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「政治とは、マキャベリズムである」 明治は違っても大正・昭和は「政治屋の発想」 --松方デフレの記述 高校日本史
http://www.asyura2.com/08/hasan57/msg/943.html
投稿者 hou 日時 2008 年 8 月 24 日 07:58:08: HWYlsG4gs5FRk
 

(回答先: 同世代間の収入・資産格差が大きいのは、高齢者層みたいですね。 投稿者 最大多数の最大幸福 日時 2008 年 8 月 24 日 06:49:20)

http://www.eonet.ne.jp/~chushingura/p_nihonsi/episodo/151_200/183_01.htm

松方財政(官営工場の払下、松方正義)
1  大きくは、国家や地方公共団体(都道府県や市町村)が、その運営を行うために、収入を得たり経費を支出したりする経済行為を財政といいます。どう税金を集め、何に使うかが財政です。税金の範囲内で支出することを健全財政といいます。歳入も増やし歳出も増やすのが積極財政で、歳入を減らし歳出も減らすのが緊縮財政です。
 国家規模では、収入を歳入、支出を歳出、家計を財政といいます。
 個人規模で置き換えると、分かりやすくなります。
2  明治初期の財政はどうでしょうか。調べてみました。
(1)激しいインフレーションがおこりました。その理由は、以下の通りですが、結論は、経済の実態に見合わない通貨の増発です。
 @太政官札・国立銀行券など金と交換されぬ不換紙幣が大量に発行されました。
 A西南戦争の戦費を調達するために、不換紙幣を増発しました。
 B殖産興業のために、通貨供給量を増加させました。
(2)流通紙幣高は1877年に1億1900万円でしたが、1878年には1億6500万円に膨張しました。その結果、100円の金禄公債が1880年には60円の価値に減少してしまいました。紙幣2円は銀貨1円の値打ち(50%)しかなくなったことを意味します。これをインフレーションといいます。
(3)インフレーションがおこると、どうなるのでしょうか。
 @貿易取引などで用いられる銀貨に対する紙幣の価値が下落しました。
 Aその結果、紙幣で納入される定額の地租を中心とする政府の歳入は、実質的に減少して、財政難に陥りました。
(4)貿易面では、輸出より輸入のほうが多いため、1880年だけでもその差額の金貨が2000万円流出しました。その結果、正貨(金・銀)保有高は減少し、日本政府が保有する正貨(金・銀)は800 万円(流通高比4.5%)となり、国際信用ががた減りという状態に追い込まれました。
 この頃の財政担当者が、大隈重信です。大隈重信は、どんな財政を行ったのでしょうか。
3  1873(明治6)年5月、大隈重信は、大蔵卿に就任し、「積極財政により殖産興業政策の推進をはかり、紙幣の整理を行う」ことを表明しました。
(1)地租改正事業を推進し、地租の一律化(増税)を行ない、新政府の財政的な基礎の確立をはかる。
(2)酒造税・煙草税・売薬印紙税・醤油税・菓子税など大増税政策を実施する。
(2)国立銀行条例を改正し、正貨兌換業務を撤廃して、国立銀行の設立を容易にし、通貨供給量の増加を図る。
(3)統一的な貨幣・信用制度を碓立して官営工場を建設するなどの殖産興業政策を本格化させる。
(4)三菱会社などの政商に特権的な保護を与えて、交通・運輸事業をおこし、輸出の振興をはかる。
(5)輸出振興のための茶や生糸などの輸出業者への投資をはかり、輸出の振興をはかる。
(6)損失の多い一部の官営事業を売却する。
 7月、大蔵卿の大隈重信は、地租改正条例を公布して、地租改正に着手します。
4  1876(明治9)年、大蔵卿の大隈重信は、国立銀行条例を改正しました。従来の「正貨兌換の義務」を廃止し、設立しやすくしました。政策によって、どんなことでも出来るということが分かります。
(1)全国に153の国立銀行が誕生しました。
(2)全国の国立銀行は、鉄道・港湾・道路などの産業資金を得るため、不換紙幣を増発しました。
(3)その結果、インフレーションがおきました。
 1877(明治10)年、西南戦争がおこると、大蔵卿の大隈重信は、4156万円にのほる西南戦争の軍費を政府紙幣と国立銀行券の増発によって補いました。その結果、インフレーションがおきました。
5  1880(明治13)年5月14日、参議・大蔵卿の大隈重信は、外債5000万円を募集し、それで不換紙幣を全額償却し、正貨流通制度の樹立を図るという財政方針案を、閣議に提出しました。閣議は、この提案を巡り紛糾しました。
 6月3日、緊縮財政を主張する井上馨や松方正義の上奏により、外債不可の勅諭が出て、閣議は外債募集の案を否決しました。
 6月、内務卿の松方正義は、「財政管窺概略」を太政官に提出し、不換紙幣意見を明らかにしました。
 9月、大蔵卿の大隈重信は、酒造税則を定め、従来の酒類税則を廃止し、造石税などを大幅に増税しました。その他煙草税・売薬印紙税・醤油税・菓子税など、とれる物から何でもとろうという姿勢です。
 11月、大蔵卿の大隈重信は、殖産興業政策を見直し、官営工場払下げ概則を制定しました。不要不急の軍事以外の官営工場・施設を払い下げ(売却し)、紙幣整理の資金にするもの目的でした。しかし、投資額の回収を目的としていたため、希望者が少なく、失敗しました。
 11月、大蔵卿の大隈重信は、地方税規則を改正し、紙幣整理の財源増加を目的として、地租の3分の1を超えない範囲で増税しました。
6  1881(明治14)年10月12日、明治十四年の政変で、参議・大蔵卿の大隈重信が罷免されました。
 10月21日、薩摩の松方正義は、参議・大蔵卿に就任し、緊縮財政による紙幣整理と軍備拡張の財源確保を表明しました。緊縮財政とは、増税による歳入を増加させ、歳出を抑制することです。
(1)経済危機(輸入超過=正貨欠乏、紙幣下落=金銀沸騰、財政困難)の要因を、次のように分析しました。
 @資金不足により国内産業は、十分に振興していない。
 A正価通貨制度は、確立していない。
(2)その解決策として、次の提案をしました。
 @増税によって歳入の増加を図る。国税関係では、地租や消費税(酒造税・煙草税・印紙税)の引上げ、地方税関係では監獄費の移管や府県土木費や小学校費の補助金などは打ち切る。
 A軍事費以外の歳出を徹底的に緊縮する。
 B歳入の余剰で不換紙幣を処分するデフレ政策を実行する。
(3)大隈財政(紙幣全額消却=正価通貨樹立)を克服し、紙幣整理と平行して正貨準備を増大し、正貨の充実を待って兌換制度を樹立する。
(4)それを中央銀行の創立による兌換券の発行と結びつけ、通貨を安定させる。
 11月、大蔵卿の松方正義は、来年度予算編成に当たリ、各省予算の3年間据え置きを宣言しました。
7  1882(明治15)年2月、大蔵卿の松方正義は、地租改正報告書を太政官に提出しました。
 6月、大蔵卿の松方正義は、日本銀行条例を定めました。その内容と任務は、次の通りです。
(1)日本銀行は、国家の中央銀行である。
(2)中央銀行(Central Bank)の役割は、次の通りです。
 @独占的な発券銀行
 A政府の銀行(Goverment Bank)
 B銀行の銀行(Bank of Banks)
 C金融政策
 D外国為替と正貨(金本位制では金)の管理・決済
(3)設立の目的は、低金利により産業の振興をはかる。
 7月、壬午軍乱により、軍艦費4200万円を中心とする5200万円の軍拡8カ年計画が決定し、各省予算の3年間据え置きという財政計画は破綻しました。
8  1883(明治16)年1月、軍事費は予算総額の20%以上となりました。
 5月、大蔵卿の松方正義は、国立銀行条例を改正し、日本銀行以外の私立銀行を普通銀行と改称させました。
(1)各国立銀行発行紙幣の消却を命じ、紙幣発行券を日銀に集中させました。
(2)営業期間を免許後20年とし、満期後の普通銀行転換を認めました。
9  1884(明治17)年3月、大蔵卿の松方正義は、地租条例を定め、地租の増税を図りました。
(1)従来の地租改正条例で、地租条例と抵触するものは全て廃止し、地価・地租率を固定化しました。
(2)地租を低減するという約束を破棄し、地租付加税の制限を除去しました。
 7月1日、大蔵卿の松方正義は、兌換銀行券条例を定め、日本銀行に銀貨兌換の日銀券を発行させました。
(1)100円券、10円券、5円券、1円券を発行しました。年末発行高は、約400万円になりました。
(2)この結果、国立銀行は、銀行券発行権を取り上げられたことになります。
 7月3日、日本銀行は、公定歩合を2厘引き上げ、2銭としました。
 7月、この頃、銀貨と紙幣の差がほとんど消滅しました(銀貨相場1円47銭となりました)。
 12月、不換紙幣の回収の結果、紙幣の流通量は、明治14年1億5300万円がこの頃には1億3200万円と減少しました。その結果、銀1円=紙幣価格1.1以内に安定しました。
10  12月末、紙幣整理という緊縮政策と増税という財政政策は、急激なデフレーションを招きました。これを松方デフレといいます。
(1)明治16年7月より明治17年末までに日銀で消却した銀行紙幣高160万円になり、紙幣整理による不況が頂点に達しました。
(2)地方税のカットにより、負担のしわ寄せを受けた府県・町村は、地方税の増額を行い、明治12年を基準にすると明治15年度の地方税は57%も増加しています。
(3)明治16年から23年までの間で、地租・地租税の滞納のために強制処分を受けた農民は37万人、4万7200町歩の土地が競売にかけられている。11万円滞納して競売された価格は494万円になります。
(4)その結果、多くの自作農民が小作農民へと転落したり、都市の労働者になりました。他方、広範な土地が地主・高利貸しへと集積され、新たな資本家が誕生しました。
11  1885(明治18)年1月、軍事費は予算総額の25.4%となりました。
 12月、内閣制度が成立し、大蔵卿の松方正義は、初代の大蔵大臣(蔵相)となりました。
 1886(明治19)年1月、大蔵卿の松方正義は、準備金中の正貨(銀貨)による政府紙幣の交換消却に着手し、銀本位制が確立しました。松方正義の紙幣整理事業は、完了しました。
 12月、この年から明治22年頃まで、企業勃興がブームとなりました。
 1897(明治30)年、金貨兌換の日本銀行兌換券が発行され、ここに金本位制度が確立しました。
12  松方デフレ政策後は、どうなったのでしょうか。調べてみました。
(1)松方デフレ政策と増税
 @米価は、明治17年にピークに達したが、その後、松方デフレ政策によって大きく下落しました。他方、地価は据え置かれたので、農民の租税負担率は、明治14年の15.7%に対して、明治17年には34.1%に増大しています。
 A生糸などの農村産業は、明治15年以降の恐慌による影響で不振となっています。
 A酒造税などの増税が大きな負担になりました。
(2)農民の没落
 @明治16〜明治18年の3年間で、売却された耕地は、全耕地の14%になりました。
 A惜金の抵当として質入れされていた土地は、明治18年には、民有地の19.4%になりました。
 B小作地は、明治15年には35.6%でしたが、明治20年には40.1%に増加しました。
 C地租を5〜10円支払う中小農(8反〜1町6反の土地の所有者)は、明治14年には93万人でしたが、明治20年には68万5000人(30%)に滅少しています。これは中小自作農の没落を意味します。
 D地租を10円以上支払う大農(1町6反以上の土地の所有者)は、明治14年から明治20年にかけて8万人減少しています。これは府県会議院選挙権を持つ豪農層の没落を意味します。
(3)民権運動へ影響と、労働者や寄生地主制(殖産興業の担い手)の誕生
 @彼らは、自由民権運動における農村の指導者でもあったので、彼らの没落は、民権運動からの撤退、あるいは過激化というようになります。
 A)没落した農民の一部は、一家を挙げて都市に流れ込み、都市下層民を構成しました。
 B多くの農民は、農村に留まり、小作農や自小作農になりました。しかし、高額な小作料の支払いのために、子女を製糸工場や出稼ぎ労働者として働きに出すなどして、収入の不足を補ないました。
 C地租改止によって、土地私有権が保障された地主層は、高利貸しにより土地集積を行いました。この結果、小作料の収入のみで地主的経営を拡大していけるといわれる地価1万円以上(西日本では20〜30町歩、東日本では50〜80町歩以上)の大地主が、全国的に成立しました。彼らが、殖産興業の担い手に育っていくのです。

政治に無関心でも、消費税はやってくる
1  松方正義は、増税とデフレ政策により、不換紙幣の整理と殖産興業の振興を立案しました。この時、農民は貧困により土地を手放して労働者になる、あるいは、手放した土地を集積した寄生地主が資本家になる、という構想があったのでしょうか。だとすれば、「政治は目的を達するためには、非情な存在である」ということが実感できます。
 政策的に作り出す。「政治とは、マキャベリズム(目的のためには手段を選ばず)である」ということも分かります。
 だとすれば、いい悪いは別として、今の小泉内閣が、何を廃棄し、何を創造しようとしているのか(スクラップ・アンド・ビルド政策)を見極める必要があり、その対応を怠らないようにしなくてはいけません。
 「私たちは政治に無関心であっても、政治は私たちに無関心ではあってくれない」(もうじき消費税が10%になるかもしれませんよ)
2  私たちは、経済のことには全般に疎い。TVのコメンテーターにしても、芸能やスポーツや社会問題にはよく口を出すが、政治になると口数が少ないか、的外れのことを推測で発言しています。ましてや、経済の話になると、専門家が出てきて難解な用語をつかって、喋るだけで、個人的には、何も言えず、うなづくだけである。
 しかし、一番大切なのはお金の問題です。アルバイトやパートで1時間働いて手にするお金は700円ほどです。財政とは、簡単にいうと、収入と支出のことです。苦労して稼いだお金を、税金として納入し、それが何に使われているのか確認する必要があります。
 今の日本は税金をとり、消費税をとり、その上1人600万円の借金をして、支出に注ぎ込んでいます。これを赤字財政といいます。
3  政党助成金(正式には政党交付金)という制度があります。今から10年ほど前の1994年に政党助成法が成立して誕生した制度です。
 弊害があった政党への献金を制限する代わりに、毎年、国が税金から政党へ資金を出す制度です。政党に支払われる金額は、総額300億円といわれ、国民(1億人)でわると1人300円になります。
 私に代わり、高い志で、日本や国民のことを考えてくれている政治家には、支援をしたいと思います。しかし、自分の損得で動く政治家いや政治屋には、1銭たりとも出したくありません。でも、この制度を作ったのは、自分たち政治屋ですから、始末に終えません。
 私利私欲で動く政治屋を選挙で選んでいるのは、私たちです。そのつけは、自分に回ってくるのだと思い、私は選挙に出かけています。
 

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