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株式日記と経済展望
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu176.htm
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/
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この度のリーマンの破綻は、アメリカ・システムそのものを支えた
覇権システムの中核であり、経済価値観を象徴する存在なのである
2008年9月19日 金曜日
◆リーマンの破産、擬制の終焉。 9月16日 カフェ・ヒラカワ店主軽薄
http://plaza.rakuten.co.jp/hirakawadesu/diary/200809160000/#comment
リーマン・ブラザースが、チャプターイレブンの適用を申請のニュース。
テレビも新聞も大騒ぎである。
だからなんだというのだ。(と、前にも言ったけど)
金で金を売り買いして肥えてきた会社が、
金で躓き、金に行き詰ったという話である。
勿論、世界は混乱するだろう。
一般消費者も、景気の後退の影響を受けるだろう。
だが、この混乱はモノやサービスを媒介しない
欲得と欲得の交換が巨大過ぎるビジネスになったときにすでに
はじまっていたと思うべきなのだ。
この度の米国経済の破綻は、
信用の収縮と呼ぶべきものではなく、行き過ぎたお金への信仰が、
欲望が再生産を繰り返して作り上げた幻影に対するものでしかなかった
ということが露呈したに過ぎない。
最初から信用というようなものは無かった。
信仰は、幻影には実体がないと分かった瞬間に
一気に萎む。
何度かアメリカを往復し、仕事場をつくり、その社会を見てきた印象を言えば、
この社会はその作り方の根本のところでどこか間違ったものを含んでおり、
いずれそのほころびは目に見える形でもっとはっきりとした
無残な輪郭をあらわすだろうということだった。
すでに、その兆しは街のいたるところに見え隠れしていたように思う。
無理な戦争を仕掛けようが、
世界の富を簒奪するシステムを遂行しようが、
政治的・経済的覇権を正当化し、維持するためには
ひとつの擬制(フィクション)が必要だったということかもしれない。
アメリカの正義は、世界の正義であり、人類の利益に資するものだという
擬制がそれである。
彼らがその擬制を補完するために掲げた、自由も、チャンスも、平和も
まさにその社会の根本に、原理的に欠けているがゆえに、その欠落を隠蔽するために
設えられた「正義」のように見える。
「フェミニズム」は女性蔑視の裏返しであり、
「自由」とはまさに先住民の犠牲の上に築かれた
征服者を正当化する方便であり、
「チャンス」は社会の下層に充満する
不満をなだめるために設えられた決して実現しない夢(ドリーム)を
指し示すサインのようであった。
擬制の仕上げは、金こそが世界を支配する万能のパワーであり、
人は金によって幸福を得る事ができるという信憑であった。
アメリカン・ドリームとは、一夜にして大金持ちになるという
ことであり、アメリカとは、
そのチャンスを平等に分け与える世界でもっとも開かれた場所であるという信憑。
勿論、俺はそういった擬制(フィクション)の上に市民社会というものが
形成されることを否定はしない。
多かれ少なかれ社会というものは、ひとつの擬制(フィクション)の上でしか
運営してゆくことはできないからだ。
デモクラシーもひとつの擬制であり、自由主義もまた
ひとつの擬制だろう。完全に民主的な国家も、真に自由を享受できる
国家も現実には存在していない。
共同体を統合してゆくためには、どこかにそのメンバーが
共有できる信憑の対象が必要であり、それは擬制という形式を取らざるを得ないだろう。
人間は誰もが自分の欲得を求めて行動してよい。それが、社会を発展させる原動力になる。
秩序は市場が作り出す。だから、人々は貪欲に欲望を解放してよい。
お金はパワーである、人間がひとりで生きてゆくにはパワーが必要である。
そう思うのはいい。(俺もそう思っている。)
だが、同時にお金が行使できるパワーは極めて限定的なものであり、
それを万能だと思うことは恥ずかしいことなのだという認識を
お金が重要であると考える同じ分だけ帯同すべきなのである。
擬制は、自らそれが擬制であることを知り、もっと控えめであるべきなのだ。
十年も前から、いやもっとずっと以前から
擬制でしかない価値を、集団的に正義と読み替えたことによって、
この擬制の崩壊ははじまっていたというべきだろう。
ただ、この崩壊は、俺が思っていたよりも速い速度で、
進行している。
サブ・プライムローンの破綻、
住宅公庫・公社の破綻と政府による救済、
この度のリーマン倒産と、メリル・リンチの経営破綻と買収、
この一連の出来事を、
日本の不良債権処理問題との対比で
語る人がいる。
(それも、アメリカは「日本と違って」処理が迅速なので
日本の不良債権処理にかかった期間よりも、
早く解決に向かうという文脈で)。
こういった方々のお見立ては、
まったくのお門違い、頓珍漢だというべきだろう。
経済評論家、投資銀行家、株やさん的には(十羽ひとからげで
もうしわけないけど)この問題は、バブルの崩壊、信用の収縮、金融システムの
調整の問題に見えるのかもしれない。
バブル生成のプロセスと、その破裂と再生の金融プロセスだけ見ていれば、
この度のアメリカ経済の混乱は、
日本が経験した土地バブルの崩壊と、そこからの再建までのプロセスの
アメリカ版の焼き直しに見えるかもしれない。
彼らは金融システムが作り出した世界観の中でものを見、
金融システムのタームで考えているので、(たぶん)
自らが立っている地盤そのものの脆弱性について思考のリーチが届かない。
この度のリーマンの破綻は、
ドメスティックな経済システムの不調という性格のものではない。
金利操作や、財政出動といった金融テクニックによって
切り抜けられるものとは、本質的に異なる地殻変動が起きている。
リーマン・ブラザースや、メリル・リンチという会社は、
日本における山一證券や、長銀とは、
同じ金融ビジネスであっても、意味合いも、役割もまったく異なっている。
金融ビジネスは、アメリカ・システムそのものを支えた
覇権システムの中核であり、
アメリカが世界に振りまいた労働価値観や、経済価値観を象徴する存在なのである。
山一や長銀のような、いち金融セクションではない。
換言すれば、政治と経済における、大戦後の覇権国家が、世界に押し付けてきた
経済成長、環境、民主主義という価値観そのものが、
もともと無理筋であり、もたなくなったことのあらわれだと見るべきだろう。
勿論、経済成長はできるに越したことはないし、
環境は守られてしかるべきだし、
民主主義はいまのところ最善とはいわぬまでも、ベターな政治体制である。
しかし、そのどれもが、
金を積み上げれば手に入るというようなものではない。
世界の経済システムは混乱するだろう。
この危機を回避するために何ができるだろうか。
イギリスの銀行家がいみじくも言ったように
「銀行は、預金者にサービスする銀行業へもどるべき」なのである。
そして、ビジネスはビジネスの本義へともどるべきだろう。
痛んでいるのがシステムそのものであるならば、
その文脈を替えるしかないのである。
しかし、残念なことに、世界の指導的立場にいて本気で
そのように考えている方々は、
ごく少数であるか、まったくいないかの
どちらかなのである。
(私のコメント)
今週はアメリカの世界的な金融機関の破綻が相次いで、いろいろな情報が錯綜していますが、混乱を極めれば極めるほど遠くからの全体像を眺めて見るべきだろう。アメリカの巨大金融機関の破綻はLTCMやエンロンなどの例を見れば予測できた事だ。アメリカ政府は公的資金で二大住宅金融公社やAIGなどを公的資金で救済していますが、今度はアメリカ政府自身の信用不安がいずれ頭をもたげてくるだろう。
日本みたいに経済力があって国内だけで問題が片付けられればいいが、アメリカは中国や日本からの資金供給が止まればその場でショック死するだろう。だからアメリカ人は日本や中国に足を向けて寝られないはずなのですが、アメリカはいまだに世界覇権の夢を棄てきれないでいるようだ。
アメリカは確かに50兆円もの軍事費を使って世界各地に軍事基地を展開していますが、これはいつまで維持できるかという問題が浮上してくるだろう。原子力空母一隻の年間維持費は1兆円であり11隻も活動させている。そのほかに原子力潜水艦やB1B2爆撃機などの維持管理も大変だし、核ミサイルや宇宙航空軍の維持管理だけでも巨額な軍事費が消えていく。
いわばアメリカの世界の警察官としての自負は分かりますが、ソ連崩壊後のアメリカは独善的になり、これといった理由もなしにアフガニスタンやイラクに攻め込んだ。大義なき戦争を長期間続けていれば巨大帝国アメリカの人心も病んでくるだろう。リーマンブラザースといった投資会社も金融帝国アメリカの象徴でもありましたが今週倒産した。
ベアスターンズもメリルリンチも買収されてなくなりましたが、残るモルガンスタンレーやゴールドマンサックスもどうなるか分からない。カフェ・ヒラカワのブログにも書かれているようにリーマンの破綻はアメリカの覇権システムの中核であり、投資銀行というビジネスモデルの破綻なのだ。
アメリカのドル基軸通貨制度も大きく揺らぎはじめてきましたが、アメリカ政府は公的資金で巨大金融機関を救済してパニックを収めようとしている。しかしアメリカの経済破綻は始まったばかりなのであり、アメリカ政府はこれからも起こる巨大金融機関の破綻を救いきれるのだろうか? あめりか政府の金庫はすでに空っぽであり、アメリカは外国から毎年100兆円の借金をしなければアメリカそのものが破綻する。
「株式日記」では、アメリカとソ連は兄弟国家であり、ソ連が崩壊したという事はアメリカもいずれ崩壊する事を書いてきました。二つの巨大帝国を支えてきたのは石油ですが、ソ連崩壊の原因となったのは石油の増産に失敗でオイルピークを迎えたからであり、アメリカの国内石油もあと10年ほどで枯渇する。そうなればアメリカを支えてきた石油がなくなるのだからアメリカも崩壊する。
サウジアラビアはいつまでドルで石油を売り続けるのだろうか? 今度のアメリカの巨大金融機関の破綻でサウジとはじめとする石油産出する湾岸諸国も、ドルを預ける受け皿が信用不安にさらされているのだ。中東の石油王達はアメリカの投資会社に資金を預けてきましたが、リーマンが発行した債券を買ってきた王様は大損したはずだ。
アラブの石油王はどこに金を預けたら良いのだろうか? 少し前まではドルがダメならユーロでヨーロッパの銀行に預ければよかったが、ヨーロッパも住宅バブル崩壊で金融機関の破綻の噂が絶えない。だからユーロが大暴落しているが世界の資金はどこに行こうとしているのだろう? 金もいいが受け皿が小さすぎる。
アメリカ経済もダメ、EUの経済もダメとなると、日本しか頼れる経済大国は無くなる。しかし日本はアメリカやEUに比べると経済規模が小さすぎる。とてもドルの代わりになれるようなものではない。日本のGDPはずっと500兆円前後で停滞したままだ。なぜならば国内で工場をたたんで中国などに引っ越して中国のGDPとしてカウントされている。
例えば、日本の海外法人の総売上高は1999年で120兆円であり、2000年度には130兆円にもなっている。この総売上高は日本のGDPお約4分の1にもなり、日本企業の海外生産と販売額は中国のGDP並びブラジル、インド、カナダ、韓国、メキシコ、ロシア各国のGDPを上回る規模になる。つまり日本は全世界にまたがった多国籍企業型植民地帝国を築いている。
海外進出企業が雇用している規模も拡大しており1999年時点で316万人にも達している。同企業の国内雇用者数が247万人だから、国内よりも海外のほうが規模が大きくなっている。しかしその数字は日本のGDPにカウントされないから500兆円で停滞しているように見える。だから円経済圏は意外と大きいから円の基軸通貨も検討すべきなのですが日本の役人は円の国際化を嫌がっている。
つまり日本経済はアメリカに叩かれながらも規模を国際的に拡大してきたのであり、国別で見たのでは分からなくなっている。アメリカにおける自動車製造業においてもトヨタがビックスリーを押さえてトップ企業になりましたが、このように見れば日本経済の規模はアメリカや中国のGDPにかなり隠れているのだ。
ところが日本のエコノミストはこのような見方が出来ずに、日本の経済は新興国にも追い抜かれると騒いでいる。確かに一人当たりの国民所得は18位に落ちたと騒いでいるエコノミストがいたがユーロが倍近くも値上がりした影響だ。太田弘子経済産業大臣まで「日本経済は一流とはいえなくなった」と国会で述べましたが、経済の実態を大臣まで知らないのだ。
日本は目に見えない経済植民地帝国としてアメリカや中国を植民地にしつつあるのであり、今回のアメリカの経済破綻と中国のバブル崩壊で日本の経済支配力は高まり、アメリカと中国を合わせれば世界一の経済圏を建設する事が可能になるであろう。もちろんその時は円が世界の基軸通貨になる事になる。