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産性上昇の理想と現実=日経新聞が伝えた「光と影」
日経新聞一面トップに、生産性上昇の必要性を訴える記事が掲載されていた。詳しくはご覧になって頂くとして、私の読み方が悪かったのか、見出しにあった生産性上昇の源泉が何なのか、今ひとつ分からなかった。手元に現物がないので、記憶を頼りに書いてしまうが、生産性上昇をもたらす事例として、主婦のネットを通じたプラント設計受注、地方の建築会社の農業進出などが紹介されていたと思う。
プラント設計をネットで請け負うにはもともと途方もない知識が必要であり、なかなか一般には真似ができない(むしろネットトレーダーの方が近道)。農業も、以前のエントリーで多くの方がコメントされたように、狭い国土では穀物系の生産性上昇は難しく、結果的に付加価値の高い農産物に取り組むしかないが、そのためには高い農業知識が必要で、簡単ではない。
生産性の上昇は理想論としては正しく、そうなればいいとは私も思うのだが、心配なのは得てして労働者個人に皺寄せがいってしまうことだ。同じ日経新聞の社会面見開きの右上コラムにサラリーマンの過酷な労働実態が紹介されていた。生産性上昇を企業に置き換えれば、収益率の向上であろう。無駄を省き、やり方を変え、一人の労働時間が一定の状態で、収益性が向上すればいいが、現実にはコラムにあったようにサービス残業の増大という個人の犠牲に成り立つ事例が多いのではないだろうか。
たまたまであるが、コラムの事例と同様、私の親戚も外食産業の店長を勤めている。休みは滅多にない。もともとスポーツで鍛えた人間であるが、過酷な労働からか体調も悪いようであり、いつまで体が持つのか心配である。私は「生産性の上昇」と聞くと、給料一定のままよりたくさん働かせる、正社員の仕事を非正規雇用に振り向ける、下請けに皺寄せさせる、といったことを想像してしまう。そして、恐らくはこういった事象の積み重ねがマクロ的には労働分配率の低下(一見すると生産性の上昇)になっているのではないかと思う。
ULC(ユニットレーバーコスト)の低下は、貧乏暇なし、ないしはユニットライフコスト(単位人命経費)の低下と思えて仕方ない。一面トップと社会面のコラム。取り上げ方は逆ではないかという印象である。
47thさんから頂いたコメントで「(日本人の評価軸は)「『他人と違うやり方で結果を出す』よりも『他人と同じやり方で同じ程度(か僅かに上回る)結果を出す』方が高い評価を得られることがあるんではないかという気がします」というのがあった。やり方を抜本的に見直し、労働条件一定の下で収益を上げる(生産性の上昇)ならいいが、日本人は「額に汗して」の勤労精神の下、生活を犠牲にして労働に打ち込み、そして結果を出す方法を好みがちである。自殺者数が高水準で推移しているのが一つの証拠かもしれない。