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(回答先: 【ゴイム帝王ロスチャイルド製造】 金融大量破壊兵器 CDSの恐怖?! 【youtube】 投稿者 愚民党 日時 2008 年 11 月 10 日 18:36:04)
http://55096962.at.webry.info/200807/article_1.html
北欧神話のカラクリ・かくして神々は黄昏の地平に去りぬ
最初に結論から入ろう。
北欧神話の神々の性質は、道具によって規定されている。
別の方向から言い換えれば、その神様の本質は道具であり、道具がなければ役目を果たせず役立たずに成り下がる、ということ。すなわち「道具」と「神さま本体」は不可分であり、道具を失った神に意味がないのが北欧神話の世界だということだ。
これが突然思いついた私の推測なのだが、これが正しいとして以下の話を進めよう。
北欧神話には、名前のついた道具の登場が多い。オーディンの持つ武器グングニル、財産の象徴ドラウプニル、騎馬スレイプニル、玉座フリズスキャールヴ。トールのもつ槌ミョルニル。フレイの船スキーズブラズニル。まだまだ他にも沢山あるし、固有の名前の出てこない"鷹の衣"のようなものまで入れれば、それだけで一つの辞典が作れるほどに数がある。
さて、これらの道具だが、基本的に持ち主以外は使わない。彼らは片時もシンボルである道具を手放さず、それを失うことには重要な意味がある。
それは最初に結論で述べたように 道具こそ神格の本質 だからだ。道具を失った神は己の役目を果たすことが出来ない。ちょうど、「調停の右腕」を失った戦いの神チュールが、もはや調停者とは呼ばれくなったのと同じようにだ。
トールは、巨人殺しの二つ名を持つ剛力の神でありながら、その武器であるミョルニルを失うと巨人に対抗することが出来ない。彼がこの武器を失った際、神々は「巨人が攻め込んできても防げない」と恐れおののく。
求婚のため剣と馬を失ったフレイは、ラグナロクで炎の巨人に倒されることになっている。
オーディンの武器グングニルは人間に貸し与えられることがあるが、その人間は神の力を得て決して敵に負けることはない。
神々の若さすら女神イドゥンの持つ若返りのリンゴに由来するもので、それなくしては神々は若さを保つことが出来ず、彼女の存在は神界に必要不可欠なものである。
北欧神話の神々は、「人間くさい」のではなく、そもそもが、「特別な力を得た人間」と大差ない存在なのだ。道具こそ力の本質であり、彼ら自身が最初から持っている能力は突出しているわけではない。
道具の力なくしては、彼らは神々の座に居られない。人とおなじく老化の定めに絡め取られ、巨人や化け物たちと戦うすべも持たず、いずれ戦場に死すべき運命を逃れられない。
北欧神話の神々に関するエピソードのかなりの部分が、神々の「道具獲得」と「道具の喪失」または「奪還」に充てられているのは、そのためでもあるとおもう。それが神の生と死を意味するに等しいから。また、道具を奪われたままになれば、奪ったものが元の神に成り代わることが出来るから。
このように道具の重要性に気がつくと、北欧神話世界における神々は、自身で道具を生み出すことが出来ないという事実が、ある一つの示唆をもって再び目の前に現れてくる。
彼らの道具を作り出しているのは実は地下世界に住む醜い小人たち(オーディン、トール、フレイらの持ち物は彼らの作品)、もしくは世界の果てに住む巨人族(エーギルの鍋は彼らの持ち物だった)である。
ということは、アース、ヴァンといった神々は、実はこれらの崇拝されることのない種族から神格を奪っているのではないか?
そもそも神々自身が創造したものに何があったかを考えてみるといい。実はほとんど存在しない。
オーディンの知恵はその片目と引き換えに、ミーミルの泉から得たものだ。詩人の才能はクヴァシルの血から造られた蜜酒を奪って得た。神々の住むアスガルドの城砦ですら、巨人を騙して造らせた。それらのなかった時代の彼らは大したものを持たない存在に見える。
要するに、北欧神話の神々は、自らの生まれたままの状態では巨人や小人と大差ない存在でありながら、道具の力を借りて特異な存在になっているだけなのである。
だから神々の没落<ラグナロク>は、神々が、得た道具を「喪失」したのちの物語、または、敵側が更に強力な道具を「獲得」したあとでなくてはならない。
道具の喪失としてはっきりと描かれているのは、チュールが右腕をなくしていること、最後の戦いの始まるまでにフレイが剣と馬を失ったこと、オーディンが腕輪を冥界へやってしまったことくらいだが、他にも己の存在を規定する何かを失っている神々はいるのではないだろうか。
(ヘイムダルが聴力と視力の半分を失う、イドゥンがりんごとともに姿を消すといったテキストもあった気がするが、出典が思い出せない)
道具の「獲得」としては、スルトのレーヴァテイン、ヘルの乗るナグルファル、そして戒めから解き放たれたヨルムンガンドやフェンリル、ガルムといった存在が挙げられる。
ラグナロクとは、だから、アースやヴァンのもつ「道具」が減り、敵である巨人族や罪人たちのもつ「道具」が増えてパワーバランスが崩れたときに発生する、始まった時点で装備スペックから結果が決まっている出来事(それが"運命"の正体)とも読める。
世界が滅びたあとの再生も、こう考えることが出来る。道具さえあれば神になれるのだから、道具が残っているならば、同じ神格が継続しているはずだ、と。
ラグナロクに生き残ることが確実なのは、ヘズとバルドル、ヘーニル、ヴィーザルとヴァーリ、トールの二人の息子、モージとマグニ。このうちモージとマグニは父の残したミョルニルを引き継ぐ。だからトールと同じ、大地や雷鳴を意味する神になることが出来る。
バルドルは自らが冥界に下ったとき、父オーディンから受け取ったドラウプニルを持っているかもしれない。
これらの神々は、道具に付随して生き残った神々なのだと思う。その道具を扱う神格が必要だから、という理由で、生き残ることを許された。
しかし、だとすると、ラグナロク後の神々に遺されているのは、巨人と戦う力と、財産くらいのものなのか。
さて、ここまで展開させてみたこの自説だが、実は少々、穴もある。
ヘーニルは最初の人間であるアスクとエムブラに心を与えたとされる。
ヴィーザルは森の神で自らの装備品を自ら作ることが出来る。(例の、オシャレなパッチワークのブーツ。火の上も平気で歩ける優れものだ)
つまりこれらの神々は、自ら、己を規定するものを生み出せる。
「自分からモノを生み出せる」神は、もはや道具に規定される神格ではない。北欧神話の神々の中にも、例外はいるということだ。
だからこそ最後の戦いに生き残ったのだろう、という見方も出来るが、じゃぁ詩作の神ブラギが生き残っていないのは何故だ、とか、オーディンだって天を造ったことになっているだろう、とか、必ずしも生き残っているメンバーチョイスがこの説とは一致しないのだ。
と、いうわけで、もういちど違う角度から結論に入ろう。
道具によって性質を規定されている神々の大半は、ラグナロクで道具と一緒に滅んでしまった。
神々が二度とそのままの姿で蘇らぬように、神々の道具は黄金の将棋を除いてもう戻ってこないし、どこを探しても永遠には見つかるまい。
http://55096962.at.webry.info/200807/article_1.html