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今朝の中日新聞に教授の毎週の連載に載っていました。一部だけ抜粋。
投機家の株売買によって、一般国民のムードが躁鬱病的に変動するだけならいいのだが、実体経済に携わっている人の景況感、生産、投資の意欲、信用受領の可能性などに大いに影響するから、ただ事ではない。英語でよく使う言い回しだが、経済という犬は投機という尻尾に振られている。
「こんな世の中に誰がした」、犯人はどこにいるか、といったような議論が盛んに繰り返される事だけは確かである。悪玉役の候補者はいくらでもいる。Ninja(ノーインカム・ノージョブ・ノーアセット)に、100%の住宅ローンを貸す業者。その住宅ローンを証券化するばかりではなく、証券の実態を分からなくする派生商品に偽装する金融業者。高利益を上げようと、バーゼル協定の資本準備規定を逃れるために、貸借対照表外に、リスクの高いそういう商品を扱う特別な機関を作った銀行や証券会社。そういう一種の詐欺を揺るするように、規制撤廃を唱えて、グローバル金融市場の効率性を礼賛してきた、小泉政権下で幅を利かした、竹中平蔵氏など市場原理主義の経済学者。
経済学者のノーベル賞をもらった日にポール・クルーグマン氏が、NYタイムズ紙に書いていたのが、ポールソン長官の時局収集計画失敗したのは、教条主義的な「官悪民善思想」の虜だったからである。
問題は、どうして金融業者が規制を外させて、傍若無人の行動で莫大な個人財産を作る事を許されたか。どうして、金融業界の政治支配力がそんなに増してきたのか。
答えは、英米では過去30年、日本で10年行われてきた、コーポレート・ガバナンス改革を通じて、実経済の経営者たちを圧倒する力を投資家が獲得したからだ。「会社は株主のもの。経営者の義務は、株主への還元の最大化に尽きる」という、株主宗教はその思想的武器であった。日本におけるその宗教の大教会は、東証、企業年金連合会、および経産省の企業価値研究会である。
宗教はもともと現実との調和は問題ではない。僧侶たちおよび権力者に都合がいいかどうかが問題である。