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(回答先: 石原慎太郎・東京都知事・・・ 「200円、300円で泊まれる宿はいっぱいあるんだよ。」【毎日新聞】 投稿者 hou 日時 2008 年 10 月 07 日 00:23:39)
http://www.news.janjan.jp/living/0701/0701258788/1.php
東京メトロ・南千住駅からバス通りに沿って南に5分間ほど歩くと、泪橋(なみだばし)交差点に行き当たる。1泊2000円台の簡易宿泊所が密集する一角だ。
山谷のドヤ街である。ドヤとは「宿=ヤド」を自嘲的な意味を込めてひっくり返した呼び名だ。築30年はたとうかという簡易宿泊所がひしめく街は、昭和のまま時間が止まったような錯覚さえ覚える。
東京都の調査(2003年)によると176軒の簡易宿泊所があり、約5500人が宿泊する。ピーク時だった昭和38年の3分の1にまで宿泊者は減少した。現在では宿泊者の半数以上が60歳を超え、5割が生活保護受給者だ。
「ここは長屋です」
このドヤ街にホスピス「きぼうのいえ」はある。鉄筋4階建ての小ぶりで瀟洒なたたずまいだ。周囲の簡易宿泊所とは趣が違うが、界隈によく溶け込んでいる。
聖職者を志していた山本雅基・施設長が、実家やキリスト教団体などを駆けずり回って資金を集め、02年11月に立ち上げた。入居者が生活保護費の中から部屋代や食費を払い、善意の寄付などで残りを賄う。
入居者は21人。末期ガン、重度の糖尿病、HIVなど不治の病に冒された人たちが、医師の治療を受けながら暮らす。重い病に罹りながらも身寄りのない人たちが、福祉事務所の相談員に連れられて来るのだ。
自宅で倒れて病院に運び込まれ、その後「きぼうのいえ」で暮らすことになった独居老人もいた。現在の入居者で最も若い人は58歳、最高齢は91歳だ。
設立から4年余りが経ったが、43人がここで最期を迎えた。毎月ほぼ1人見送っていることになる。
「きぼうのいえ」の特徴は、病院や特別養護老人ホームなどの施設と違って、入居者が自由に暮らせることだ。「ここは長屋と同じです。皆さん、自宅に住んでいるんです」と施設長は話す。「入居者」と呼ぶのはこうした理由からだ。
「東京タワーは俺が建てた」
ドヤ街の最盛期は東京オリンピック前夜だった。山谷の男たちは、簡易宿泊所から首都高や地下鉄の工事現場に通い、日銭を稼いだ。「きぼうのいえ」の入居者の7〜8割は、かつて建設労働者だった。日本の高度経済成長を支えてきた人たちなのである。
佐藤安正さん(大正7年生まれ=写真)は「きぼうのいえ」に来る直前まで近くの簡易宿泊所に住んでいた。身寄りはない。口癖は「東京タワーは俺が建てた」だ。とび職人の佐藤さんは、怖さを消すためにヒロポン注射を打ちながら、高さ333メートルの鉄塔建設に従事した。
溶接作業の時、佐藤さんは遮光面を着けずにガスバーナーの火花を散らした。作業が3倍はかどるからだ、という。こうして3倍稼いだ。その結果、無理がたたり角膜を傷つけることになった。失明。自室の電灯が点いているのかさえ判別できない。
満州の前線で終戦を迎えた佐藤さんは、シベリアに抑留された。苛酷な労働に加え、飢えと寒さで命を落とした僚友は数え切れない。やっとの思いで帰国してからは働きに働いた。昭和を凝縮したような人生である。
佐藤さんの部屋を訪ねた。ドアを開けようとすると弾けるような笑い声が響いてきた。看護師やケアスタッフと四方山話に花を咲かせているのだ。聞けば「きぼうのいえ」一番の人気者ということだ。「ここは好きにできて楽しい」と佐藤さんは顔をほころばせる。
「死んでいく場所ではなく、生きる場所として使ってほしい。最後の一瞬まで生きて、生きることはいいなあと感じ取ってから、次のステージともいうべき死に臨んでほしい」。山本施設長が「きぼうのいえ」に込めた願いを、誰よりもよく知っているのは入居者だ。
◇
「きぼうのいえ」ではお米、タオル、石鹸、洗剤などの提供を待っている(電話・03−3875−7523)。
(田中龍作)