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“派遣切り”の加速は、企業の本質を理解できない政府の自業自得だ
雇用調整が、凄まじい速さで進行している。とりわけ、非正規社員の悲惨な事例は枚挙の暇がない。ついに日産自動車は、国内の派遣社員2000人と期間従業員50人の契約を来年3月までにすべて打ち切ることにした。非正規社員は、ゼロになる。
日本企業の経営は、明らかに変わった。
経営者は、従業員の実質解雇に対する忌避感と罪悪感を喪失してしまったかのようだ。雇用に手をつけるのは最後の経営手段である、という躊躇はなくなった。企業は多数のステークホルダーに対して責任を背負っているが、従業員に対するそれは著しく低下している。こうした変化は徐々に進行していたのだろうが、急速に景気が悪化する今、私たちはその変化の激しさをありありと見せつけられることになった。
その象徴的事例が、御手洗・経団連会長が麻生首相から雇用維持要請を受けた3日後に、自ら会長を務めるキヤノンの関連企業の大分工場の派遣社員の雇用契約を打ち切った件である。首相の要請を振り切ったのだから、もはやどんな社会的存在によっても止められないという産業界の意思を広く社会に知らしめた。また、経団連会長の企業が先陣を切れば、当然すべての企業が同様の措置をとっても許されると受け取る。御手洗会長は、そうした効果を知りつつ派遣切りを行ったのだろう。つまり、意図的である。
では、経営者は今、いかなる心理状態にあるのか。ある自動車メーカーの専務は、「業績の悪化はあまりに急激で、大幅だ。我々の最悪のシナリオを知ったら、株価はさらに暴落し、銀行は見向きもしなくなる。その恐怖が我々を雇用調整に駆り立てている。やれることから、やるのだ」と打ち明ける。
一方、大手電機メーカーの副社長は、「こうした不況時に対処するためにパート、期間工、派遣社員の比率を上げてきたのだ。痛みを最小限に抑え、回復時へ体力を温存するために、彼らを調整弁にすることは、企業にとっては合理的行動だ。それが、なぜこれほどに悪者扱いされるのか」と言う。
ともに、嘘偽りない本音である。グローバリゼーションの波に洗われ、途上国の安い労働力と競争するために非正規社員雇用の規制緩和を政府に要請し、実際に非正規社員比率を拡大し、未曾有の業績悪化と信用収縮の負の循環に巻き込まれないために、真っ先に非正規社員を整理してコストを下げる――。
確かにそれらは、企業経営にとって自社を守るための合理的な施策、行動である。企業が社会の大きな構成要員であり、個々の事情を最優先した雇用政策が社会的不安を巻き起こすことについて、経営者はどこまで責任を持つべきか、という点をここで議論するのは避けよう。
最大の問題は、彼らにとっての合理性を最大限に追求する産業界の要望を政府がこれまで全面的に受け入れ、雇用の規制緩和一辺倒で応じてきたことだろう。振り返れば、一定の歯止めをかけることなく、あまりにクビを切りやすい条件を整えてきた。労働政策が国家政策であるという意識を持たず、産業界が主導する規制改革会議にその方向性の決定を委ねてきた咎めは大きい。
例えば、企業が派遣社員を雇用契約期限が切れる前に公然と切ってしまうのは、雇用契約書のなかに期限前解雇を許容するように読める条文を入れられるように規制緩和をしたからである。
実は、厚生労働省は、「派遣先が派遣契約期間の満了する前に派遣労働者を解約する場合、派遣先は派遣先の関連会社で就業を斡旋しなければならない」という通達を出している。だが、それを遵守する企業などほとんどないだろう。通達を無視する企業を、政府は放置してきたからである。守らなくてもいいものだとしてしまったのである。経団連会長が首相の要請を無視したのも、これらの延長線上にある。
守島基博・一橋大学教授は、「それは、与党も厚生労働省も、あまりに企業経営と経営者について無知であるからことに原因がある」と指摘する。
与党と厚生労働省は、正規社員と非正規社員の格差問題がさまざまに指摘されるようになって、その解決策として「非正規社員比率の上限を10%とする」といった規制法案の実現に動いたことがある。
このときは理念も数値根拠もあまりに薄弱だとされ、法案化は見送られたのだが、これまでの規制緩和一辺倒にしても一転した強圧的な規制志向にしても、「いずれも経営者の雇用に対する考え、心理を理解していない」(守島教授)ことが明白である。単純な規制緩和策は利用され、規制は非現実的だと無視されかねないということが想定できずに、施策を打ち出す。さらに、今回の緊急雇用対策に至っては愚策極まれりであり、雇用を継続した場合一人につき100万円給付するからといって、歓迎して従う経営者がどこにいるだろうか。
世界が記憶にない経済的混乱にあり、産業界がパニックに陥っている現状では、雇用調整に歯止めをかける術はあるまい。それは政府が招いた自業自得でもある。与党、野党、厚労省は今、違法あるいは非人道的な人員整理には目を光らせながら、産業界が落ち着きを取り戻した時に議論すべき内容を準備すべきである。
非正規社員を不況時の調整弁に使うことは、本当に企業経営にとって効率的なのだろうか。生産現場や顧客との接点に多数配置されている非正規社員を簡単に整理すれば、組織にスキルは蓄積しない。また、非正規社員の増減は正社員の業務に著しく負担をかける。非正規社員のマネジメントに疲弊する正社員は急速に増えている。こうして、長期的には決して企業の生産性を向上させないという指摘は、数多くの専門家が指摘している。
とすれば、こうした問題を産業界と共有し、正社員と非正規社員の雇用がいかにあるべきか議論をリードするのが、政府の役目であろう。例えば、雇用継続そのものではなく、非正規社員の能力開発の場を用意する企業に補助金を出すほうがはるかに経営者心理に働きかける効果はある。また、そうしたスキルアップの意欲のある非正規社員を正規社員へ転換できるルートを社会的に用意できれば、生産性向上に結び付く。国と産業界は、対立あるいは利用ではなく、連携こそ必須である。
(2008年12月18日 DIAMOND online)
基本的に正しい見解だとは思うけれど、少し違うのは、経営者は政府の政策によって忌避感と罪悪感を喪失してしまったのでは無い、という事だね。
全てが全てでは無いし、素晴らしい経営者だって多数いる事はいる訳だけど、基本的に、そういう輩は、昔から一定数以上は存在していたが、ただ、規制によって鎖に繋がれていたに過ぎない。
それが、小泉チョン一郎という餓鬼の王による規制緩和によって、野に放たれただけの事。
元々、資本主義という制度は、権力がある程度睨みを効かし、規制を掛けない限りは、そういう良心の道徳心も持たない餓鬼や修羅の方が短期的には勝ち上がり易い制度だと言える。
いや、効かしていても、基本的にはそうだろう。
そういう資本主義のセキュリティホールを突いて革命を起こそうとした、或いは起こした勢力こそが、マルクス主義者、共産主義者と呼ばれる連中。
これに脅威を覚えた資本主義陣営の政権、権力者達は、社会保障を手厚くしたり、雇用の安定化に注力したりと、アカいウイルスが拡散しないよう、増加しないような政策を組み立てていった訳だ。
セキュリティホールそのものを無くすのは無理でも、その前にファイアウォールを作る事で対処していた、と。
まあ、その話は今回はいいとして、兎に角、規制無き資本主義というのは、暴走以外の結末を迎える事は無い。
日本的経営というものは、日本人の民族性というものも大きいが、それにプラス、餓鬼や修羅を暴走させない規制というものがあって初めて成り立つものなのだ。
そこのところを理解しない限り、悪夢の連鎖は終わる事は無い。
このまま進めば、小泉やケケ中を始めとするアカのおフ○ラ豚どもの野望を成就する事だろう。
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