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(回答先: 【ノーベル経済学賞】クルーグマン氏、米政権経済政策は間違いと批判【産経】 投稿者 ワヤクチャ 日時 2008 年 10 月 14 日 19:01:00)
http://members.jcom.home.ne.jp/rieux2/liarpresident.htm
『嘘つき大統領のデタラメ経済』(ポール・クルーグマン、三上義一訳、早川書房、2004.1)
【読んだ時期】 2004年2 - 3月 【作成日】2004年3月8日
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この本の原題は、"THE GRATE UNRAVELING ―― Losing Our Way in the New Century" である。翻訳本のタイトルには時々翻訳者の独り善がりとしか思えないものがある。読み出したころは、この本もそんな手合いかと思ったのだが、NYタイムズのコラムを集めたという本文を読み進むうちに、実にピタリのタイトルだと思うようになった。ここにはまさにタイトル通りのこと、即ち、ブッシュとその取り巻き連中の嘘と出鱈目振りが書かれている。
果たして、ブッシュは巷間言われるような史上最低のアメリカ大統領なのだろうか?ワースト・ワンかどうかは私には分からないが、限りなくそれに近い存在ではあるようだ(イラク戦争という観点から捉えて、私はこの評価に同意する)。しかし、我々にとって最大の問題は、こうしたブッシュ政権に己が保身のため盲従する51番目の州知事を首班として戴く事と(加えて、経財・金融大臣はアメリカ財務省辺りの出向者?)、それを高支持率という形でサポートする「国民」なるものの存在である。
☆ ★ ☆
「革命勢力」という概念
この本の本文(NYタイムズのコラム)には、最初に述べた通りタイトル通りのことが書かれている。しかし、私がこの本の中で最も興味深かった点は、「革命勢力」という概念の提示であった。
ここで言う「革命勢力」とは、通常我々が思い浮かべる左派ではなくアメリカの急進的右派のことである。彼らは長年に渡り築き上げられてきたアメリカの政治・社会的制度の存在意義を認めず、我々が当然と思い込んできた社会のルールまでも否定する。一言で言えば、既存の体制の正当性を認めない人々である。
こうした人々の台頭、即ち、アメリカの政治に起きた急激な変化を専門家(ジャーナリスト達や反対派の政治家など)を含めほとんどの人達がすぐには理解できなかった。そして、クルーグマンはこうした現状の説明を、若き日のヘンリー・キッシンジャーによって書かれた19世紀外交についての論文(『回復された世界平和』、1957)の中に見出したのである。そこには既存の権力が「革命勢力」から挑戦を受けたときの戸惑いについて述べられており、ブッシュ政権とそれに対するアメリカのマスコミや政治組織の反応になぞらえてみる事ができる。
「政権の安定が永きに続くと思い込んでいたため、既存の枠組みを破壊しようと目論む革命勢力の言動を額面通りに受け入れることは、ほとんど不可能だった。現状維持派は革命勢力の抵抗を単なる戦術的なものとしてしか受け取らなかった。つまり、本当は現政権の正当性を認めているのに、大袈裟に主張することで相手から譲歩を引き出そうとしているだけだと思い込んでいたのである。抵抗は特定の不平不満からもたらされたものであり、ある程度の譲歩で解決することができると勘違いしてしまっていたのである。来るべき危険に警鐘を鳴らす者は、人騒がせだと思われるだけであった。新しい状況に順応しようと助言する者はバランスの取れた健全な人間だと受け止められた……しかし、革命勢力の本質は自己の所信を断行することであり、彼らはその所信を限界まで実現することに実に熱心なのである。」(p31)
クルーグマンはこれを読んでぞっとしたと書いている。私もこれを読んで理解した。ブッシュは所信通りにイラク戦争をやってのけたのだと。何と愚かにも!
☆ ★ ☆
この本のはじめの方でクルーグマンは以下のように述べている。
「残念ながら、本書はハッピーな本ではない。大半は経済的失望、お粗末なリーダーシップ、そして権力者がつく嘘についてである。がっかりしないでほしい。アメリカではおかしくなったことで修復できないことはないのである。」(p24)
冗談ではない!そうしたアメリカのおかしな行動のとばっちりを受けた人々、それも修復不能な被害を受けた人々――理不尽な爆撃で殺されたり、かたわにされたり、劣化ウラン弾の被害を一生背負わされることになった人々――に一体どういう落とし前をつけてくれるのだ!全くアメリカ人という奴はテメーのことしか考えない奴だ、と毒づきたくなってくる。勿論、自分のことしか考えないのは全ての人間における基本属性であることは確かなのだが。まあ、正義の味方クルーグマンにはこうした非難は迷惑千万だろうが。
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ところで、クルーグマンという人は、一時喧しかったインフレ・ターゲット論の卸元だそうだ。最近株価が一寸戻したのであまり聞こえなくなったが(それでも小泉政権発足当時に比べれば下げ幅を6割戻しただけだ)、解説等を読むと何やら勇ましい冒険者的な議論のように聞こえるのだがどうだろうか。
さて、本書だけを読んでいると「リベラルで格好いい」クルーグマンの印象が強い。そこで、以下に一寸辛口のクルーグマン評も紹介しておこうと思う。
東谷暁のクルーグマン評
「自由貿易の旗手として論じ、九七年ころからインフレ・ターゲットという福音を日本にもたらしたというイメージがある。しかし、八〇年代には戦略的通商政策論という、日本のハイテク産業やヨーロッパの航空機産業に対抗するための理論を構築し、また、九二年にはアメリカの不況には財政出動しかないと主張していた。つまり、この経済学者も、その時代の要請に沿って、アメリカの国益に忠実に仕事をしてきたのである。的中したといわれるアジア通貨危機の予測は、生産性からの議論であり、金融危機からのものではなかった。ヨーロッパ経済統合など出来るわけがないと予測していたが、見事に裏切られた。予測の当たらないことや意見を変えることは日本のエコノミストと何ら変わらないのだが、掌の返し方がうまい。若い読者の憧れの対象で、いつも正義の味方のように受け止められる傾向がある。」(『エコノミストは信用できるか』、文芸春秋、2003.11)