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株式日記と経済展望
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu176.htm
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/
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アメリカの経済戦略として、大きくなりすぎたヘッジファンドを潰す
事を目指している。リーマンが潰されたのは「ねずみ講」だからだ。
2008年9月17日 水曜日
◆『21世紀の国富論』 原 丈人:著
http://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/Detail?refShinCode=0100000000000031909577&Action_id=121&Sza_id=A0&Rec_id=1004&Rec_lg=100401
◆アメリカの真似ではない、新しい資本主義のルールを
景気の変動が、いわぱ秒単位で上がったり下がったりするのを短いスパンで追いかけていき、下がったときだげ「損失」として消していくという時価会計、減損会計の考え方は、正確といえば正確かもしれません。げれども、経済の成長の本質は、もっと長期のスケールで観察する必要があります。そういう観点で見れば、時価会計、減損会計は間違った見方を生み出すことになると思います。
指摘しておかなければならないのは、時価会計、減損会計は、あくまでも投資家であるファンドの立場に立った会計処理であるということです。それは決して、リスクをとって新産業を創造する意欲をもつ事業家の視点からつくった会計基準ではありません。短期的な利益を求める巨大ファンドが支配するアメリカやイギリスはともかく、日本やアジアがこれから地球の未来をつくっていこうとするなら、不適切なものといえるでしょう。
アメリカの会計制度にも、学ぶところはあります。たとえば、日本では一般企業と官公庁の会計基準が違うのはもちろん、省庁によっても異なり、経費項目ひとつにしても解釈がバラバラでわかりにくい。これに対してアメリヵの会計基準は、企業も省庁もすべて同じなのでひじょうにわかりやすい。この点は大いに模範とすべきでしょう。
しかし、たとえぱ企業価値を測るのにディスカウントキャッシュフロー(割引現在価値。事業や資産が将来生み出すキャッシュフローを現時点で予測し、それを現在の価値に置き換えて評価する手法)など、アメリカ式の評価方法を乱用すれば、たいへんなことになります。ディスヵウントキャッシュフローをそのまま適用すれば、この世から研究開発型のベンチャー企業などはすべて消えてしまうでしょう。
したがって、日本企業はアメリカの会計や企業評価の手法を鵜呑みにする必要はないし、アメリカの基準に振り回される必要もありません。いいところだけを吸収し、悪い点をきちんと見極めるということを肝に銘じるべきです。そして、アメリカのシステムを上回るようなものをっくれぱいいのです。
時価会計と減損会計の波に乗り、アングロサクソン流の「会杜は株主のもの」という議論を前提にして、時価総額の大きさを追うような経営を追求すると、その手段として企業の資産を軽くするための手法を提供する産業、たとえば人材派遣業やEMS(製造工程に特化した請負工場)やリース業(法改正については五〇ぺージ参照)は順風満帆となります。しかし一方で、本来の価値を生む産業はその間にむしぱまれ、やがて資本主義が破綻することにもなりかねません。産業を通じて雇用をつくり、人々を幸せにするための新しい資本主義のルールが今、世界でも必要になっているのです。
◆「企業は株主のもの」は間違い
このようにアメリカ流の企業経営や現在の閉塞状況について、その問題点を考えていくと、最終的にはコーポレート・ガバナンス(企業統治)の要をなす「企業は株主のもの」という考え方に行きつきます。
企業の目的は、株主にとっての価値を上げること、すなわち株価を上げること。しかも、それを短期的に実現することが優れた経営であるとみなされる風潮。二〇〇〇年以降、エンロン、ワールドコムといったアメリカの大企業を舞台に起きた一連の会計不正事件の根本的な原因も、やはり「企業は株主のもの」という間違った考え方にあります。この考えをべースにしているかぎり、経営と監督機能がより分離された委員会等設置会杜がいいのか、それとも折衷型の方式がいいのかなどと議論をしても、話になりません。
本来、企業というものは従業員や顧客、仕入れ先などを含めたパブリックなものであり、決して株主だけのものではありません。もちろん、株式を五年、一〇年といった長期にわたりもち続け、その企業を支えようという株主なら、ある程度は「企業の持ち主」ということもできるでしょう。
しかし、たとえばアメリカの大企業の株主の多くは、短期的な株価の上昇を望み、最高値で売り抜げることしか考えていません。つまり、彼らの興味は企業経営の中身ではなく、自身の利益を最大化することでしかないのです。一般には「よい株主」とされている年金基金なども、しょせんは短期的なキャピタルゲインが狙いです。
このような株主も含めて「企業は株主のもの」とするような考え方がまかり通るのは、短期的に株価が上がることが株主のみならず、実は企業を経営するCEO(最高経営責任者)にとっても好都合だからです。CEOはストックオプショソ(将来の自杜株を現在の価格で買う権利)を所有し、短期的な株の値上がりによる利益を享受しています。彼ら自身の利益を最大化するためには、やはり何としても株価を上げる必要があるのです。
◆企業をむしばむCEOゴロ
たとえばアメリカでは、業績の悪化した企業が外部から新しいCEOを招聘することがよく行われます。その際によく見られるパターンが、必要以上のリストラです。新CEOは、就任するや過去の累損を一掃する。そして過去の損失だけでなく、将来出るかもしれない負債までも引き当てるまで特別損失を計上するのです。たとえば翌年リストラを行う予定の企業が、その際にかかる費用まで引き当てて、大きな損を出すといった手法が用いられます。
このようなことを行えぱ、当然、株価は大きく下落しますが、そこがCEOの狙うところです。底値を見極めたところでCE0をはじめとする経営陣を対象にストックオプションを付与する。なかには、再度の下落にあたってストックオプションの発行価格を下げるリプラィシングという手法を用いることで、さらに自身の利益拡大を図る経営者も一時多く見られました。
その後、経費を削減すれば二〜三年後には自然に利益が上がるでしょう。リストラによって会社の「見かげ上の再建」を行い、さらにIRを駆使して株価が上がった段階でオプションを行使するのです。CEOは濡れ手にアワの利益を獲得しますが、彼らが何かを生み出したかといえぱ、ゼロなのです。
アメリカにはこうした「CEOゴロ」が多い。これが現在のアメリカで行われているコーポレート.ガバナンスの実態であり、カリスマのごとく崇められるCEOの姿です。そして、それこそがエンロン、ワールドコムといった事件を生む温床となっているばかりか、社会的に有用な企業すらも崩壊に導いてしまう可能性をもった仕組みなのです。
◆ストツクオプション制度は何のためにあるか?
このような弊害をなくすために、私はまず公開企業におけるストックオプションを廃止すべきだと考えています。
ただし未公開企業の場合には、企業全体の士気を高める意味でストックオプションは必要でしょう。まだ利益の出ていないベンチャー企業などの場合、十分とはいえない給与だげでは従業員のやる気が出ませんから、会杜が株式を公開するまでのあいだ、ストックオプション制度により社員に自社株を購入する権利を与えているところもあります。この制度により、経営陣はもちろん、事務職から受付に至るまですべての従業員が、株式公開時に資本利益(キャピタルゲイン)を得られるため、業績を伸ばそうと、より懸命に頑張る結果となります。
ベンチャービジネスでは、ビジョンやアイディアをもっている創業者、これに出資するベンチャーキャピタル、そして企業のマネジメントを担う人々、この三者がちょうど等分に株式をもつようにすることによって、株式を公開する際には全員が利益を得られるようにしていくことが大切です。資金を出すベンチャーキャピタルや、はじめから会杜をつくる創業者が大株主であるのは当然です。しかし後から入ってきたマネジメント・チームには、高いお金を出して株式を買うといったことはできません。
ストックオプションは本来、このような「オーナー以外の人々」に対して、低い金額で株主になってもらうための機会をつくるものです。したがって、日本のベンチャービジネスでしばしば見られるように、オーナー自身がストックオプションを要求するというのも、原理原則に反する話です。未公開企業におげるストックオプションは、貢献度に合った持ち株構成比率をつくり、効果的に所有権を配分する方法として、関係者の全員にやる気を起こさせるものであるべきなのです。
◆公開企業のストックオプションは廃止すべき
しかし、株式公開後のストックオプションはまったく違った意味をもってしまいます。株式市場においては仕手筋がっけぱ株価は上がるし、逆に一九八七年の「ブラックマンデー」のようなことがあれば、株価は一気に下がります。また企業の業績が増収増益であったとしても、マクロ経済上で経済が収縮する傾向にあると、その企業の株価が下がるという現象が短期的に起きるものです。つまり、公開後の株価は企業努力よりも、むしろ外部要因による需給関係によって決定されるのです。
たとえば一九九七〜九八年のアメリカにおげるバブル経済下では、たとえサルが経営しても株価は上がっていたでしょう。このような状況で経営者にストックオプションを与えることは、理論的にもおかしい。企業の業績と株価は、数十年という長期で見れば連動するでしょう。しかし、CEOをはじめとする大企業の経営陣のわずか数年という短い在任期間のあいだにおげる株価の変動は、業績とはほとんど無関係であるといったほうが正しいのです。
一九九〇年代のシリコンバレーを代表する企業として一世を風扉したシリコングラフィックスは、二〇〇六年五月に連邦倒産法第一一章の適用を申請し、実質的な経営破綻に陥りました。その大きな原因のひとつが、私はストックオプショソ制度にあると考えています。この制度があると、経営陣は目先の株価を上げるための施策ばかりをやるようになり、従業員もまた優秀であればあるほど、株価が下がると思った瞬間に辞めていきます。
短期的に株価を上げることが上手な経営者は一般にリストラ、資産圧縮などによるROEの改善やIRが上手なタイプであって、彼らだけが短期間にストックオプションを行使し、巨額のリターンを手にできるのです。これでは、従業員もやる気を失います。日本ではストックオプションの長所ぱかりが紹介されがちですが、企業の没落を加速する最大要因になるという悪い側面も認識すべきでしょう。
少なくとも株価と短期的な業績をリンクさせるためのストックオプションという概念は間違っていますし、時価総額をいくら上げたかということで経営者の優秀さを判断することも間違っています。長期的な安定した発展のためには、上場企業はストツクオプション制度を取り入れるべきではありません。これから新しい資本主義の時代を迎え、公開企業におげるストックオプションは廃止の方向に進んでいくはずです。現実に、大企業におけるストックオプションは上層部のごく一部だけにキャピタルゲインをもたらし、所得分配を歪める一方なのです。
私の間題提起とは異なる理由ではありますか、アメリカでも二〇〇五年頃から企業の会計基準が変わり、ストックオプションを給料などと同じ費用とLて計上する流れが一般的になりました。この「費用化」によって、マイクロソフトなどの大企業でもストックオプションを廃止する動きが出てきました。ストックオプションの付与が業績を圧迫し、大企業にとってはむしろ負担の大きな「足かせ」になってきたのです。
◆ヘッジファンドとは何者か?
東西冷戦の終結後、「資本主義の勝利」が宣伝された一九九〇年代くらいから、アメリカの市場で圧倒的な存在感をもつようになってきたのはヘッジファンドです。このヘッジファンドとは何者なのでしょうか?
端的にいえば、株価や商品の相場、通貨相場などにおいて、「将来の理論値と実態との乖離」に着目して資金を注ぎ込み、利ザヤを稼ぐことを目的としたファンドを指します。これは長期的な視野に立って企業の育成を図るベンチャーキャピタルとは、まさに対極のところにあるファンドといってよいでしょう。大きなリスクのあるところに資金を投入するという意味で似ていると感じられるかもしれませんが、ヘッジファンドが求めるのは、あくまでも短期的な利益です。
かつてのヘッジファンドには、現在とは違う本来の役割もありました。実物経済下で現物の需給関係から成り立つ市場の相場だげでは、価格の変動が著しく激しいものになってしまいます。このような乱高下する価格によるリスクを、ヘッジ(回避)するのが目的だったのです。
けれども、規模の大きくなった今のヘッジファンドは、モメンタム・プレイヤー(株価の勢いを利用して短期利益を求める投資家)として、商品や株の価格を実勢値よりも大幅に押し上げ、または押し下げる役割を果たすことのほうが多いのです。二〇〇四年来の原油価格高も、ヘッジファンドの参入によって大きく上値を更新したことが報じられました。
通貨が投機対象になった例として象徴的なのは、ジョージ・ソロス率いるファンドが演出したといわれる、タイのバーツ危機(一九九七年)でしょう。これはさらに周辺諸国にも波及し、「アジア通貨危機」と呼ばれる事態へと進行しました。
◆小さな池の中の大きなクジラ
一九七〇年代から徐々に活動をはじめるようになった元来のヘッジファンドは、価格の乱高下を調整するためにありました。そして、これを財テクの機会と考えた一部富裕層の資金運用手段のひとつとして、あくまでも特別な存在にすぎなかったのです。そして資本市場全体の規模の割にプレイヤーが少なかった時期には、たしかに高いリターンを実現できたのです。
しかし、やがてヘッジファンドによって大きく儲かることが見えはじめると、ここに機関投資家の資金までもが流れ込み、現在では広く一般個人も参画するようになってしまいました。一九九七年頃、こうしたヘッジファンドの数は約五五〇〇、そして資金量はおよそ三〇〇〇億ドルでした。それが二〇〇六年になると、一万ファンド、一兆五〇〇〇億ドルともいわれるようになり、加速度的に肥大化を続けてきたのです。
これは市場規模に比して驚くほどの急速な拡大といえるでしょう。現在のヘッジファンドは、まさに「小さな池の中に放り込まれたクジラ」ともいえる存在です。そして、ヘッジファンド自体が投資することで値を動かし、自身が市場価格を移成するようになってしまったのです。
◆「ネズミ講」の肥大化という悪循環
ヘッジファンドの肥大化がもたらしたもののひとつは、皮肉なことに、ヘッジファンドの運用成績自体の下落でした。プレィヤーが増えすぎたことで、「儲からないヘッジファンドしが増えていったのです。
そのため、多くのヘッジファンドでは、借入金を増やし信用取引を繰り返すなどの手段をとりました。つまり、レバレッジ(他人の資本を使うことで、自已資本に対する利益率、変動性を高めること)をきかせていた倍率をさらに高め、運用可能な資金量をより大きくしようとしたのです。
こうして市場へ投入された額はますます大きくなり、投資が失敗したときのダメージも大きくなりました。結果、リスクの割にはリターソが小さいという状況が進んでいくことになります。ヘッジファンドのライフサイクルは、この繰り返しといえるでしょう。最後のほうに加わった人がババを引くという点では、ネズミ講にも似ています。
肥大化がもたらすさらなる肥大化というこの悪循環は、現代の資本主義経済において実にさまざまな影響をもたらしています。
たとえぱ、本来は価格の乱高下を調整するヘッジファンドが「価格を歪める力」をもってしまったため、大きく相場がきしみます。各国の中央銀行が行う市場介入資金は、一日に一〇億ドル程度と推定されていますが(二〇〇四年に日銀が行った大規模な市場介入は、一日で一〇〇億ドル規模といわれる)、ヘッジファンドはその一〇〇〇倍以上の資金を蓄えています。これか一度に動げぱ、市場への影響は計り知れません。
原油や穀物をはじめとする商品市場にっいても、先物価格が実需だげで決定されれば、価格の上昇には一定の歯止めがかかります。しかし、ヘッジファンドのような実需をともなわない資金が大量に投下されると、健全な価格彩成は望めません。このように、実は「カネでカネを増やしていくことだげが使命」という連中が市場で暴れまくっていることが、現在の資本主義が抱える大きな間題点です。
原 丈人
1952年大阪生まれ。慶應義塾大学法学部卒業後、考古学研究を志し中央アメリカへ渡る。スタンフォード大学経営学大学院、国連フェローを経て同大学工学部大学院を修了。29歳で創業した光ファイバーのディスプレイメーカーを売却後、主に情報通信技術分野で新技術を創出する企業の育成と経営に注力。90年代にソフトウェア産業でマイクロソフトと覇を競ったボーランドをはじめSCO、ユニファイ、ピクチャーテル、ウォロンゴング、トレイデックスなど十数社を成功に導き、シリコンバレーを代表するベンチャーキャピタリストのひとりとなった。事業持株会社デフタ・パートナーズ会長。アメリカ共和党のビジネス・アドバイザリー・カウンシル評議会名誉共同議長、国連経済社会理事会CISRI常任監視団大使兼UNONG WAFUNIF代表大使、財務省参与、税制調査会特別委員、産業構造審議会委員、(財)アライアンス・フォーラム代表理事、(財)原総合知的システム基金理事。研究開発型ベンチャー企業の育成に適した税制や株式市場のあり方、新技術を用いた途上国の支援など幅広い分野で積極的な提言と活動を行っている
(私のコメント)
最近のアメリカではベアスターンズやリーマンブラザースやメリルリンチが相次いで整理されていますが、これはアメリカ政府の中枢部が、様々な弊害をもたらす投資会社を整理する事を決定したからだろう。原丈人氏の書いた本によれば、すでにシリコンバレーなどにおいても新しい産業は生まれなくなっている。
ひと頃ではITベンチャーが時代の花形になりましたが、マイクロソフトを除いて全部消えてなくなってしまった。マイクロソフトも5年後ぐらいには消えてなくなっているかもしれない。このようにITベンチャーがどうして直ぐに消えてしまうのか?
2000年のネットバブルの崩壊は、アメリカの新興ビジネスの崩壊を意味しましたが、どうして崩壊してしまったのだろうか? それは十分に完成された技術ではなかったからだ。しかしITベンチャーたちは多くの夢を語り株式を公開して巨額の資金を稼ぐ事に成功した。
そこに目を付けたのがヘッジファンドであり、巨額の資金がシリコンバレーに殺到した。そして第二のマイクロソフトが次々誕生しては消えていった。それはITベンチャー企業がヘッジファンドのおもちゃにされたからであり、ヘッジファンドに新しい産業を育てる機能はない。
ヘッジファンドはアメリカの製造業を次々と買収しては、資産を食い尽くしては売却されていった。まさにアメリカの産業を空洞化させたのはヘッジファンドであり、それは日本にも襲い掛かってきた。ホリエモンや村上ファンドはその先駆けであり、リーマン・ブラザースと手を組んでは日本の従来型産業を飲み込もうとしていた。
このようにアメリカ国内にはすでにハゲタカ・ファンドの獲物となるような会社は無くなり、日本に獲物を求めてやってきた。1997年のアジア金融危機はジョージ・ソロスなどのハゲタカファンドが仕掛けたものですが、そのソロスも焼きが回ってリーマン・ブラザースへの投資では数千億円の損害を受けたようだ。
原丈人氏はアメリカ共和党の経済政策顧問を務める人であり、『国富論』という本に書かれているようにヘッジファンドに対する批判は何を意味しているのだろうか? 金が金を生むような産業は一種の「ねずみ講」なのであり、最後には一般国民を大きく巻き込んで破綻する運命にある。
ヘッジファンドも規模が小さい時には金融の一部門として意味があったのでしょうが、現在では小さな池の中のクジラであり、それはアメリカ政府の政策にも弊害をもたらすほどになってしまった。これはアメリカの権力中枢にいる人たちにとっても、リーマンブラザースのような投資会社は買収されるか倒産させて整理する事を決定していたのではないだろうか?
だからモルガン・スタンレーやゴールドマン・サックスも将来的には整理されるのかもしれない。このような投資会社というビジネスモデルは破綻したのであり、このまま放置していては破綻したときの被害はアメリカそのものを破壊しかねない。不動産の証券化ビジネスが今回の金融破綻のきっかけになりましたが、これも一種の「ねずみ講」なのだ。
原丈人氏はベンチャーキャピタリストですが、ヘッジファンドとはよく似てはいるが対極にあるビジネスであり、本来のベンチャーキャピタルは長期間のリスクを背負って製品を開発して完成させるものであり10年以上もかかる事がある。しかし多くのベンチャーキャピタルはヘッジファンド化して短期のリターンを求めるようになって新しい産業を作り出せなくなってしまった。
昨日の報道ステーションには木村剛が出てきて「アメリカは何でも素早くて日本はダメ論」を述べていましたが、アメリカはもはや金融立国のビジネスモデルは破綻して新しい産業はソフトとサービス業だけの国家になってしまった。新しい産業を生み出すにはヘッジファンドを潰して本来のベンチャーキャピタルを復活させなければならないのだ。
だからアメリカの権力中枢はベアスターンズやリーマンブラザースやメリルリンチを整理して、モルガンスタンレーやゴールドマンサックスも近い将来整理されるだろう。そいしなければ小さな池のクジラは、池そのものを破壊してしまうからだ。ジョージ・ソロスのような人物は金融界の大物ではあっても権力中枢から見ればアウトサイダーであり、アメリカに寄生したアウトローだ。だからリーマンブラザースを破綻させるインサイダー情報を知ることが出来なかった。
ジョージ・ソロスを野放しにしていれば、やがてはイギリスのポンドを売り崩したように、アメリカのドルを売り崩す事をしただろう。だから大きくなりすぎたヘッジファンドはアメリカ政府によって整理されるのだ。(民主党政権だったら分からないが)