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(回答先: 日本国債のリスクプレミアム (戦前の例を中心に検証) ― 富田 俊基 pdf 投稿者 hou 日時 2008 年 9 月 06 日 08:03:09)
http://kobachan.exblog.jp/4849145/
仁徳天皇は、優しく広い心の持ち主だったと言われる。有名なのは「かまどの煙」。ある日、高殿から周囲を見渡した仁徳天皇は、どの人家からも炊煙が立ち上っていないことに気づく。民は窮乏生活を送っていると、天皇は嘆いた。以後6年間にわたって税金を免除したとされる。
http://www.relnet.co.jp/relnet/brief/r12-71.htm
なかでも、わが国最古の都市である「難波宮(高津宮)」に都した仁徳天皇は、その世界最大級の墳墓以外にも、大阪市内を南北に走る現在の上町台地(難波宮も四天王寺も大阪城もみなこの上町台地の上にある)の西側は、古代には大阪湾、東側は生駒山麓までの入り江(河内湖)であったが、この上町台地周辺の低湿地帯を最新の土木技術で開発し、難波堀江の開削、茨田の堤や横野の堤などを築いたりした公共事業好きの大王であった。というよりか、そもそもこの国は、神代の昔、大国主命(おおくにぬしのみこと)が、海中に突き出している岩場(小島)に縄を掛けて曳き集めてきて造った(国曳き)国土であるぐらいだから、元来の「土建国家」なのかもしれないが…。
しかしながら、もし、公共事業好きの仁徳天皇が、国民の経済状況などの実状を考えずに、闇雲に巨大公共事業を推進していたのなら、当然のことであるが、不人気な大王となり、「仁徳」なんて立派な諡号を付けてもらえなかったであろう。河内に巨大古墳群を造った大王たちの中でも一際立派な諡号こそ、彼が為政者として心得るべき点は、十分心得ていたからだと思う。『大阪市歌』にも歌われているように、ある時、仁徳天皇が高津宮(たかつのみや)の高台から難波の街を見下ろした時、以前は、民衆の家々から夕餉を炊く煙が数多く昇っていたのに、全く煙りが昇っていない。驚いた天皇が側近に理由を尋ねたら、「民は苦しい生活をしております」と答えた。すると、天皇は直ぐに「3年間税金を免除するとうに」と言われた。政府の財政運営も大変であったが、なんとか3年が経過して、天皇が再び高台へ登ってみると、なんと家々からはモクモクと夕餉を用意する煙が昇っているではないか…。天皇は上機嫌で「民のかまどは賑わい増しぬ」と言われたそうである