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◆ クルーグマンの景気対策
世界的な景気悪化の現状において、クルーグマンが景気対策を教示した。(読売新聞 2009-01-03 )
これを紹介する。
──
まずは、(馬鹿の見本として)マスコミの見解を紹介しよう。
新聞各社の元日と三日の社説がある。(クリックしてリンク先。 「 ※ 」以下は、私のコメント。)
(1) 朝日 (01-01)
人々を豊かにするはずの自由な市場が、ときにひどい災禍をもたらす。資本主義が本来もっているそうした不安定性が、金融規制を極限まで緩めたブッシュ政権の米国で暴発し、グローバル化した世界を瞬く間に巻き込んだ。それがこの危機だ。
だが、たじろぐ必要はない。なぜなら、私たちの国は過去1世紀半近い間に、それこそ国がひっくり返る危機に2度も直面し、克服してきたからだ。
( ※ 「きっと大丈夫さ」という楽観主義。)
(2) 朝日 (01-03)
世界景気の回復に数年はかかる。保護主義の台頭を食い止めるには、何より首脳たちの強い意思が必要だ。
自由貿易協定の理想的なモデルを実現させる努力をしてはどうか。
( ※ 「数年で立ち直れるさ」という楽観主義に基づいて、「自由貿易の維持を」という提案。)
この難局を乗り越え、社会が安心を取り戻すためには、雇用のネットの破れ目を繕うとともに、希望者全員が職業訓練を受けられる態勢を整えねばならない。
( ※ 「雇用訓練で失業が解決できる」というフリードマンの主張そのまま。小泉の「構造改革」と同じ。すでに失敗が証明されている政策。cf. → 泉の波立ち 2009-01-03 「オールド・ディール」)
(3) 読売 (01-01)
“眠れる資金”を掘り起こして活用することは、重要な政策課題だ。
内需拡大に向け、社会保障や、雇用対策などを中心とする景気振興に使途を限定すれば、国民も納得するに違いない。
できれば超党派で知恵を絞るべき課題である。
( ※ 「滞留していた資金を活用しよう」というわけ。ただし「知恵」は具体策なし。)
(4) 読売 (01-03)
世界経済を立て直すには、主要国が米国と連携を強め、迅速に行動することが肝要だ。
各国は、新ラウンドの早期合意を目指すべきだ。
( ※ 朝日と同じ「自由貿易」という主張。)
──
まとめて言おう。
朝日も読売も、「景気悪化に際して、何とかしよう」という意思をもつ。しかし、その意思に対して、具体策が滅茶苦茶だ。
朝日は「数年後には何とかなるさ」と楽観することが元日の方針としてふさわしいと思う。そして「自由貿易を」と唱えることで、「世界恐慌を回避できる」と思う。
しかし、それでは、かつての大失敗を避けることはできても、原状を回復することはできない。地獄の底に落ちることは避けることができても、地上に舞い上がることはできない。(地下で低迷のまま。)
読売も「自由貿易を」と唱える点では、朝日と同じ。また、「眠れる資金の活用」という基本方針は間違っていないが、そのためには具体的にどうすればいいかという筋道を示していない。「この川を渡ればいい」という基本方針は正しいとしても、「そのためにはボートが必要だ」という具体策を示していない。口先があるだけで、手足が動かない。単に願望を語るだけ。(初夢ですかね?)
──
そこで、どうすればいいかを、私が教えよう。(一年の計は元旦にあり。)
取るべき基本的な態度は、次の二点だ。
・ 過去の過ちを直視する。(原因分析)
・ 未来の方針を具体的に示す。(明確な提案)
この二点は、次のように示せる。
・ 過去の失敗は、「金融政策で経済成長」というマネタリズムが原因。
・ 未来の成功は、「GDPの拡大」というマクロ経済学を取るべき。
この二つをまとめて言えば、こうなる。
過去の政策は、マネタリズムによって、貨幣を大量に供給することだった。それは、「貨幣を供給すれば経済が成長するはずだ」という方針だった。
しかしながら、貨幣を供給しても、実質GDPは成長しなかった。かわりに、名目GDPが成長するだけだった。
これは、「商品の物価が上昇する」という(古典的な)意味ではなくて、「資産の価格が上昇する」という(新しい)意味だった。つまり、バブルである。
そのようなマネタリズムの政策が失敗をもたらした。これが過去の失敗だ。だから、この失敗の理由を直視することが必要だ。そして、そうすれば、なすべきこともわかる。
なすべきことは、名目GDPの成長ではなく、実質GDPの成長だ。そのために必要なのは、マネタリズムではなくて、マクロ経済学である。
要するに、こうだ。
過去は、こうだった。
「名目だけの成長があったが、そのメッキが剥げて、破裂した。」
求めるべきことは、こうだ。
バブル破裂後の不況 → 好況
なすべき方針転換は、こうだ。
マネタリズム → マクロ経済学
では、そのためには、具体的にはどうすればいいか? そのことは、クルーグマンの見解を見ればわかる。
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以下では、クルーグマンの見解を示そう。なぜかというと、私とクルーグマンとは、見解がほぼ一致しているからだ。
クルーグマンと私とは、どこが違うかというと、細かな点が違うだけで、ほとんど兄弟みたいなものである。(「同種の学者間の微妙な差異」という程度にすぎない。)
ただ、クルーグマンと私とで、記述の仕方が大きく異なっている点がある。次のことだ。
「私の方が、物事の本質や大枠を、はっきりと明示している」
具体的に言うと、ここまでにすでに述べたことだ。前フリふうに、過去と未来の方針を、大枠として示してきた。私はそういう大枠を示す。そういう読者サービスがある。
一方、クルーグマンは、そういう読者サービスをしない。背景や基盤などを示さずに、いきなり結論に踏み込む。
しかしまあ、これは説明の仕方の違いだ。クルーグマンだって、上述のことは、わかっているのだろう。(単に説明しないだけだ。一方、私は親切に説明したが。)
ともあれ、以下では、クルーグマンの話を紹介する。(出典は、読売新聞 2009-01-03 )
話はかなり長いが、部分的に引用しておこう。(一部、中略。)
私たちは金融工学でリスクを管理できると思い込んでいた。市場に自浄作用があるとも信じていた。しかし結局、それは間違いだった。
今はまず、政府・中央銀行による救済策が必要だ。大規模な財政出動や、慣例にとらわれない金融政策などの対策を打たなければ、不況はこの先何年も続くだろう。
レーガン世間のスローガンは「政府は問題を解決しない」だったが、今必要なのは「政府こそが問題を解決する」なのである。
失業率を押し下げるには、巨額の財政出動が欠かせない。
財政赤字を懸念する声も聞かれるが、財政出動が将来世代を痛めつけることにはならない。今、経済をテコ入れしなければ、公共投資だけでなく、民間投資も冷え込んでしまう。経済を強くするため、あらゆる必要な手の打つことは、すべての人の利益になる。
公共投資は始めるのに時間がかかるが、景気の落ち込みは急速に進んでいる。社会保障給付や減税を組み合わせることが必要だ。1年目は広範な減税を行ない、2年目以降は公共投資に比重を移していくべきだ。
──
要点を示そう。
この話の前段は、「金融重視によるによる経済破綻」と「マクロ政策の必要性」である。市場に任せればいいのではなく、政府によるマクロ政策が必要なのだ。
この話の後段は、マクロ政策の具体策だ。それは「公共事業と減税だ」と述べている。特に、減税の重要性を述べている。しかも、それは大規模であることが必要だ。
ここまで見れば、私がいつも言っていることとほとんど同じだ、とわかるだろう。
[ 余談 ]
余談だが、読売の記事は、タイトルを付け間違えている。
クルーグマン自身は、「危機からの教訓」というタイトルを付けている。これが正しいタイトルだ。そのタイトルのもとで、
「金融危機は、(規制なしの)野放図な市場経済から生じた」
と指摘している。これは、過去の金融危機への分析だ。
一方、読売の記事は、「規制なき市場経済ない」というタイトルを付けている。そのタイトルのもとで、
「この危機にどう立ち向かい、未来を切り開くか」
という趣旨のリードを書いて、シリーズを開始している。だから、読売のタイトルとリードを読むと、
「規制のある市場経済で未来を切り開ける」
と読める。
しかし、両者は全然違うことだ。過去のバブル破裂は、病気の原因であり、それは「規制なし」だった。しかし、病気への対策は、「規制あり」ではない。「規制あり」は将来の病気の予防にはなるが、現在の病気への対処にはならない。
読売は「原因」と「処方」との区別ができていない。「原因」を逆にすれば「処方」になると思っている。比喩的に言うと、体を冷やして風邪を引いた人を、熱湯につけて茹でてしまうようなものだ。てんで見当違い。
クルーグマンのような立派な話を読んでも、これほどにも話を誤解する。読解力がまるきり足りないのである。
( ※ これは、人を「トンデモだ!」と批判するゴミ連中に共通するが。いずれも文章を勝手読みして、勘違いする。困った連中だ。)
※ 以下は、特に読まなくてもよい。
[ 付記1 ]
クルーグマンは以前、「米国では 60兆円規模の経済刺激」(純増分)という処方を示したことがあった。( → 朝日新聞からのコピー )
この「60兆円」という数値(財政出動の数値)は、私が以前算出した数字と、ほとんど同じと見てよい。理由は、以下の通り。
・ クルーグマンの数値は、米国(人口が2倍)で、状況は現在。
・ 私の数値( 20兆円)は、日本で、状況は数年前。( → 「20兆円」の記述 )
クルーグマンの「米国で 60兆円」は「日本で 30兆円」に相当する。また、現在の米国は、数年前の日本よりも、かなり悪いから、その分、私の当時算定した「 20兆円」という数値よりも、上積みが必要。
こうして比較すると、クルーグマンの算出した値と、私の算出した値は、ほとんど同じだ、とわかる。(私の方は数年前に算出していたが。)
なお、クルーグマンと私とは、結果としての数値は同じになるが、論拠はまったく異なる。次のように。
・ クルーグマン …… 過去の経験則に従う。( → 出典 )
・ 私 …… マクロ経済モデルに従う。( → 過去記事 )
[ 付記2 ]
クルーグマンと私の違いは何か?
クルーグマンは「ずっとマクロ政策を」と恒常的政策を述べている。一方、私は「最初に大規模で、あとは少しで」というふうに「最初に急加速」という方針を述べていることだ。……そして、そのことから、「最初に大規模減税」という私の提案が生じる。
また、私の方は「減税で」と述べているが、クルーグマンは「減税と公共事業で」と述べている。
とはいえ、この両者は、微差にすぎない。基本方針は、二人とも同じ。
[ 付記3 ]
ただし、二人が同じことを言っても、私の方にはネットから「トンデモだ!」という批判が降りかかるところが違う。 (^^);
無知な連中は、クルーグマンの意見と同じ意見を聞いたとき、「トンデモだ!」と批判するのだ。……実は、これは、朝日や読売と同じだが。
いずれにせよ、マスコミとネットの無知な輩は、ノーベル賞級の経済学者の意見を、まったく理解できない。そのせいで、朝日や読売は、冒頭のような見解を書く。ネットにいるゴミ連中は、私に向かって「トンデモだ!」と書く。似たり寄ったり。どっちみち、正解を理解できない。だから日本はいつまでたっても不況が続く。
──
[ 補足1 ]
ネットを調べてみたら、次の解説記事があった。( → 出典 )
《 クルーグマンの景気回復対策 》 ( by 山形浩生 )
クルーグマンは、とても簡単なことを述べたのだった。実質金利がゼロなら、それをもっと下げてマイナスにしなくてはならない――ということは、名目金利をインフレ率よりも低くすることだ。
この議論は、いまや日本以外の経済学者はほぼすべて認めていて……
これは、間違いなので、信じてはならない。(この人の記事は、翻訳は有益なのだが、経済は半可通。)
「実質金利をマイナスにせよ」
ということは、クルーグマンはずっと昔には述べていたが、今は述べていない。そんなことをしたって、投資を増やすだけで、消費は増えない。その結果は、バブルの膨張だ。
つまり、一度失敗したバブル政策を、「もう一度」というわけだ。馬鹿げている。だから、クルーグマンは、今はもうそんな馬鹿げたことを主張していない。昔の彼はマネタリズムっぽかったが、今ではケインジアンっぽくなっている。昔の彼は「金融政策で」とばかり主張していたが、今の彼は「財政政策で」と主張している。(つまり、マネタリストっぽかったのが、マクロ経済学っぽくなっている。この点、最初からマクロ経済学の方針だった私の方に、クルーグマンがどんどんすり寄ってきている。「泉の波立ち」の過去記事を見ればわかるとおり。)
上記の引用記事の話は、10年ぐらい前のクルーグマンのことだ。あまりにも古すぎる。本項で引用した「現在のクルーグマンの見解」を、ちゃんと理解するべし。
なお、クルーグマンの方針転換については、下記参照。
→ Macro policy in a liquidity trap
“ This misses a key point that I and others tried to make
for Japan in the 90s and are trying to make again now: ”
要するに、クルーグマン本人が、過去の誤りを認めている。「昔の私は間違っていました」というふうに。上記の 山** 氏の見解は、その古い方を拾い上げたもの。
( ※ ついでだが、この 山** という人の年来の経済的主張は「貨幣供給による円安で景気回復」というものだった。それが何をもたらしたかは、現在の惨状を見れば、わかるとおり。)
( ※ ただ、この人の日本語はメチャクチャなので、一つだけ指摘しておこう。彼のページの「クルーグマンの景気回復対策」という言葉は、用語が正反対である。「不況対策」ならば、意味がある。それは「ハリケーン対策」や「地震対策」と同様だ。しかし、「景気回復対策」ならば、「景気回復を回避するための策」という意味になる。それじゃ、正反対でしょ。どうしても「回復」の文字を入れたければ「対」の字を抜いて「景気回復策」にするべきだ。)
( ※ なお、このようなことは「ケアレス・ミス」とも思えるので、私は通常、ネットでは書かず、本人にこっそり通知するだけだ。「トンデモだ!」と非難する意地悪な連中とは違うので。……ただ、この人の場合、こっそりミスを通知してあげたら、お礼のかわりに、ものすごい悪罵の言葉が返ってきた。びっくり。人間性を疑う。仕方なく、こっちはネット上で書くしかなくなる。)
[ 補足2 ]
上記(補足1)の引用では、
「いまや日本以外の経済学者はほぼすべて認めていて……」
と記されているが、これは間違いだし、クルーグマンが学界の主流だということもない。むしろクルーグマンは学界では「トンデモ」扱いされている、とさえ言えるかもしれない。
実際、クルーグマンがノーベル賞を受賞したとき、保守派の学者からはさんざん攻撃が襲いかかってきた。(その件は、「ポール・クルーグマン」という項目でも少し言及した。)
クルーグマンであれ、私であれ、学界の主流ではない。むしろ、異端に近い。認める人もいるが、認めない人の方が多い。
一般に、どの学問分野であれ、その時点での最先端の研究は、多くの人々から理解されないし、「トンデモ」「異端」と呼ばれがちなのだ。つまり、凡人には、学界の最先端領域を、理解できないのだ。
上記の引用のように、「多くの人々に理解されているから正しいのだ」という発想を取る人には、物事の真実など、何も理解できない。むしろ、「多くの人々に理解されないところに、正しい真実はある」と思った方がいい。
真理は多数決では決まらないのだ。むしろ最初のうちは、真理は常に「異端」なのである。そのことを理解しないと、いつまでたっても、「真理を多数決で決めよう」という発想をして、新しい真理を見るたびに「トンデモだ」と批判するようになってしまう。
http://nando.seesaa.net/article/112076545.html