、10年前の1997年7月にもアジア通貨危機があり、同年11月には、日本でも北海道拓殖銀行と山一証券が相次いで経営破綻した。
また、リーマン・ブラザーズが破綻した2008年9月の10年前1998年9月にヘッジファンドのLTCMが破綻、日本でも10月に日本長期信用銀行、12月に日本債券信用銀行が経営に行き詰まった。それだけではない。1997年の10年前の1987年10月には「世界大恐慌の再来か」と世界を震憾させたブラックマンデーが発生。1990年の日本のバブル崩壊の10年後の2000年には、米国でITバブルが崩壊した。

これらは単なる偶然なのか。それとも何かの規則性があるのか。同様の問題意識を持った経済学者が19世紀の英国にいた。限界効用価値説を唱え、後の近代経済学を切り開いたジェヴォンズである。彼は1878年の論文「商業恐慌と太陽黒点」の中で次のように説いている。「外国との競争、飲酒量、過剰生産、労働組合主義、戦争、平和、金欲、銀の過剰、貴族の法外な浪費、政府の政策、グラスゴー銀行総裁、エジソン氏と電灯。これらは現在の悲惨な産業と信用の破綻を説明するのに繰り返し使われている、ちょっと巧妙な理屈の通った思いつきである。しかし、今日起こっていることが、以前にも再三再四起こったことの緩やかな反復であることは、ほとんど誰も想起しない」(筆者訳)

彼は1878年10月の恐慌は1866年5月、1857年11月などの過去の恐慌と比較できると主張する。当時英国で進行中だった1878年の商業恐慌が新しい例外的な現象ではなく、約10年の間隔で規則的に発生する、同じ種類の出来事の一つに過ぎないと断じたのだ。こ
のように、景気循環は十九世紀後半、既に周期性があるとの認識のもとで分析されていた。
(三菱UFJ証券景気循環研究所)

景気循環と恐慌B
周過大融資が危機のシグナルに恐慌の持つ周期的性格を早くから指摘し、世界で初めて景気循環の一局面として「恐慌」を位置づけて分析したのが、十九世紀フランスの経済学者ジュグラーである。彼は仏・英・米三カ国の手形割引高、金銀などの金属準備、手形の流通高のデータの推移を分析し、そこに7〜12年、平均10年の周期の景気循環現象を見い出した。著書の中で彼は、「我々は、諸々の数字が示す非常に顕著な事実に、まず驚かされる。そこには最大の規則性をもって繰り返す増加・減少の周期が見い出される」と述べている。

ジュグラーによると、この規則的なサイクルは、大産業が発展するための条件の一つであり、戦争や革命、関税率の変更、公債発行、流行の変化、新販路の開拓といった様々な人為的・偶発的要因があっても、常に出現を繰り返す性質を持つ。しかも、後にシュンペーターによって「ジュグラー循環」と命名されることになるこの循環には、当時異なる金融システムを有していた仏・英・米の三カ国に、制度の壁をも越えて同時進行的に出現する際立った特徴があるという。現在の金融危機が世界同時不況を伴いつつあるのも、ジュグラーにとっては、特別なことではなかったろう。ジュグラーは初めて恐慌を単独ではなく、景気循環の一局面と考えたことで、後に「景気循環の父」ともたたえられることになった。
彼は、商業恐慌の規則的な反復によって特徴づけられる循環を繁栄(好況)、恐慌、清算の三つの局面に分割した。そして、「恐慌に先行する兆候は、大繁栄というシグナルである」との有名な言葉を残した。

ジュグラーは、大きな繁栄の結果、手形割引が過度に拡張されて、金属準備が減少してくると、恐慌が接近し、最後には清算が控えるプロセスにつながることを示唆したのだった。
十九世紀も現在も、好況期の過大な融資が金融危機のサインとなるのは、全く同様だ。
(三菱UFJ証券景気循環研究所)
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シュンペーターの景気循環説+フリードマンの政策ミス説が大恐慌の発生を説明できる。ケインズの有効需要不足説もそれなりの説得力はあるが、何故有効需要不足になるかは、シュンペーターの景気循環説+フリードマンの政策ミス説での説明がつくのではないかと思います。

この経済循環説は、日本人なら東洋思想の干支(えと)の考え方と同じではないかと誰でも気がつくと思う。
干支とは、十干(甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸)と十二支(子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥)を組み合わせたもので、十干十二支(じっかんじゅうにし)の略。10と12の最小公倍数は60なので、干支は60期で一周することになる。

ちなみに2009年は、己丑(つちのとうし・きちゅう)で、十二支で最悪の干支である丑年である。相場格言では『辰巳(たつみ)天井、午(うま)しり下がり、未(ひつじ)辛抱、申酉(さるとり)騒ぐ、戌(いぬ)笑い、亥(い)固まる、子(ねずみ)は繁栄、丑(うし)つまずき、寅(とら)千里を走り、卯(うさぎ)は跳ねる』だが、2008年は繁盛しなかった。だが、危機が子(ねずみ)のように増殖した年でもあった。
ちなみに、過去の丑年相場は1949 年がドッヂデフレ、1973 年が第一次オイルショックの天井、1985 年はプラザ合意や男女雇用機会均等法、円高/ドル安で80 年代後半では最もパフォーマンスが悪く、1997 年は山一證、三洋証、北拓銀破綻の年だったアジア危機や消費税引き上げ。丑年はそろいもそろって最悪である。日経平均の平均騰落率は▲11.4%と十二支の中で最も悪い。
一方、十干でいくと、己(つちのと、西暦末尾が9の年)は強い年が多い。1999 年はITバブル、1989 年は日本のバブル、1979 年は東京サミット開催の年、1969 年はいざなぎ景気の中で外国人買いが積極化、1959 年は岩戸景気の中で投資信託がブームとなっている。
己の年は変革の年でもある。1889 年大日本帝国憲法が発布1919年ベルサイユ条約1929 年世界恐慌、1939 年第二次世界大戦開戦、1949 年東証再開、中華人民共和国成立、1959 年キューバ革命、1969 年人類初月面着陸、1979 年サッチャー政権誕生、1989 年天安門事件、ベルリンの壁崩壊、1999 年ユーロ導入。
前回「己丑」だったのは、1949年朝鮮特需前の日本経済が最も不景気だったドッヂデフレの年で大変弱い干支であった。東証が再開した干支で、ちょうど干支が60年で一周した還暦にあたり、来年は今年以上に波乱と変革の年になるかもしれない年回り(干支)に当たる。

ちなみに、12年周期かといえば、木星である。木星は約12年(11.862年)で天球上を一周し、天球を天の赤道帯にそって西から東に12等分した12の区画を1年に一つ進む。そこで、木星は年を示す星であるとして「歳星」と呼び、木星の十二次における位置で年を記したのが始まりとされている。

太陽黒点周期は11年で、微妙にずれているが、なんとなく、干支も非科学的ではなさそうな気がする。
ちなみに、太陽の黒点が2008年8月ゼロを観測した。
http://sidc.oma.be/html/wolfjmms.html
黒点のデータは1749年からずっと集められており、前回黒点が全くなくなったのは1913年の6月であるとのこと。第一次世界大戦は1914年。黒点は11年ごとに活動がゆっくりになり、数もゼロに等しいレベルまで落ちていくとのこと。しかし、通常はすばやく活動サイクルが元に戻るため、あまり問題にならないそうです。グラフで確認すると、また少しずつ増えてはいるが、はたして、元の11年周期に戻るか不明だ。
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太陽大周期とは、200年ごとに現れる、太陽黒点数の極小期である。1900年前後の極小期の200年前に当たる1700年前後にはマウンダー極小期、さらに200年前に当たる1500年前後にはシュペーラー極小期、さらに200年前に当たる1300年前後にはウォルフ極小期がある。これらの三つの極小期には、こうした固有名詞がつくぐらい太陽黒点数が激減した。14世紀から18世紀にかけての時期は、現在の温暖期や中世温暖期と比べて寒く、小氷期と呼ばれているぐらいであるが、それは、この期間が、さらに規模の大きな長期の波動、2500年周期の谷に当たるからだ。

太陽黒点数は、2500年ごとに、ほとんどゼロになる時期が来る。BC3300年頃から始まった都市革命、BC800年頃から始まった精神革命、1700年頃から始まった科学革命は、いずれも2500年周期の谷で起きた革命なのである。都市革命は、世界各地に四大文明を生み出した。精神革命は、イスラエル、ギリシャ、インド、中国に、今日でも古典として賞賛されている高度な哲学や宗教を生み出した。科学革命は、ヨーロッパに、近代科学と技術革新に基づく資本主義を生み出した。こうした人類の歴史を画期する重要な出来事が、気候の寒冷期、すなわち危機的状況で現れることは興味深い。逆に山に相当する温暖期、例えば中世温暖期では、生活が安定するがゆえに、革命やイノベーションは起きにくくなる。
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http://www.nagaitosiya.com/a/sunspot.html

【Ddogのプログレッシブな日々】
http://blogs.yahoo.co.jp/ddogs38/22198199.html  

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