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「経済コラムマガジン08/4/14(523号)
日米の中央銀行総裁
ヘリコプターマネー
米国の金融危機に対する米国FRBの対応がすばらしい。まだまだサブプライム問題に端を発する金融危機が去ったとは言えないが、FRBは人々が想定していた以上の対策を次々と実施している。もしFRBが日銀と同レベルの動きであったなら、今頃、米国の金融や経済は大混乱していたと思われる。
ところが日本のエコノミストや政治家は、「バブル崩壊後の日本の教訓を米国に教えてあげては」とのんきなことを言っている。しかしFRBのメンバーは、もちろん日本のバブル崩壊とその後の日本政府や日銀の対応についてかなり知っている。例えばグリーンスパン前FRB議長は、日本の金融危機についてかなり熱心に勉強していた。ただ彼等は日本のようにやってはいけないと考えている。つまり日本の対応を反面教師にしているのである。
先週号で述べたように、橋本政権の時代から日本にはマスコミ受けを狙った政治家やエコノミスト、つまり「小泉的なもの」が跋扈し、政策決定の現場を混乱させていた。政策新人類と呼ばれた政治家もこの一派である。このような状態で「日本の教訓を教える」なんてとても恥ずかしくて言えないセリフである。
日銀の新総裁も決まり、今週はこの白川日銀総裁とバーナンキFRB議長を取上げる。偶然にも本誌は両名をかなり前から取上げていた。程度に差はあるがある意味で両名に昔から注目していた。
初めてバーナンキ氏が本誌に登場したのは04/10/11(第362号)「日本経済のデフレ体質の分析(その2)」http://www.adpweb.com/eco/eco362.htmlである。ここでは「バーナンキ」ではなく「バーナンケ」と表記していた。当時FRB理事だったバーナンキ氏は、日本での講演で日本経済のデフレ対策に言及し「ヘリコプターマネー」を奨めた。これはまさに本誌が昔から主張していたセイニアーリッジ政策そのものである。
ただこの時の発言録を読むと、どうも政府貨幣(紙幣)発行によるセイニアーリッジではなく、日銀による国債の買入れや引受けによる通貨増発策を念頭に置いていたようだ。しかしこれも実質的にセイニアーリッジ政策である。たしかに政府貨幣発行より、こちらの方が抵抗が少なく現実的だと考える(実際、日銀は既に毎月1兆2千億円の国債買入れを実施している)。
バーナンキ氏は、実質的なセイニアーリッジ政策を実施し、これを財源に政府支出を増大させたり減税を行うことを主張した。需要不足によって日本はデフレになっているのだから、セイニアーリッジ政策による需要創出は極めて適切な政策である。つまりバーナンキ氏は、当り前のことを言っていたのである。
しかし経済に疎い日本のマスコミとこのマスコミに迎合する「小泉的なもの」(構造改革派の政治家とエコノミスト)は、このバーナンキ氏の言葉を抹殺しようとした。「ヘリコプターマネー」はハイパーインフレを引き起すとんでもない政策と烙印を押したがったのである。一方、彼等はデフレ克服には「徹底した規制緩和」や「生産性の低い産業を潰せ」などが必要と、ばかげた主張を繰返していた。中には「日本はデフレギャップがなくなり、むしろインフレギャップが発生している」という異常なことを言っている者までいる。
今のところバーナンキ議長を中心としたFRBの対応は米国でも評価が高い。就任前、バーナンキ氏は、学者出身のため現実の経済に疎いのではないかという危惧があった。しかし実績を見る限りそのようなことはない。また彼は金融政策だけでは限界があるから、米国政府に財政出動を要請している。むしろ経済(理論と実態の両方)をよく知っているだけに政策が明解である。
ところが日本のマスコミでは、バーナンキ議長の一連の実績を評価する声が不思議なくらい小さい。さすがに批難はないけど、積極的にほめる者もいない。筆者は、これはバーナンキ議長を高く評価すれば「ヘリコプターマネー」発言を黙殺した彼等の評価にも影響するからと見る。「ヘリコプターマネー」は自分達の言っていたこととまさに正反対の政策である。このような事情から、バーナンキ議長を認めるわけには行かない。認めれば、自分達が「ばか」だということが明らかになるのである。
・プリンティングマネー
日本のデフレ経済に対する処方箋として「セイニアーリッジ政策」を奨めた米国の論客が、バーナンキ氏の前にもう一人いる。03/5/5(第295号)「政府紙幣発行政策の誤解」http://www.adpweb.com/eco/eco295.htmlで取上げたコロンビア大学のスティグリッツ教授(ノーベル経済学賞受賞)である。教授は「セイニアーリッジ政策(プリンティングマネー)」を行うよう、シンポジウムで講演を行った。おかしいのは教授を招いたのが、構造改革派の総本山の日経新聞である。日経はまさか教授がこのような発言をするとは思っていなかったのであろう。
予想通り教授の発言に対する反応は散々であった。そもそも聴衆は「政府貨幣発行」についての知識がない者が大半であった。このような人々が反論しているのだからばかばかしい。スティグリッツ教授もあきれかえって帰国したと思われる。
スティグリッツ教授の発言に対する反論(日経新聞に掲載された)は、幼稚なものばかりであった。特に上記03/5/5(第295号)「政府紙幣発行政策の誤解」の中で「政府紙幣が発行されても、日銀券が政府紙幣に置き換わるだけであり、経済に何の影響を与えない」という反論があったことを紹介した。この発言者こそが今回日銀総裁に就任した白川氏(当時日銀理事)である。
当然、スティグリッツ教授が言いたかったのは「今日行われている経済政策にプラスして、政府紙幣を発行による財政政策を行えと言っているのである。今日、日本には巨額のマネーサプライ残高が存在している。しかしその大半は凍り付いている。金が動かないのである。巨額のマネーサプライが存在するのに、人によっては金不足になっている。経済がこのような状態になれば、政府が財政政策を行う他はない。財政政策によって、所得の発生を伴うマネーサプライを増やすことが肝腎である。」ということである。また発行した政府紙幣を日銀に入金(預金)し、歳出に際して日銀券を使えば、通貨の種類が増えるという混乱は避けられる。
今日の日本の不幸は、財政が逼迫しているという誤解に端を発している。しかし04/12/13(第371号)「第一回財政研交流会」http://www.adpweb.com/eco/eco371.htmlで述べたように、債務残高から金融資産残高(日本政府の金融資産残高は特に大きい)を差引いた日本の純債務残高のGDP比率は他の先進国と遜色がない。さらにバーナンキFRB議長やスティグリッツ教授が主張するこの「セイニアーリッジ政策」も採用できるのである。つまり日本の財政危機なんて幻の話である。むしろ本当の危機は、日本の財政が危機だと人々が思い込んでいることである。
それにしても米国のFRB議長と日本の日銀総裁では、実力に相当の違いがあることを認めざるを得ないであろう。少なくとも今のところ経済に関する認識と知識に格段の差がある。ただ白川新総裁はあまり利上げにこだわらないタイプと聞く。日銀の人事についてはもう一度別のところで取上げるつもりである。
最後に財政危機という誤解が発端となっている話題を一つ取上げる。外資のJ パワー株の買増し問題である。英国系ファンドが9.9%の持株比率を20%に増やしたいとし当局に申請している件である(法律で一社が10%以上の株を持つことが禁じられている)。ファンドは経営権を握るつもりはないと釈明している。しかしJ パワー株は既に外資が40%を占めている。
これに対して「持株の増加を認めないと日本は閉鎖的と見られる」とか「外資を規制するのは官僚の利権を守るため」といった的外れな声が大きい。いつものように渡辺金融相や太田経済財政担当相などが先頭に立って外資を擁護している。しかし英国系ファンドが必死になって買増し走っている理由を、マスコミはあまり明確に報道していない。
一説には英国系ファンドがJ パワー株をかなり高い時期に買ってしまい、かなりの損失(140億円)を抱えているという話である。そこで今日かなり安くなったJ パワー株を買増し、値上がりを待ちたいというのである。しかしこのような事態を想定して持ち株制限のあるJ パワー株を取得したはずである。つまり閉鎖性や外資規制うんぬんとは別次元の話が背景にあるのだ。
外資の株取得規制に対して、外資に買い占められることがいやなら株式を上場するなという意見がある。もっともな話である。J パワーは元は電源開発という国策会社である。この株式を公開したのは、国の財政赤字の補填を狙ったケチな考えである。つまりJ パワー株買増し騒動は、日本の財政が危機という作り話が発端になっているのである。
もっとも英国系ファンドがJ パワー株を買ったのは、J パワーの事業に魅力を感じたのではなく、どうもJ パワーが持っている大きな剰余金が狙いのようである。今後、外資が一緒になって大幅な増配を求めてくる可能性がある。つまり外資ファンドがJ パワーの経営に興味がないのは当り前のことである。
来週は先週号の続きに戻って「小泉的なもの」を取上げる。
中国人監督の製作した「靖国」という映画の上映が物議をかもしている。上映を支持する人々は、この映画は純粋なドキュメンタリー映画であり、政治的な背景はないと主張している。むしろ彼等はこれは表現の自由を認めるかどうかの問題というのである。しかし筆者はこれはちょっと違うと思う。まず映画に登場する刀匠の刈谷さんという方が、自分が登場する場面を全部削除するよう監督に申し入れているという話である。
これについて中国人監督は「刈谷さんの心変わりは、自民党の有村治子参院議員が電話をしたことがきっかけ」と政治的圧力があったと主張している。しかし刈谷さんが削除を申し入れたのは昨年の春である。中国人監督から「最後の靖国力の制作者」という主旨で刈谷さんに映画の出演依頼が有り、刈谷さんはこれを快諾し、平成17年秋に撮影が行われた。ところが映画の試写を昨年の春に見た刈谷さん夫妻は、取上げ方が話しと違うと削除を強く求めていたのである。中国人監督は、完成品を作り、そこで刈谷さんの考えを考慮すると釈明した。しかしその後なしのつぶてであったという話である。要するに刈谷さんはこの中国人監督に騙されたということになる。
実際、純粋なドキュメンタリー映画なんて有り得ない。当然、映画には政治的な意図はあるものと考える。むしろドキュメンタリー映画こそ強い政治的メッセージを持っていると言える。ところが中国ギョーザ問題で、中国人の言い分を全く認めないマスコミ人が、今度は中国人監督の言い分を100%認め、強く中国人映画を擁護している。
またこのような問題が起ると必ず「映画を実際に見てから非難しろ」という卑怯者がいる。誰もが簡単には映画を見ることができないことを承知しながら、このような事を言うのである。そして聞くところによればこの映画の製作会社は日本法人ということになっているが、役員は皆中国人という話である。この真偽は調べるべきである。もしこの話が本当なら、「靖国」という映画自体が中国の対日工作の一環という可能性が出てくる。このような映画作成の背景を調べることこそがマスコミの務めではないか。」
http://www.adpweb.com/eco/eco523.html