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株式日記と経済展望
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu164.htm
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/
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公的資金投入に国民は強い抵抗を示し、感情的反発には凄まじい
ものがあったのである。それが「失われた10年」の原因となった。
2008年3月29日 土曜日
◆米国よ、公的資金注入で「失われた10年」の轍を踏むな! 3月26日 ダイアモンドオンライン 辻広雅文
http://diamond.jp/series/tsujihiro/10021/
サブプライムローン問題に端を発した金融不安が老舗証券会社のベア・スターンズを実質破綻させ、米金融界の損失が合計1兆ドルにまで及ぶと推測されるに至って、いよいよ米国政府に金融機関への公的資金注入圧力がかかり出した。
これまで米国金融当局は資本増強の自助努力を強く促し、実際、巨額の損失をきたした金融機関は、中国や中東の政府系ファンドにまで出資を仰いだ。だが、自助努力だけでは不十分だ、金融不安が金融危機に深化しないうちに公的資金を注入せよ、というわけである。とりわけ日本の識者は、「わが国の苦闘の過去を教訓とせよ」と叫ぶ。
日本の苦闘の過去とは、いうまでもなくバブル崩壊後の“失われた10年”を指す。株式、不動産などの資産価格が下落し、銀行の資本不足による貸し渋り、貸し剥がしを誘発して実体経済が長期にわたって悪化したわけだが、すでに1992年頃から公的資金投入(当時は金融機関の資本に注入するという考え方に統一されていたわけではなかった)は議論され始めていた。
だが、広く国民(産業界の大部分も)は強い抵抗を示し、したがって政治家も官僚もはなからその気がなかった。己の利益を拡大するためにやりたい放題の乱脈融資を行ってきた銀行だけをなぜ税金で助けなければならないのか、という感情的反発には凄まじいものがあったのである。ようやく金融機関への公的資本の逐次注入が始まったのは、金融危機が発火してしまいいくつもの金融機関が破綻した後の1998年であった。
洋の東西を問わず、金融資本に対する人びとの目は冷たい。現在の米国社会も、略奪的取引とまで形容されたサブプライムローンの高利貸したちへの反感に覆われているだろう。その証券化商品を買い込んだ金融機関に同情するはずがない。
下手に手を出せば政治問題化する。大統領選挙のさなかにとてもそんな冒険には出られない――米国政府は、そうした政治的困難のなかにある。
だが、それを乗り越えて、公的資金を注入しなければ手遅れになる、と日本の識者は主張しているのである(皮肉を言えば、日本の金融危機に際し、早く公的資金を注入せよと毎日のように大蔵省に圧力をかけてきたのは、米国政府であった)。
だが、私は、公的資金注入は、現時点では反対である。日本の金融危機に学ぶべき第1の教訓は公的資金注入ではない、と考えている。
現在、住宅バブルがはじけ、証券化商品の価格が下落し続けている。投機的行為が集中したのだから、その反動による急落はやむを得ない。それによって生じる損失は、誰かが負担しなければならない。
問題は、下落し続ける証券化商品の底値が見えないことにある。底値が見えないから金融機関の損失は確定せず、相互不信も消えない。この状況で資本注入するのは意味が薄い。
おおよそでも損失額が見えていなければ、必要十分な注入額が分からない。注入額が不十分で、2次注入が必要になったら、さらに市場は不安になるだろう。もっと言えば、現時点で公的資金を注入させるのは、経済を回復させるために逆効果ですらあるだろう。
なぜなら、下落し始めた相場を回復させるための鉄則は、落ちるところまで落とすこと、それもできるだけ早く、だからである。落ちるところまで落ち、合理的な価格としての底値が見えれば、自然に買いが入り、反発するからである。バブルを潰しきる、と表現してもいいだろう。
では、今、底値はなぜ見えないのだろうか。流動性不足と恐怖感で買い手が不在になり、クレジット市場大混乱に陥っているからだ。トリプルAの債券すら3割も4割も大暴落し、市場の価格形成機能が完全に麻痺しているのだ。
的確な信用リスクが反映される構造が壊れてしまい、価格は大きく歪んでいる。このままでは、落ち着くべき底値すら突き破って、オーバーシュートしてしまうかもしれない。とすれば、何よりこの価格形成機能を回復させることが最優先課題となる。
実は、これこそ中央銀行の専門家に託された役割なのである。単純に市場を買い支えるのでは、むろんない。例えば、金融機関が抱える流動性の低いローン債券と中央銀行が保有する流動性の高い財務省短期証券を一時交換し、流動性を与え、市場に資金を呼び込むように仕組むのである。
これは高度な金融技術の粋を結集し、巧みな市場操作によって果たされる難題であり、中央銀行にも実はこの分野の専門家は少ない。90年代から2000年代前半、市場に不良債権の自律的価格形成機能を付与すべく実務家として腐心してきた1人が、白川方明・日銀総裁代行である。米国中央銀行のFRBのスタッフは昨年夏以降、この日銀のスキルを学ぶべく何度か来日している。
市場の価格形成機能の回復という難題を克服し、オーバーシュートという市場の暴力的特性を制御し、適正価格としての底値が発見されれば、証券化商品価格は反発する。そうなれば、利益を見込んだ民間の資金、資本が自在に動き出す。公的資金は不要、あるいは最小限ですむことになる。
日本はバブル崩壊以降、政官財揃って資産価格の下落に度を失い、歯止めをかけることが最優先課題となり、株の空売り規制や公的資金による買いを出動など、公的介入が繰り返された。それがいたずらに場当たり的、逐次的だったこともあって、底値の発見が遅れに遅れ、10年以上も資産価格がずるずると下落し続けた。落ちるところまで落とすという相場の鉄則を無視したのであった。その結果、その間にいたるところで複雑骨折が生じ、回復に膨大な資金と時間を費やした。これこそ、日本に学ぶべき教訓であろう。
(私のコメント)
アメリカのバブル崩壊でアメリカ政府とFRBは次々と手は打っています。それに比べると日本政府のバブル崩壊における優柔不断さは目に余るものがあります。政治家が決断を下せないということは、それだけで悪なのであり責任の放棄なのです。そしてそれが間違っていたのなら責任を取ればいいだけの話です。しかし政府には適切な判断を下せる人材もいなかった。小渕総理は鈍牛総理と呼ばれ満身創痍になってしまった。
以下はちょうど10年前の1998年9月6日の株式日記ですが「緊急に公的資金を注入せよ!」と書いています。政治のリーダシップがないから「失われた10年」になってしまったのです。
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu9.htm
緊急に公的資金を注入せよ!
1998年9月6日
今日の討論番組を見ると長銀に関しては、今の法制度でも公的資金が入れられるので、自民党が責任を持ってやれば済む事なのに何をもたもたしているのであろうか。長銀が不良債権処理や債権放棄した分の自己資本不足分は優先株なり第三者割当増資を政府が引き受けて処理をすれば済む事だ。その予算枠は既に30兆あるわけだから出来るはずです。ところが不決断の鈍牛総理にはそれは無理らしい。後々の野党の攻撃や国民の反発が目に見えているから、野党の協力の下に長銀の救済をしたいらしい。
長銀は低価法や時価法で決算をすれば債務超過である事は明らかです。原価法で計算すればなんとか債務超過でないらしい。しかし子会社への飛ばしがかなりあるらしく、その子会社の実態を明らかにしないと、住友信託は合併は飲めない事になるかもしれない。しかしそのような灰色疑惑を明らかにせぬまま自民党の責任で強引にでも救済合併させなければなりません。実態を明らかにすると長銀が法的に公的資金が入れられなくなるからです。そしてその責任を自民党は選挙でかぶれば良い事なのです。自民党は腹をくくるべきだ。いずれ飛ばし等の実態は明らかになったらあとから処分すれば良いのだ。
とにかく必要な事はルービン長官が言うまでもなく「量的、質的、スピードにおいて緊急性が重要」なのだ。さらに「ポイントは公的資金を早期に投入し、他の銀行へも実施するということだ」と言うように、金融再生法案の審議に時間を割いていないで、早急に自民党と政府の判断で公的資金の注入を実施する事だ。それほど世界情勢は厳しく破局寸前だ。金融再生法案は長銀への公的資金注入の後でも構わない問題だ。大和、さくら、富士、と次から次へと波及し始めたら手におえない状況になります。その為にも十分なリストラ策と経営陣の総退陣と退職金等の返還などの条件を満たせばすぐにでも実施すべきだ。
金融再生法案については野党との協議が必要になるし、どっちみち1っヶ月2ヶ月かかることだ。そのまえにロシアに始まった世界金融危機をどこかでストップ掛けなければならない。そのストップを掛けられるのは日本しかなく、日本の金融が危機的状態を脱すれば、アジアの金融危機も落ち着きを取り戻してくるのではないかと思う。東京三菱あたりはかなりアジアに貸付残高をもち与える影響は大きい。この政治的決断の出来る人は日本の最高権力者である総理大臣しかいないのだ。鈍牛総理にそれが出来るだろうか。来週も世界経済は荒れるだろう。
(私のコメント)
このように株式日記をつけていたことで10年前の様子が手に取るように思い出すことが出来ます。今から見れば私が書いていた事はアメリカ政府が今やっている事と同じであり、公的資金の投入で危機は回避できたはずだ。しかし鈍牛総理をはじめ政府には決断力がなく野党やマスコミはダメな銀行は潰せと煽りまくっていた。
結局は国民が馬鹿だからバブルを無理に潰してしまって、日本を長期低迷に追い込んでしまった。国民感情に流されればろくな結果をもたらさないのであり、株式日記で主張してきた事が実行されていれば90年代中にバブル崩壊の決着はついていたはずだ。1998年9月14日には次のように書いています。
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu9.htm
長銀株19円 野党は長銀を潰す気か?
1998年9月14日
昨日はリチャード・クー氏が「サンデープロジェクト」に出て一番適切な事を述べていたと思います。野党三党もその後で意見を述べていましたが、党利党略的な議論でまともには聞いてはいけません。菅直人氏も銀行が倒産したら、健全な取引先は保証協会の保証で引き継げると言ってましたが、それよりは公的資金を投入した方が、混乱も少なく予算も使わずに済む事でしょう。要するに野党三党は国民に評判の悪い公的資金の投入は自民党にやらせて、それを攻撃材料に選挙に臨むつもりなのでしょう。国民感情としては乱脈融資に走った銀行は潰せと言うのがマスコミ世論ですから、仕方のない事かもしれません。
しかしマネーセンターバンクが潰れる事の弊害を一般国民が知る由もありません。北拓が潰れた事でどれだけとり返しのつかない弊害があるか分かったはずなのですが、まだ国民感情としては潰せと言う意見の方がマスコミ世論も強いようです。これは土地や株価を下げろと言っていた頃のバブルの当時を思い起こさせます。マスコミ世論みなそのように言っていました。しかしその結果どうなったでしょうか、土地も株も大幅に値下がりして1億円していたマンションが2千万円で買えるようになりましたが、国民は豊かになったのでしょうか。みんな外資系の会社が値下がりした不動産を買い占めています。
野党の言うとうり潰すべき銀行を潰していったら、おそらくメリルリンチが山一の支店を買っていったように、買い占めていく事でしょう。それ以外に多くの日本の中小企業が潰れ失業者は10%を超え、失業保険はパンクし、町の治安は荒れるでしょう。無責任な野党政治家は銀行が潰れても大きな混乱は起きないと言っています。与党の言っている事は脅かしだと言っています。しかしこれは脅かしではなく長銀が潰れれば、他の銀行も協調融資や長銀がメインだったところが潰れれば、そこに貸していた他の銀行の融資も焦げ付きます。そして次々と他の銀行も体力を消耗して行き、やがては銀行の連鎖倒産が起きます。
(私のコメント)
今ではアメリカのメリルリンチが危なくなってきています。今昔の感がありますが、アメリカ政府は次々と手を打っている。ところが当時の日本政府は危機的状況に狼狽してしまって、野党は外資の手先となって銀行潰しに走ってしまっていました。政治的状況は当時と今とではよく似ていて、選挙をすれば野党が勝つような状況だった。
日銀総裁も民主党の反対で宙に浮いていますが、1998年頃と状況は全く変わっていないようだ。金融問題を民主党は政局に使って日本経済をおかしくしているのだ。大蔵次官出身がいけないということで反対しているのですが、要するに福田政権を追い込みたいだけなのだ。しかしアメリカでは金融危機に際して政府のやり方に協力している。公的資金投入にも反対していない。しかし日本では1998年当時は野党はそろって反対した。
マスコミも田原総一郎氏などがサンデープロジェクトなどで野党と一緒になって公的資金投入はダメで、潰すべき銀行は潰せとキャンペーンをやった。リチャード・クー氏は適切なことをいっても誰も理解できないようだった。野党は国民に迎合して間違った主張で政府を吊るし上げていた。しかし今のアメリカのやっている事に対して誰も批判しないのはなぜなのか?
結局は公的資金を投入して金融危機を回避する事が一番適切であった事が「りそな」救済あたりで分かったのですが、あまりにも時間がかかりすぎた。愚かな国民やバカなマスコミの理解力が低くて、それが「失われた10年」の原因なのだ。それと同じ事を民主党は今も行なっているのですが、国民はなぜ怒らないのだろうか? 日銀総裁を空席にして何のメリットがあるのか? 暫定税率の問題も混乱させるだけで、日本のことよりも政権奪取のほうが大事なのだろう。