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資金逓減の法則が支配するデフレと日本政府の犯罪的政策
デフレである場合、なぜ資金逓減が起こるのだろうか、どこに問題があるのか。それは生産量を増やしても、貯蓄がないため可処分所得以上の消費が出てこないことにある。(言い方を変えると借金が貯蓄以上にあり、消費に十分回らない。)今までの経済学では貯蓄があることを暗黙の了解としていたため生産量の増加した分が、それが所得の増加を意味していた。生産量の増加に対して貯蓄が自動的に取り崩され消費され所得となるのである。これが前提となっていたのである。
しかし実際は生産物が消費されて初めて所得となるのである。
貯蓄がなければ生産量を増やしても売上高が伸びないのである。消費額以上に買えないからである。消費が伸びなければ所得も伸びない。それがデフレ経済なのである。これまでの経済対策がほとんど効果上げ得なかった理由がここに存在する。
それ故
貯蓄のない場合はケインズやアダムスミスは通用しない。
(http://blog.so-net.ne.jp/siawaseninarou/アダムスミスの致命的欠陥参照)
資金が大幅に生産量に対して急速に減少したデフレ経済は、所得線が45度以下になり貯蓄がない角度で表すことができる。
このような所得線の低角度が支配する経済では、生産量の増加に伴い、あるいは、付加価値の増加に伴い、資金が逓減する現象が起きる。(デフレと収穫逓減の法則参照)
普通収穫逓減の法則は、資金と生産量の関係は1対1であることを前提にしており、定まった土地の中で、作付けを増やしていくに伴い収穫(付加価値)が逓減していく事を意味する。
しかしデフレでは、一定の面積ではなく、一定の資金の中で、生産量を増やしていくに伴い、生産物当たりの資金が逓減していく。作付け面積ではなく資金が限界になっている。生産量の増大に伴い付加価値も逓減していくが、それ以上の資金による逓減も加わることになる。
デフレの特徴として実質GDPと名目GDPの成長率が逆転し、実質GDPが成長しながらも、名目GDPの成長がそれ以下に来ることがこの状況をよく物語っている。ここ10年の間に名目GDPの値が世界で18番目に落ちたことは、デフレの資金逓減の法則が見事に働らいたからである。
デフレではこの資金逓減が働く限り、生産量の増大は、経済の拡大には結び付かず、より貧乏になっていく。
このような資金が逓減するデフレ経済では見えざる手は悪魔の手に過ぎず、誰もが利益を上げようと努力すればするほど全体の利益が少なくなり経済はどんどん縮小していく。自分のやりたいことをすればするほどだれもが蟻地獄に落ちて行く。
アダムスミスは、少ない資金を多くの生産物で取り合うデフレを考慮していないのである。
それ故もはや市場原理至高主義はあらゆる経済情勢に万能でないことが明らかであろう。
デフレは少なくなった資金を生産物で取り合う世界であり、インフレは少なくなった生産物を資金で取り合う世界である。インフレは資金逓増の法則が成り立つ。
この資金逓減の法則が支配する限り、生産量の増大を目指す政策はことごとく失敗する。
日本政府が取った多くの政策がこの生産者側への無意味な生産量刺激策だったのである。
低金利過剰融資の生産者への偏重優遇策や、各種補助金策、公共投資による社会資本の増大策、このような生産量を増やし市場に送るだけの政策は、投資効果に見合う資金を得られず、原価が膨らむばかりで実入りが少ないのである。それ故常に名目GDPが実質GDPの下にくることになる。余計に価格が下がり原価が増えるだけである。借金が増えるだけで成果がないのである。
非正規雇用者の増大、低所得化、官民格差、外需企業と内需企業の格差、大都市圏外の地方の退潮などは経済失政に過ぎない。さらには退潮し衰退している経済を自由化したり規制緩和を強めればますます強い経済に牛耳られ、弱肉強食の世界を具現化するのである。
もっともらしく付加価値の創造や、労働生産性の引き上げなどを提唱する識者と言われる人達はこの根本的な事を知らず、相も変わらず創意工夫を唱え、生産性上昇こそ日本を活性化する道であると信じている。鉄砲の前の万歳攻撃に過ぎない。ことごとく資金の壁の前に討ち死にしたのである。
日本は実質GDPでさえもたかだか2%前後の成長に過ぎず、すべて資金の壁により叩き落とされているのである。唯一輸出はその壁の外へ出すものであるが、その見返り資金は壁の中へ入らず、外資や土地価格に化けたのである。
きめ細かく、時宜に適した生産刺激政策を実行したとしても、設備減税をしても、省エネ減税をしても、それは無駄なことである。
この資金逓減の法則から
雇用促進策も単に雇用機会を増やし失業者を減らすだけなら、賃金が低下するだけである。支払われる全体の賃金が変わらない時に、全体の雇用者が増えることは個人個人の賃金が下がることになり、労働人口の増加は、生産量を増やしながら個人の賃金を逓減させていく。
デフレの雇用増は労働者同志の同士討ちを増やすに過ぎない。また最低賃金を上げることは、企業の倒廃業が増え、働く機会が少なくなるだけである。
それ故労働者の雇用が増え続けても、一向に消費が回復せず所得線は45度以下のままである。例え完全雇用の水準に労働量が達したとしても、賃上げは起こらない。労働不足になっても、企業が存続できなくなり廃業するだけである。
民間賃金が9年連続下がったのは、生産物から得られる付加価値が減少したからである。賃金が低下するに伴い長時間労働が増えるきらいがある。賃金が減少するからそれを補うため長時間労働が必要になる。それは生活を維持するためである。
労働に関してはデフレでは賃金の低下に伴い労働量が増えるという生産曲線が右下がりであるということから説明できる。
しかし長時間労働が増えれば増えるほど、また労働人口が増えるほど賃金が低下していくという、資金逓減の法則も成り立っている。いたずらに雇用促進策を取るのは、徒労に過ぎない。
デフレ線が支配する経済では、いかに多くの資金を公共投資や生産刺激策に使っても、所得線の角度を上げることはできない。例え無限に使ったとしても、それに使った借金額以上に資金が増えないため、永遠に借金を返せないのである。
デフレでは生産に投入した借金は増加するが、生産物からから得られる資金は逓減する。資金逓減の法則とはかような物である。
日本政府が取らなければならなかった政策は、所得線の角度を上げ45度の正常な角度にする政策であり、それは消費額を増やし企業の売上を増やす政策であった。それは消費者への資金投入であり、負担の軽減であり、経済対策費を生産者側でなく消費者側に注入しなければならなかったのである。
しかしやったことは生産者側への生産刺激策である。これはケインズ経済学の定版であり、従来の当然とされる経済政策であるが、これがデフレでは最悪の政策になってしまうのである。
このような間違った政策を20年来とり続け、借金を増やし続け、低所得化させたのである。それどころか自分たちの失敗をいざ凪を越える戦後最長の経済成長と喧伝する有り様である。
特に低金利過剰融資による生産者優遇は、預金者利益を奪い、消費をさらに冷え込ませている。銀行は本来生産者、消費者の両方に仕える者であるが、生産者一辺倒が、今日のデフレをさらに長引かせ強固にしている。またたび重なる国債の発行は、国内資金を塩漬けにし現在の使える資金を奪っている。
また貯蓄から投資へという馬鹿げた経済学者の主張は、国内資金が外国や投資信託に向かい、その運用金の多くは外国で投資され、今、欧米の金融危機のため、デフレ下でただでさえも少なくなっている国内の貯蓄を枯渇させたのである。
現在日本の銀行がサブプライム問題に苦しむアメリカの銀行に投資をし、買収しているが、それは国内に有効な投資先がない事を物語り、余計なお金が銀行に溜まっており、低金利が銀行を優遇し過ぎたことを物語るのである。
もはや生産者側への優遇は、なんら意味をもたないことは明らかである。消費者優遇こそ日本の成長へ道であり、デフレ解消の方策なのである。
私達は再びこのような経済的大罪を政府に行わせないようあらゆる言論機関を使って放棄させねばならない。補正予算と名を打っても、経済対策費と唱えようが、生産者を優遇する政策であればそれは、経済的に無益で借金増大策にすぎない。それは自民党であれ、民主党であれ、社民、共産でも同じことである。
一言主。http://www.eonet.ne.jp/~hitokotonusi/デフレ・インフレの一般理論
http://blog.so-net.ne.jp/siawaseninarou/