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資料発掘!
旧東海銀行の見た昭和恐慌
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最近は銀行も合併やら買収やらで大荒れですが、こうした合併劇は、別に今に始まったことではなくて、70年ほど前はもっと過激でした。当時の日本は史上まれにみる恐慌時代。経済破綻が日本を戦争に導いたと云っても過言ではありません。
そこで、当時、名古屋銀行(→東海銀行→UFJ→三菱東京UFJ)が株主に送った文書から、その混乱ぶりを眺めてみましょう。
恐慌前夜、内務省に押し掛ける失業者たち(1925)。
景気回復を狙った「金解禁」が日本経済を崩壊させた。
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第一次世界大戦中、各国が金本位制を停止するなか、日本も大正6年(1917)9月12日、金本位制を停止しました。戦後、各国は相次いで金(輸出)解禁を行いましたが、関東大震災などで脆弱な経済状態だった日本は、以後13年間も不自然な禁止措置を続けました。
昭和4年(1929)11月、浜口雄幸内閣は金解禁を翌年から実行すると発表。これにより為替相場の安定や国際競争力の強化、そして景気回復を狙いました。
このとき(昭和4年12月)名古屋銀行が株主に送った「繁榮の招來策として節約預金を推獎す」という文書がこれ。国際経済にもまれることになるので、国民は皆貯蓄に励もうという内容です。
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獨逸に於ける國際節約デー
好景氣が來るやうにといふ歎聲を聞くのも久しいことになります、然し好景氣はなかなか思ふ樣にやつて來ません、太平洋の彼岸には萬年繁榮の國と羨望されて居る米國がありますが、米國は國土廣く天然資源が豊富で、日本のやうな國土の狭い富源の薄い國は追隨が困難であります、然るに飜て歐洲の獨逸を見ますと、獨逸は大戰によつて國土を削られ多額の賠償金を課せられ、天然の惠みの薄いことは我國とよく似て居りますが、最近は非常な勢で復興しつゝあるといふことであります、獨逸が盛んに復興しつゝあるといふ事實は誠に興味あることゝ思ひます、最近獨逸に於ては過般倫敦に於て開かれました國際節約會議の提案に基き第一回國際節約デーを催しました。
其の趣旨は「値打ちな品物を生産する唯一の手段は、節約に依つて一國の資本を蓄積するより外にない」と云うので、獨逸全國の貯蓄銀行が共同宣言書を發表し、青年男女及學校兒童に對し、徹底的節約によつて資本蓄積の必要を宣傳しました。
聞く處によれば、獨逸國内の貯蓄銀行預金現在高は過去四年間に、拾五億マークから八拾五億マークに達したと云うことであります。
我國に於ける金解禁斷行と節約宣傳
我國に於ても機運は圖らずも廻つて來まして、政府の來年度豫算は拾六億八百萬圓となり、前年度に比し壹億六千五百萬圓を緊縮せらるゝ事となりました。
一方、臺閣諸公の熱心なる節約宣傳は、一般國民の漸く了解する處となりまして、大正八年以來著しき入超を續けて居る貿易入超額も、本年度は十一月迄に於て六千八百萬圓に縮小して、前年同期に比し壹億貳千七百萬圓の入超減となり、又貿易の内容を見ましても徒に退嬰に陷らず國際貸借も誠に順調に向つて參りまして、多年、懸案となつて居りました金の輸出解禁問題も愈々解決せられ明年一月十一日よりは本當の金兌換の制度に復歸する事になりましたのは、上下心を一にして努力した結果であつて、誠に慶賀に堪へない次第であります。
然しながら金解禁をしたからとて、直に景氣の恢復となり、次には好景氣來となると云ふ譯には參りますまい。
今迄は金の輸出解禁と云ふ一つの温室の中に保護せられて居つた我國の産業は、解禁後になりますと此の温室を出て自由なる國際間の競爭塲裡にほり出される事となるわけで、今後の我國の産業界は容易ならぬ苦痛を凌いで、本當に立直しをなし、合理的の經營をやつて行かねばならんので、好景氣が早く來るも、又反對に一層不況に陷るのも、お互今後のやり方一つにあると思ひます。
されば此の重大時機に當りまして、全國民は一般商工業者と云はず、給料生活者と云はず、擧つて勤儉力行冗費節約に精進して行かねばならんと考へます。
然らば如何にして節約すべきか、節約の餘地は何處にあるか、又節約して得た結果を如何致したらば皆樣方の御利益であり、又一國の爲めにも利益となるのでありませうか。
(中略)
節約預金開始の趣旨
今や何人と雖も、全國民擧って勤儉力行冗費節約經濟立直しの大運動に參加すべきでありますが、皆樣に於かれましては、先ず第一に冗費節約の模範を御示し下さる樣切に御勸め致したいのであります。されば當名古屋銀行はそのお手傳ひの意味で、皆樣が毎日の剩餘金をお積立て願ふため、此度別紙申合の精神によつて「節約預金」を始めることに致しました。
(後略)
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金解禁は世界恐慌(1929〜)のさなかに行われたため、政府の意図に反して国内経済は大混乱となります。世界の物価下落に日本の下落が追いつかず、値段の高い日本製品はまったく売れなくなったのです。企業はみな倒産、労働争議は多発、一家心中や身売り、浮浪者があふれ、世相は不穏になっていきます。
結局、昭和6年(1931)12月、金は輸出再禁止となるのですが、その直前の8月に名古屋銀行が株主に送った文書を紹介。
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本年に入りましても我財界各方面の不況は容易に恢復の曙光を見るに至りません、一般物價は小康状態に入りました樣ですが重要輸出品たる生絲の低落より繭價は激落し地方農村の購買力を著しく減退せしめ、一般人心は萎靡(いび)沈滞し商取引は益々不振に陷りました、偶々六月下旬になつて米國大統領の戰債一ヶ年猶豫の提唱を動機として我國の財界も亦萎縮せる人心を刺戟すること著しく前途に多大の望をかけられ今後どう展開致しますか非常に興味を持たれて居る次第であります。
(以下略)
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満州事変の勃発(1931)やイギリスの金本位制停止で、日本の禁輸出再禁止も近いという憶測のなか、円売りドル買いが加速。政府の買い支えもむなしく、ついに犬養毅内閣は金再禁止。金解禁時には10億7000万円あった正貨準備高は,
すでに4億円に激減していました。
ドルを買い占めた財閥の横暴に対し、国民の不満は増大。この反感に乗じて右翼や軍部が力を持ち始めていき、以後、満州国建国、5.15事件などが続きます。
以下の文章は、昭和7年2月、金再禁止直後に名古屋銀行が株主に送ったもの。
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財界の景況
昨年の我經濟界を顧みますと引續き世界的不況の影響を受けまして對外貿易は更に萎縮し物價の低落、生産の不引合、購買力の減退何れの方面も立直りの途を見出し得ず益々其の度を深めつゝある状態で眞に經濟國難時代とも言ふべきでありました。
殊に最も大きな衝動を受けましたのは英國金本位停止以来對英為替の始末其他諸種の事情による圓賣弗買取引から巨額の正貨が海外へ流出した事でありまして日銀再度の利上げも効なく正貨準備高は遂に四億圓臺に激減し内閣更迭の直後十二月十四日我國も亦金輸出再禁止斷行の餘儀なきに至りました。
これが爲め株式各種商品市場は俄然活躍を始めましたが多年の不況困憊は容易に樂觀を許さず急激なる財界の變動によつて多事匆忙(そうぼう)の裡に年を越しました。
(以下略)
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国内経済の破綻で、人々は銀行から預金を下ろし始めます。なかには資金が尽き、支払猶予を求める銀行も。これは明治銀行が送った支払猶予のお願い(昭和7年3月)。
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……預金の急速なる引出に遭遇致候爲め一時手許逼迫を來し候に就は御迷惑の程は重々拜察仕何とも申譯無之候へ共目下資金調達其他善後策に付最善を盡し居候間預金御支拂の儀何卒暫く御猶豫被下度奉願候……
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結局、資金の尽きた明治銀行は「重役一同誠意を披瀝し銀行整理資源として見積總額五百萬圓の私財を提供」(昭和7年6月)します。つまり重役が金を出したというわけ。今の銀行も、見習って欲しいものです。
なお金融恐慌時は、現在同様、銀行の合併吸収が盛んでした。先の名古屋銀行は、昭和16年3月27日に愛知銀行、伊藤銀行と合併し、東海銀行となります。参考までに、合併契約書を書いておきましょう。
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合併契約書
株式會社愛知銀行(以下甲ト稱ス)、株式會社名古屋銀行(以下乙ト稱ス)、株式會社伊藤銀行(以下丙ト稱ス)ハ合併ノ爲左ノ契約ヲ締結ス
第一條 甲、乙及丙ハ合併ニ因リ解散シ新銀行ヲ設立スルモノトス
第二條 新銀行ノ目的、商號、資本ノ總額、壹株ノ金額及本店ノ所在地ハ左ノ通リトス
一、目 的 銀行法ニ據リ一般銀行業務竝ニ之ニ付随スル業務ヲ營ムコト
二、商 號 株式會社東海銀行
三、資本 ノ 總額 金參千七百六十萬延圓也
四、壹株 ノ 金額 金五拾圓也
五、本店ノ所在地 名古屋市
(以下略)