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1990年代から、金融資産が、一京円から、二京円に増えていると言う。昨年からの信用収縮で、2000〜4000兆円穴があいても、この10数年で、一京円が増えていると言う。
これら資産というのは、経済的に、どいう意味を持つのか、実のところ、分かっていないのではないか。
資本主義で言う資本と、性格が異なることは、はっきりしている。金融資本主義の資本とも、性格が異なる。
いままで経済学が考えてきた資本の動きにおける時間軸は、少なくとも、”ヶ月”を見てきた。つまり、投入と結果を測るのに、”ヶ月”という時間を前提としていた。(観測することができて、初めて、科学として議論できるという意味で。)
ところが、現在、いわゆる資本として張り付いていない、一京円はあるだろう資産は、”秒”で動く。
この”秒”単位での動きは、経済学が扱える形として表現されているとは思えない。動きを作る動機は、心理戦という以外は、誰も表現できていない。
計算機ネットワーク上で繰り広がられる心理戦は、数字の並びのみで実施されている。数字の並びが、現実世界にどのように関わるかは、実際のところ、参加者達には、分からない。”秒”で行う判断は、”ヶ月”で行う判断と、評価軸が同じであるはずがないから。
さて、心理戦に規制を加える?
参加者達は、規制から自由な世界を、短期間に創造するだろう。
そして、悪いことに、一京円の1%が、現実世界と直結するどの市場に登場しても、その市場は、”バブル”。そして、”バブル”前半戦において、一京円は、さらに膨張する。これだけは、確かだ。