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「経済コラムマガジン08/4/21(524号)
・りそな銀行の救済劇
* 時価会計の導入
先々週号では小泉政権発足から構造改革が始まったのではないことを説明した。この以前(橋本政権の頃)から「小泉的なもの」が政界に跋扈していた。彼等によって数々の観念的な政策が強行されたきらいがある。
その一つが時価会計(ここでは減損会計も含む)の導入である。筆者は時価会計導入そのものを否定しているのではない。しかしその実施は地価や株価が上昇している時や安定している時期に行うべきでと考える。日本はバブル期まで地価と株価はほぼ一貫して上昇してきた。つまりこの時期に時価会計を導入しておけば良かったのである。
しかしバブル期の前に時価会計導入を主張していた会計人は、アーサ・アンダーセンの白鳥英一氏などのむしろ少数派であった。当時、時価会計論はほとんど見向きもされていなかった。ところがバブル経済崩壊後、時価会計を唱える者が急増した。金融ビッグバンだとか、国際会計基準の採用とか急にうるさくなったのである。
しかし土地や株といった資産の価格が下落を続けている状況での時価会計の導入は、経済にとって劇薬になる。ところが構造改革派の観念論が勝り、政府はこれを実施したのである。この結果、企業は安くなる前に土地や株を競うように売り急ぎ、これがまた資産価格の下落を招いた。
米国FRB議長バーナンキ氏は、最近、時価会計適用方法の一時的な見直しを提案した。特に米国の会計基準が欧州に比べ厳しいため、サププライム問題で資産担保証券の投げ売りを誘い、極端な価格下落を招いたという認識からである。
株式は2000年4月以降の会計年度から時価会計が導入され、この導入前から企業の持合い株がどんどん売られ株価の下落は止まらなくなった。小渕政権の景気対策もあって2万円以上だった日経平均は、地価の止まらない下落と持合い株の解消によって、2001年4月、小泉政権の誕生の頃には13,411円まで下落した。ところが構造改革派は、この株価の下落の理由を改革の後退によるといったバカげた事を言っていた。
さらに資産価格下落にダメ押しをしたのは小泉政権であった。この指摘に対しては構造改革派は口をつむぐか、あるいは忘れたフリをするのである。ズバリ小泉政権の経済運営はメチャクチャであった。
特に政権発足2年目の2002年10月に柳沢金融相に代わり、竹中平蔵氏が金融相を兼務してから金融界が一層動揺した。竹中氏は木村剛氏などで構成する「金融分野緊急対応戦略プロジェクトチーム」を作った。メンバーを見れば分るように「悪い企業、悪い銀行は潰せ」という極端な構造改革主義者の集まりである。この竹中チームはいわゆるハードランディングを目指していた。財政支出を絞り、デフレ経済のまま、銀行に不良債権の処理を強行に迫ったのである。銀行や企業は売れる資産は全部売るという状況になった。この頃に都心の地価は底に達したものと見られる。
しかし竹中氏は、現実の経済の実態には疎いということを露にしていた。これが株式市場の下落に拍車を掛けていた。例えば竹中氏は、金融相に就任すると直に、銀行が税効果会計によって繰延法人税を資産計上していることにケチをつけた。詳しい話は省略するが、税効果会計の導入は金融当局が銀行に不良債権を処理を促すために行ったものである。税務上損金に直には認められない不良貸付金を早期に計上させることが目的であった。銀行としては利益が出た時に払わなくても済む税金分を資産計上し、その分資本を増やしていた。これはBIS規制を睨んだものである。
竹中氏は、今度は繰延法人税が大きすぎるとイチャモンをつけた。つまり自分が税務会計に疎かったと知った後に、「将来、銀行が利益を出せるか不明なのに繰延法人税を計上するのはおかしい」と言い方を変えたのだ。たしかに税務上、欠損金の繰延は当時5年と定められていた。しかし銀行の不良債権処理がもっと時間が掛かるなら、繰延期間を長くすれば良い話である(実際、その後に1年延長)。実のところ、他の先進国は日本より繰延期間は長く、中には損失の繰越を永久に延ばせる国もある。ところが竹中氏達は、繰延法人税は逆に3年分しか認めないと言い始めたのである。
* りそな銀行の株主の救済
新たに金融相に就いた竹中氏が実務にズブの素人という事が分ると、平均株価は9,000円を割込んだ。しかし実際のところ不良債権処理の実際の政策は、自民党の相沢英之委員長を中心にした「デフレ対策特命プロジェクト」が担っていた。ベテランの自民党の参議院議員から筆者は「相沢氏が一番経済、金融、税務に通じていて、彼を中心に全ての対策を作っているのだよ」という話を聞いていた。実際、竹中金融相は相沢氏に教えを請うというか、相沢委員長の指示のまま動いていた。翌年の総選挙では、竹中平蔵氏はわざわざ鳥取まで行って相沢氏の選挙応援をしているくらいであった(この選挙で相沢氏は落選)。
したがって税効果会計の適用期間の件を除き、竹中氏がマスコミに登場して言っていたような無茶な政策は実行されていない。しかし世間はそんな事を知らないから、竹中氏が過激な発言をする度に市場は動揺した。とうとう翌年03年4月には日本の株価は7,000円台をつけた。これにはりそな銀行の監査法人が金融庁の方針通り、りそな銀行の繰延法人税の計上を3年分しか認めないと言い始めたことが影響している(3年分だと自己資本比率が2%となり銀行業が営めなくなる)。つまりりそな銀行の破綻が目前に迫ったのである。
誰もがりそな銀行は破綻すると思った。しかしりそな銀行は破綻しなかった。結局、2兆円の公的資金が投入(普通株式の取得)されたが、これは預金保険機構からのものである。それもりそな銀行からの申請によって資金が投入されたということになり、りそなは一時国有化されたのである。
それまでの大手銀行の破綻のケースでは、破綻処理の過程での公的資金の投入であった。これは木村剛氏などの「金融分野緊急対応戦略プロジェクトチーム」のスキームではないと考える。彼等は悪い銀行は市場から退場させるという考えである。りそな銀行のケースは、公的資金による救済であり、彼等の考えとまさに反対の処置がなされたのである。
テレビに登場した木村剛氏は、「いままで言ってきたことと正反対の大甘の処置がなされた」という批難に対して、「いや株主にも減資という厳しい処置がなされる」という大嘘をついていた。それまで大手銀行の破綻では100%の減資がなされ、株式はまさに紙屑になった。ところがりそな銀行の場合は、資本準備金を7,000億円取崩しただけの減資である。つまり帳簿上の減資であり、木村剛氏の言い訳は真っ赤な嘘であった。
それどころかりそな銀行の株価は、救済策が公表されるなり逆に高騰し始めた。他のメガバンクの株価もこれに追随し、急激に上昇した。つまり今後、大銀行の株式が紙屑になる事態はないということがはっきりしたのである。株式市場全体も、外人がリードしてようやく上昇に向かった。つまり竹中氏達、構造改革派の考えとは正反対の救済策によって、株式市場は回復したのである。結局、これはりそな銀行の救済というより、正確にはりそな銀行の株主の救済であった。
もしりそな銀行が北海道拓殖銀行や長期信用銀行のような破綻処理がなされていたなら、市場はパニックになっていたと思われる。日本の株価もどこまで下がっていたか想像できない。しかしりそな銀行の救済劇には分らないところが多い。誰がこのスキームを作ったかも不明である。まるで翌04年8月に成立する金融機能強化法を遡って適用した形になっている。
来週は「小泉的なもの」のまとめである。
NYダウが上昇している。米国の経済実態は悪いが、株価だけが回復している。これは先々週号で指摘したように、巨額の株式の売り残が影響していると考える。米国ほどではないが、日本市場も売り残が大きいので株価がなかなか下がらないようになっている。
英国ファンドによるJパワー株買増しに中止勧告が出た。これに対して「日本は閉鎖的と見られる」という構造改革派の例の批難が出ている。「外資を拒否する日本から外人は逃げる」と言うのである。しかし勧告が出た翌日は外人は日本株を買越ししている。構造改革派の人々は、いつもいい加減な事を言い、嘘ばかりつく。一体、彼等は誰の利益を代弁しているのだ。 」
http://www.adpweb.com/eco/eco524.html