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株式日記と経済展望
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu168.htm
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/
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静かに起こっている第四次世界大戦をどう乗り切るのかという議論は
ほとんど伝わってきません。危機意識が欠如しているのでしょうか?
2008年5月23日 金曜日
◆第4次世界大戦が静かに進行している? 5月22日 大西宏
http://ohnishi.livedoor.biz/archives/50552544.html
原油が、1バレルが120ドルの攻防を繰り返していたのがついこの間のことですが、ついに、ニューヨーク先物取引市場で、あっさり1バレル130ドルを超えてしまいました。これまでの傾向から見ると、攻防を繰り返した後に一挙に高騰していたので、さらに高騰するかも知れないという予想が現実のものとなってしまいました。
さて、ガソリンや資源の高騰は、先進国を筆頭に、資源を買わなければならない国から、資源保有し、資源を売る国に巨額の富が流れ、資源輸入国の損失ははかりしれません。
ところで、実は、第二次世界大戦の後に、静かな第三次世界大戦が起こっていたという説があります。1980年代のことです。戦勝国は日本とドイツ。戦略兵器は、優れた工業生産技術と、優れた工業製品でした。
アメリカは、致命的な経済の打撃を受け、イギリスは、工業がことごとく破綻し、自動車産業まで失います。
さらにソ連は国家まで崩壊してしまいました。この第三次世界大戦で敗戦国が被った経済的な打撃は、第二次世界大戦をも上回ったといわれています。おそらく、現在の原油また資源の高騰による資源輸入国の経済的損失も世界大戦の規模に匹敵する額になってきているのではないでしょうか。そして皮肉なことに、第三次世界大戦で、国家の崩壊までいたったロシアがこの世界大戦で戦勝国になってきていることです。
原油や資源の高騰が、中国をはじめとした途上国の経済成長によって、需要が高まったからということが言われていますが、アメリカの上院の司法委員会で、石油会社の経営幹部が、採掘コストや需給のバランスを考慮しても、1バレル35ドルから90ドルが妥当なところだと証言したことがビジネスウィークにでていました。原油市場に対する投機資金の規制を強化の動きのひとつだと思いますが、それが本当だとすると、残りはヘッジファンドや投資銀行の投機による高騰だということになります。
Oil: Up, Up, Up
1980年代に起こったことは日本とドイツのひとり勝ちという状況でしたが、現在起こっているのは、資源保有国と資源輸入国の利害の対立というだけでなく、プレイヤーとして、国境を越えた存在ではない金融資本がからんでいるという複雑な構図です。
アメリカは、20世紀の初めには世界一の産油国だったのすが、今では世界最大の石油輸入国で、損失を被りつつ、金融資本の拠点はアメリカにあるということで、国内で矛盾を抱えています。
巨額の資金がが株式市場に流れている分には、金融経済が、実体経済をより付加価値の高いビジネスに転換させたり、構造転換を促したり、支えたりする役割を担い、共存関係にあったのですが、こうなってくると、金融経済が実体経済を痛めるという関係になってきたという見方もできます。
エネルギーも、資源も輸出に頼っている日本にとっては厳しい状況になってきているのですが、政治が停滞した状況にあり、この静かに起こっている第四次世界大戦をどう乗り切るのかという議論はほとんど伝わってきません。危機意識が欠如しているのでしょうか、あるいは諦めて傍観しているということでしょうか。
◆現代版アリとキリギリス 5月21日 田村秀男 産経新聞
http://tamurah.iza.ne.jp/blog/month/200805/
イソップ寓話(ぐうわ)の「セミとアリ」では、ひたすら働くアリを侮り、自身は浮かれた生活をしていたセミが冬場になって食べるものに困り、アリに助けを求めるが断られる。ところが米国は1934年に制作されたディズニー映画でセミをキリギリスに置き換えて「キリギリスとアリ」の物語に仕立て直した。結末も、アリがキリギリスを助ける「美談」に変わった。
住宅のバブル分まで借金しては消費してきた米国はまさしくこのキリギリスであり、そこにためたカネを提供してきた日本はアリである。それはまだしも、米住宅バブルが崩壊するとキリギリス以上にアリが打撃を受ける、アリはそれでもキリギリスなしではやっていけない、というのが現代経済の構図である。
例えば、日本の住宅ローン金利。金融機関は今月初めに金利を一斉に引き上げ、6月もさらに上げる気配だ。3000万円のローンなら、1%も上昇すれば年間30万円負担が膨らむ。理由は住宅ローン金利の基準になる長期金利の上昇である。長期金利とは長期国債の利回りのことで、その上昇の背景は「インフレ懸念」(日本経済新聞5月15日付朝刊)との説明がいかにももっともらしい。
実際にそうなのか。日米の長期金利の推移を調べてみると違った様相が浮かび上がる。米国の低所得者向け高金利型住宅ローン(サブプライムローン)危機が表面化した昨年夏から、日本の長期金利の振幅は米国と一致し、4月には日本が米国以上に跳ね上がった。
なぜか。「日本の国債相場をリードしているのは、実は米国のヘッジファンドなど大口投資家です。インフレ懸念というのはあくまでも後付けの理屈にすぎない」と大手証券のベテラン債券ディーラーが打ち明ける。ヘッジファンドなどはサブプライム危機後、株式を売って安全資産として日米の国債に資金を移した。パソコンの売買プログラムでは日本の国債保有比率を固定している。米株式不安が少し和らぐと米国債から株式に投資先を切り替えるが、キーボード操作ひとつで自動的に日本の国債も売ることになる。
ヘッジファンドに大口資金を融通しているのは日本の金融機関である。銀行などは、住宅ローン以外は国内での貸し出しに消極的だ。預金の運用先を国債とヘッジファンドに振り向けている。その国債相場を動かすヘッジファンドにつられて、日本国債を慌てて売る。米国債が売られると日本国債はそれ以上に売られ、相場が急落し、利回り、つまり長期金利が急上昇し、結局住宅ローンを借りる日本の一般消費者にツケが回る。
日本の株式も売買シェアの7割を占める「外国人投資家」が米国株式を基準に相場を決める。
しゃくにさわるかもしれないが、アリの日本人はキリギリスの米国人を責めても無駄だ。世界最大の債権国になるまでせっせと働いてため込んでいるなら、その富は日本国内で使えばよいじゃないか、と言われるのがおちだろう。日本のカネでなくても、中国などの新興国やアラブ産油国が対米証券投資しているとの余裕が米国には生まれている。
国内で新ビジネス機会を創出して投資を活発化させる。いかがわしい取引が横行し、裏社会の関与まで取りざたされる株式市場をきちんと整備する。そんな当たり前の政策を実行できない日本という国のあり方を正さないと、日本人はいつまでもキリギリスに貢いで余計に働く羽目になるアリであり続けるだろう。(たむら・ひでお)
(私のコメント)
久しぶりに経済ネタになりますが、石油が1バレル130ドルを突破しました。1ヶ月の間に20ドルもの上昇です。株式で言えば売る人がいなくなって値だけが飛んでいる状況ですが、買っているのはFRBから資金供給を受けているアメリカのヘッジファンドでしょう。FRBは金融機関を救うために資金供給しているのですが、その金が石油投機に向かっている。
いわば金融緩和の副作用で、中央銀行がジャンジャン資金供給して株式や債券市場が動いているのはいいのですが、石油や穀物市場で値が吊り上げられている。生産国の産油国やアメリカなどの穀物輸出国にとっては儲かりますが、世界の消費国は投機マネーで吊り上げられた石油や穀物を買っていることになる。
これが大西宏氏の第四次世界大戦であり、田村秀男氏のアリとキリギリスの物語だ。日本やドイツや中国がせっせと物を作り続けるアリなら、金融で稼いで遊んでいるのがアメリカや中東産油国などのキリギリスだ。金融は所詮ゼロサムゲームだからいつかは破綻するのですが、アリがせっせとキリギリスに甘い蜜を供給している。
バブル以前は日本国内にも証券会社が国内証券市場に資金を供給して相場を盛り上げてきたのですが、バブル崩壊で日本の証券会社は壊滅的な打撃を負って、相場形成能力を失ってしまった。バブル以前は特金などがあって日本企業は余裕資金を証券会社に資金運用させてきた。ところがバブル崩壊で特金は破綻して、日本企業は外資系ファンドに資金を預けるようになってしまった。
日本の証券会社には資金運用能力が無かったということですが、確かに日本の証券会社の証券マンには投資ファンドを運用できる能力は無かった。彼らに出来る事は本社が決めた銘柄を客に買わせる事だけであり、このような組織営業ではバブル崩壊が来たらひとたまりもない。
なぜ日本の証券会社は、外資系証券会社のような投資ファンドマネージャーを養成しなかったのだろうか? それは会社の組織形態が欧米とはまったく異なっていたから無理だったのだ。日本の証券会社は売買の仲介が専門であり投資信託も規制だらけで運用実績は上げようも無かった。それに対してアメリカの投資ファンドは実績本位であり、実績の上げられないファンドマネージャーはすぐに首になった。
日本でも自前のファンドマネージャー養成しようとしたり、外資系のファンドマネージャーをスカウトしたりして真似してみたが上手くいかなかったようだ。だから日本にはゴールドマンサックスやモルガンスタンレーのような投資会社を作るのは不可能なのだろう。なぜならばゴールドマンやモルガンには元政府高官が役員としてなっており、ポールソン財務長官のようにまた政府高官になったりして、GSやMSはアメリカ政府そのものと言ってもいい。
日本では財務大臣が野村證券に天下ったり、野村證券の会長が財務大臣になったりする事はありえない。だから野村證券がGSやMSに敵うわけがないのである。今から考えれば日本の証券不祥事はアメリカ政府ぐるみの情報戦争に敗れたわけであり、大蔵省もスキャンダルを暴露されて大蔵省は解体されて財務と金融は分離された。
今では日本の金融市場はほとんど外資系証券会社のシェアが7割となり、日本の証券会社は金融市場に対する営業能力は失ってしまった。日本人は金融といった情報戦争には向かない人種であり、バカ正直に物を作っているしかないのだろう。アメリカの投資ファンドは投資というよりもギャンブラーであり、国家ぐるみの収奪機関である。
金融大国のアメリカやイギリスには情報機関があって、軍事的な情報のみならず経済情報も盗聴などの非合法な方法で情報を収集している。80年代90年代の日米経済交渉などは、日本側の手の内はCIAによって全部お見通しだった。日本にはこのような情報機関がないから日本政府はアメリカ政府のなすがままになり金融戦争で全面敗北した。
「株式日記」ではこのような内幕を暴露してきたのですが、日本国民はこのような陰謀話は信じようとはしない。日米は同盟国のはずですが、ソ連崩壊以降はアメリカ政府は日本を敵国として日本の弱体化を謀ってきた。その成果が「日本の失われた10年」ですが、日米はいつの間にか同盟国関係から植民地と帝国の関係になってしまった。
帝国循環という言葉を以前に紹介した事がありますが、19世紀の大英帝国とインドの関係がこれに近い。現在のアメリカの繁栄を支えているのも日本からのマネー還流であり投資という名の収奪行為が行なわれている。日本政府はドルの買い支えを行い、アメリカ国債を官民合わせて400兆円も買っている。ドルが紙切れになれば日本は騙し取られた事になる。
このように露骨に書くと、アメリカの手先のような人がデタラメな反論をしますが、日本の財務省や金融庁などにはハゲタカファンドマネージャーが出入りしているのを見かけるだろう。日本政府はアメリカ政府にがちがちに監視されて、言う事を聞かないとスキャンダルを暴露されて政治家も官僚も失脚することになる。
このように国際金融資本はアメリカ政府や日本政府を自在に操っては巨額の利益を濡れ手に泡で手に入れて行く。まさにアリから蜜をむさぼるキリギリスであり、童話のような世界ではない。オリジナルな童話は日本と米英では価値観がまったく異なるようだ。
◆アリとキリギリス(セミ)
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa895894.html
イソップ物語は国によってその民族の価値観とその国に生息する動物や昆虫によって話が作り変えられているようです。日本では仏教の教えや儒教の教えに合うように結末が変えられています。(日本のイソップ物語は優しい思いやりのある主人公が登場します)
世界中に住む蟻は変わりませんが蟻と比較される甲虫(原作)は国によって変更せざるを得なかったようです。日本ではキリギリスですが、英語版ではgrasshopperとなっています。Grasshopperとはバッター、イナゴ、キリギリス類の総称です。岩波文庫「イソップ寓話集」では甲虫(糞を集めて卵を産みつける)が怠け者になっています。僅か7行の短い話です。結論も将来のことを考えないと時節が変わったときにひどく不幸な目にあうものです、とだけで食べ物を分けてあげたかどうかには触れていません。
一方英語版の最後は、各話が必ず短い教訓で終わります。「夏に音楽を奏でて忙しかったのなら、今度は踊ったらどうだ。こう言って蟻たちはキリギリスに背を向けて仕事に戻って行った。人生には働く時と楽しむ時があるのだ。」
日本語版(ギリシャ語版の翻訳)も英語版も我々が読まされてきた話と若干違いますが、キリギリスが褒められてはいません。私の理解ではキリギリスが褒められたのではなく、イソップ物語の前編に流れるのは古代ギリシャの奴隷たち(我々の知っている近代の奴隷とはだいぶ異なりますが)の人生訓、処世術であり、当時の物語が現代の人間にそのまま教訓にならない場合もあるということです。しかし、世界にはキリギリスの生き方を善しとする民族もいるのでしょうね。
日本人が日本人向けに書き直した蟻とキリギリスは、蟻は働くこととの意義を説いた後にキリギリスに食べ物を分けてあげ、キリギリスは有難うとお礼を言って立ち去ることになっています。これは仏教の教えです。