★阿修羅♪ > 国家破産60 > 382.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
(回答先: 秘話八木アンテナ 、世界中で綺麗なTVを見られる幸せを 投稿者 kokopon 日時 2008 年 12 月 04 日 19:54:47)
http://www2.u-netsurf.ne.jp/~ikasas/radar/jprdf01.htm
八木・宇田アンテナ
1925年に日本で無線通信の分野で世界的な発明が生まれる。東北帝国大学の八木秀次教授の研究室で,学生の西村雄二がコイルの共振の実験をしていると,不思議な現象が起き,八木に相談する。
アンテナの前に波長の半分より少し短い長さの導体を置くと,その方向に指向性が高くなる現象である。八木はこの現象を講師の宇田新太郎と一緒に研究し,1926年(大正15年)2月に論文を発表し,「電波指向方式」の特許を得る。しかし日本では学界も無視し,海軍も陸軍も関心を示さない。
1928年(昭和3年)に八木はニューヨークで開かれたアメリカ無線技術者協会の総会で,このアンテナを発表して高い評価を得る。八木の講演録は1928年6月号の『IRE会誌』に掲載され,八木は1932年5月に米で特許を取得する。その後,マルコニー社は八木・宇田アンテナの特許を買い,RCA社も八木と契約する。米国,英国,ドイツは八木・宇田アンテナをレーダー用のアンテナとして採用する。しかし日本では全く無視された。
米国,英国,ドイツは八木・宇田アンテナをレーダーに採用する。
米国 航空機搭載レーダー『ASB』
航空機搭載レーダー『ASB』
原子爆弾『リトルボーイ』の起爆装置
英国 艦船搭載射撃レーダー『Type284』
艦船搭載航空機射撃レーダー『Type285』
射撃制御レーダー『GL MarkT』,『GL MarkU』
ドイツ 航空機搭載レーダー『ネプチューンR−2』
1942年(昭和17年)1月,日本軍はシンガポールを占領し,ここで英国の射撃制御レーダー『GL MarkU』を捕獲すると。これに八木・宇田アンテナが使用されていた。この後,陸海軍が八木・宇田アンテナをレーダーのアンテナに採用する。
八木・宇田アンテナを使った日本のレーダー 『タチ1号』
『タチ24号』
『た号改4』佐竹式ウルツブルグ
射撃制御レーダー『四号二型電波探信儀』
航空機搭載レーダー『3式空6号無線電信儀』
夜間戦闘用機上レーダー『十六式空六号』
Type N-6
Type FM-3
マグネトロンの発明
1920年にドイツのドレスデン大学のバルクハウゼン教授がマイクロ波振動を発見した。その翌年に米国ジェネラル・エレクトリック社のハルが2極真空管の軸方向に磁界を加えて電子流を制御するマグネトロンを発明する。
1925年(昭和元年)に東北帝国大学の八木秀次博士がバルクハウゼンのマイクロ波振動を使って周波数780MHzを発生させる。1927年(昭和2年)に同じ大学の岡部金次郎博士が,ハルのマグネトロンを研究している時にマイクロ波が発生していることを発見する。厚い銅板の中心に孔をあけ,その周囲に直径約1cmの孔をあけて,中心の孔に陰極を入れて,周囲の銅を陽極とし,そこに磁気を与える構造である。岡部は分割陽極型マグネトロン,「超短電波発生用真空管」の特許を取る。
岡部金次郎が発明したマグネトロン試作品
海軍技術研究所の伊藤庸ニはこのマグネトロンの研究を進め,日本無線が製品化して1939年(昭和14年)に送信用のマグネトロン『M―312』と受信用『M―60』を完成し,海軍の電波探信儀2号2型に使用される。
日本無線が開発したマグネトロンM312
2 81 +−